城をください
ネタ尽きるの想像以上に早いという問題
その日、僕は数日前からズッと悩み続けていた。世の中の、どう足掻いても変えられない理不尽というものをひしひしと感じていた。
20代も半ば、そろそろ結婚をせっつかれる時期。運良く就活に成功し、誰でも知ってるような大企業に就職できた。どうにか仕事をこなして慣れていき、上司からの覚えは上々……だと個人的には思っている。自分が勘違いしてなければ。
そんな僕には、付き合って1年以上になる彼女がいる。会社の先輩に引っ張っていかれたディスコで、偶然知り合った女性。彼女も僕と同じように知り合いに引きずられてきたらしく、その場に順応できないもの同士、なんとなく話していたのがきっかけ。
彼女は非常にサバサバした性格で、どちらかというと男勝り。僕の勤める会社と同じくらい有名な企業でバリバリ働いていた。どちらかというと内向的な僕とは正反対と言ってもいいくらいだ。デートでも、僕の方が彼女に連れ回されていた。
容姿も整っていて、正直僕には分不相応な相手にも思えたが、ありがたいことに彼女は僕の告白を受け入れてくれ、こうして1年以上に渡って交際が続いている。
そして数日前、僕は彼女の誕生日に結婚を申し込み、彼女も了承してくれた。後は、彼女の両親から了承を得るだけ。だが……
「ちょっと話しておきたいんだけど、私の両親について……」
「どうしたの? そんな改まった感じで」
「私の家ってね……」
なんでも、彼女の家は古くから続く名家らしい。所謂華族の家柄らしく、その家柄を大分誇りにしているらしい。故に家の人間の結婚相手にも、それ相応の家柄を求めるとのことだ。
「だから、多分うちの両親に挨拶に行く時に、貴方の家の家系図か何かを求められると思うの」
「それってつまり、僕がふさわしい家柄かどうかってこと?」
「そういうことね……私は余り良くないとは思ってるんだけど、多分両親は何かしらその手のものを確認しないと、認めてくれないと思うわ」
だが逆に言うと僕の家柄が悪ければ、たとえ家系図を見せても結婚を認めてくれない可能性があるということだ。まさかこのご時世にそんなことを言う家が未だに存在しているとは……
しかも、実は僕には提示できる家系図がほぼない。僕は所謂私生児だ。母さんは僕を下ろせというのを拒否して自分の実家から追い出され、唯一母さんを庇ってくれた叔母さん夫婦の家に逃げ込み、そこで僕を産んでくれた。叔母さんは駆け落ち婚をしていて、それもあって母さんを自分の家に招き、小さい頃の僕の面倒も見てくれた。
母さんも叔母さんも実家から義絶されているので、母方の家系図は提示できないし、そもそも提示できたとしても、先祖は農民だということが分かっている。恐らく家柄で弾かれるのがオチだ。
そして父方の家系図どころか、僕は実の父親の顔さえ知らない。どうせ母さんを見捨てて逃げるような男だし、知りたいとも思わない。でも勿論父親自体を知らないので、父方の家系図も提示できない。つまり僕の場合、家柄がどうこう以前の問題なのだ。
叔母さんという身近な例があるから、駆け落ちということも考えたが、この時代に駆け落ちなんて難しい。昔と違って駆け落ちしてもすぐ居場所がバレるかもしれないし、僕はいいけれど彼女も今の仕事を辞めざるを得なくなる。彼女にそこまでの負担を強いてまで貫き通すべき愛なのかどうか……
いや、勿論僕自身は彼女のことを愛している。だが彼女と無理に一緒になろうとして彼女が不幸せになるくらいなら、いっそ諦めて別れてしまうというのも手だ。でも家柄なんて自分じゃどうしようもないことで、彼女と別れる羽目になるのはごめんだという気持ちも強かった。
ここ数日、僕はどうするべきかズッと悩み続けていた。一体どうすればいいのか、彼女の幸せを優先すべきなのか、僕の気持ちを優先すべきなのか……仕事もなんとかこなしてはいたが正直手につかず、どうにか今日の分の仕事を終わらせてクタクタになりながら、それでも頭の中はこの問題でいっぱいになっていた、そんな帰り道。
「もし、そこの方、マップはご入用ではありませんか?」
突然、後ろから声をかけられた。何だか奇妙なセリフに思わず振り返ると、街灯の下に佇む女の子の姿が見えた。まだそこまで遅い時間ではないが、季節柄既に辺りは真っ暗。
そんな中街灯の灯りに照らされている彼女は、周囲の暗闇に溶け込むかのように奇抜で真っ黒な服装をしており、白く長い髪がキラキラと光っていた。もし街灯の下にいなかったら、服と周囲の闇と同化して見つけられなかったかもしれない。
「……僕が、かい?」
「ええ、マップはご入用ではございませんか? およそありとあらゆるマップを取り揃えてございますよ」
「マップってことは、何かの地図かい?」
「地図もそうですが、その他にも見取り図、関数、グラフ、路線図や回路図、家系図、系統図などなど……様々取り揃えております」
こんな夜道に何やらセールスをかけてくる変わった格好の女の子、もう真っ暗なのにこんなところで1人とは危ないのではないか。しかも売っているというものも何やらよく分からない、流石にこの年齢の女の子が本当にものを売っている訳ではないだろうが……だが、その説明の中に思わず今の僕が反応してしまうものがあった。
「……家系図? 君は家系図も売っているのかい?」
「はい、どなた様の家系図でも基本的には取り扱っております」
「誰の家系図でも? そんなのどうやって手に入れてるんだい?」
「それは企業秘密でございます」
人差し指を口に当てて微笑む女の子。その仕草はとても堂に入っており、彼女の口調も合わせて一瞬本当に見た目相応の年齢をしているのかを疑ってしまう。
とはいえ、見た目からしてこの時間1人で外を出歩くのは良くない。適当に話を合わせながら、自宅に帰るように誘導しようと思った。頭ごなしに帰れといっても、反抗期や思春期の子どもだとかえってそれに反発してしまうだろう。
「そんなこと言ってもさ、例えば今会ったばかりの僕の母方の家系図なんて、君は出せるのかい?」
「勿論、こちらですね」
「ほら、出せな……えっ?」
出せないだろう、と言おうとした僕を嘲笑うかの如く、女の子はカバンを開き、中に見える大量の紙束の中から1枚の紙を抜き取って僕に差し出してきた。慌てて確認すると確かに僕の母方の実家の家系図で、しかもその1番下の方には僕の名前も。
多分実家にある家系図の方では、この紙には載っている僕や母さん、叔母さんの名前は抹消されているのかもしれないが、でも間違いなくこれは母方の方の家系図で間違いなかった。
「どうして……」
「私はマップを売る身ですので、これくらいは」
全然説明になっていない。だが事実として、僕とはまるで面識のないはずの目の前の女の子は、初対面の僕の名前を当てた挙句、家系図まで用意してみせた。仕込みにしても手が込みすぎているし、そんなことをやる意味が分からない。
「……まさか、僕の父方の家系図も用意できるのかい?」
「ええ、こちらです」
思わず今何となく僕が求めていたものを口に出すと、何と女の子はこれまたカバンから別の紙を取り出した。そこにはさっきとは別の家系図が。
「これ……本当に?」
「私にはこの家系図が本物であるということを証明することはできません。ですので、お客様がこれを真っ赤な偽物であると思われるのでしたらそれまでです」
そう言われたが、僕の母方の家系図を平然と取り出してきた段階で、どうにも偽物だとは切って捨てがたい。恐る恐る見てみると、またしてもびっしりと書き込んである。1番下にはこれまた僕の名前、父親の名前も書いてあるが、別にどこぞの有名人というわけでもなさそうなので、そのまま上に辿っていく。
「……やっぱり」
何となく父方の家系図を求めていたのは、いくら僕を捨てた父親でも利用できるのではないかと思っていたからだ。とはいえ実父の血を引いているとあんまり認めたくないということと、いないことにしていた父親を都合良く利用することに忌避感があるという2つの点に加えて、何より手がかりゼロということからまず不可能だったけど。
でも実際に目の前に家系図を出されて、しかもやっぱり先祖は普通の農民だったということが分かると、勝手に失望してしまうものだ。つまりこの段階で僕はほぼ正攻法で彼女と結婚できそうもないということがハッキリしてしまったのだ。
「まあ分かってたけどね……士農工商で1番多かったのは農民だったんだし……」
宝くじより確率は高いかな程度でしかなかったから、分かってはいたけど、こうなったら駆け落ちか、別れるか、後は……
「……家系図の偽造、か?」
家系図を書き換えるのは、昔は普通のことだった。徳川家康だって征夷大将軍になる為に、清和源氏の出自として自身の家系図を書き換えたという説もある。
「偽造家系図でしょうか? でしたらお望みの出自の家系図をご用意いたしましょう」
「へっ……?」
そこまでこの子はできるのか? いやまあ、この女の子がというか、こういうものを扱ってる人がいてそっちに発注するのかもしれないが。
でも本当にできるのならば、彼女のご両親にも認めてもらえて、しっかり祝福されて彼女と結婚できる。誰も傷つかないし困らない。その方がいいのかもしれない。
「本当に頼めるのかい?」
「ええ、ご注文をいただければその通りの家系図をご用意いたしましょう。ですが……本当によろしいのですか?」
「……え?」
「いえ、僭越ながらもご提案させていただくなら、一度深呼吸をして、考え直される方がよろしいかと」
「……」
何を言って、と思ったが、その真剣な表情を見て思わず言葉に詰まり、一瞬黙り込んでしまう。と、ふと彼女に告白した後の最初のデートを思い出した。それは、やはり彼女がデートプランを組み、水族館やら動物園やらあちこち回った後、公園のベンチに座って沈む夕焼けを2人で見ていた時のこと。
『ちょっと、聞きたいことがあるんだけど……いい?』
『えっ? 何よ突然』
『いや、どうして僕と付き合ってくれたんだい? 僕は君とは何もかも、とまでは言わないまでも正反対だし、僕から告白しておいて何だけど、僕と君とじゃ不釣り合いな気がして、玉砕前提だったから……』
『プッ、アハハハ! 何? そんなこと聞きたかったの?』
『そんなこと……まあ結果的に付き合ってるから、そんなことなんだろうけどさ』
『全くもう……いいわよ、教えてあげる。私はね、貴方の……そうね、誠実さって言うのが1番近いのかしら。そういう所がいいなって思ったのよ』
『誠実さかぁ……』
『ちょっと、何不満そうなのよ。まさかありきたりな理由だなんて思ってないでしょうね?』
『いやいや、そんなことは……』
……そうだ、彼女は僕の誠実さが好ましいと言ってくれたんだ。自分の生まれを偽造してまで、彼女と結婚しようとするのは、自分の誠実さを信じてくれる彼女に対して余りにも不誠実ではないか?
それによく考え直せば、僕をここまで育ててくれた母さんや叔母さんの方の家系図を変えたら、2人の苦労をなかったことにしてしまうし、そもそも父方にしても母方にしても、現実的に考えて親戚を用意できない。
「そうだな、いや、偽造家系図はいらないよ」
「そうですか。でしたら、こちらをどうぞ」
「これは……?」
「私からのまあ……餞別のようなものですね。ですので、こちらはお代は不要です。では、ご利用……まあ良いでしょう、ご利用ありがとうございました。しっかり思いとどまったのです、墓穴は大きなものを1つでよろしいでしょう」
気づくと、女の子はその言葉を残して、影も形も無くなっていた。手元に残された、餞別のようなものと言われた紙を開くと……
「……そうか、まずは会ってみなきゃ、始まらないか」
数日後、持っている中で1番上等なスーツを着込み、東京の一等地に建つ高級ホテルの最上階のレストランで、僕は彼女のご両親と対面した。正直言ってしまうと、このレストランのフルコースの値段の方が恐ろしいかもしれない。自腹でここに来る未来を僕は摑めるのだろうか……
「……それで、話は通っていると思うが」
「はい……こちらをご覧ください」
「……なんだこれは? 君とうちの娘の名前しか書いてないじゃないか」
それは、僕があの女の子に貰った紙。紙の上の方に僕と彼女の名前。そこの下には何も書き込まれていない余白。
「残念ながら私は私生児で父親不明でして、父方の家系は遡ることがそもそもできません。同時に母は私を産むために家を出された為、母方の家系も遡れませんし、どの道大した家柄ではありません。ですから、私にはここに持ってくることができる家系図がそもそも存在しません。
……ですが、アダムが耕し、とも言います。今の私が娘さんの相手としてそぐわない人間でありましょうとも、それにふさわしくなるように努力いたします。ですから、どうか娘さんとの結婚を承諾していただけませんでしょうか!」
……正直な話、普通に考えれば相手が激怒ってもおかしくないことを言っている自覚はある。何しろ僕が言ったことは、彼女の家が誇る血筋の権威を完全否定するものだからだ。でも、それならそれで構わない、駆け落ちでもなんでもしようと決めていた、不退転の覚悟だった。
「……」
「……」
「……クッ、クハハハハァ! オイ、母さん! やっぱりオレの見込んだ通りだっただろう!」
「そうですねぇ、これなら大丈夫でしょう」
「……あれ?」
なんだこの反応は? 絶対ブチ切れられてブン殴られることも覚悟の上だったのだが……
「もう……ホントこういうの良くないと思うんだけどな……」
「あれ? え? どういうこと?」
「私の家が家柄重視なんて大嘘。いや、名家の範疇に入る家だとは思うけど、別にウチは親戚一同そんなの全然気にしないから」
「えっ、じゃあなんで……」
「家柄見せろって言われて、偽造した家系図を持ってきたり、偽造しなくても一族の凄さを延々語るようなヤツとは、結婚させないってことよ」
……つまり、家系図持ってこいっていうの自体が、結婚相手にふさわしいかどうかの試験だったってこと!?
「まさか、そういうことだったとは……」
「ホラ、ガッツリ落ち込んじゃって……だから辞めようって私言ったのに……」
「まあまあ、この人も心配だったのよ。下手な権威にかしづくような軟弱者の所に嫁に出せるか! って……フフフ」
「母さん、それは言わんでくれ……まあ、どうせ身辺素行調査は終わってたしな」
「え」
ああ、そうか……別に金がある家なら、態々家系図持って来させたりとかそんなことしなくても、勝手に調べようと思えば調べられるのか……あれ? 僕普通にそんなことも分からずに悩んでたの?
「でも……よかった。貴方がちゃんと誠実な人で……」
「……ありがとう」
けどまあ、いいか。彼女を裏切らずに済んだんだから。
「おめでとう、末永くお幸せに。2人の行く末に幸あらんことを」
人の世に熱あれ、人間に光あれ—水平社宣言(抄)、大正11年3月
サブタイトルのネタが分かった方は、作者と気があうかもしれません