再生工場
優里との話し合いはうやむやのままであったが、酷いつわりに悩まされ続けた優里は、父親の家で安静期間を過ごす事となり、既に再婚をして新しい家庭を築いていた父親の家ではあるが、一人の孤独が紛れる環境に身を置ける事は多少の気持ちの落ち着きを手に入れる事が出来たのかも知れない。
本来であれば実家で安静という事であろうが、優里には実家と呼べるものがなく、櫂の実家で過ごすよりはまだ再婚した父親の家のほうがマシであったのだろう。
それでもこの二択を選択しなければならない状況は櫂にとっても心苦しく、仕事と優里との板挟み状態は常に胸を圧迫するような感覚を齎した。
バイタリティーに溢れる明るい母親の貴子が生きていてくれたらどんなに助けられたであろうと、何度もタラレバの状況を思い浮かべたが、櫂を取り巻く現状が変わる訳も無い
関西を襲った巨大地震以降は、予測通りに商圏は大幅に縮小される事となり、個人消費は著しく減退していた。
そもそも扱う商材が、嗜好品・贅沢品と位置づけられる絵画である・・・・・ワールドアートの業績は日を追う毎に悪化の一途を辿った。
【ピンチはチャンス!】 使い古され、手垢に塗れた言葉を連呼して、ワールドアート経営陣は東海地区の地盤固めと関東地区の地盤固め強化の戦略を取り、関西商圏の縮小を取り戻そうと躍起になったが、それに答えられるチームは少なく、今まで以上の苦戦を強いられていた
営業社員の入れ替わりは激しさを増し、チーム状況は明暗くっきりと割れてしまい、櫂のチームのように総合的な営業力の無いチームでは、いよいよ課長陣の辞職が目立ち始めていたのだ
馬場・岸岡は櫂と顔を合わせる事もなくひっそりと辞職の道を選択していたが、何よりも大きな衝撃を与えたのは低迷を続けていた満島がついに辞職を決意して身を引いてしまった事である。
それでも経営陣は縮小して経営を立て直す方向には舵を取らず、経験値が少なく、まだ人格に幅を持たない新人課長を擁立しては規模の維持を試みた
明らかに営業内容の質は落ちており、割引営業、キャバクラ・ホスト営業、多重販売が横行し、報道でも絵画販売の問題が取り上げられる頻度が上がっている。
実際に売上達成率をクリアしているのは上位の3チーム程度で、それ以外のチームは出口の無い闇を彷徨うが如く低迷し続けていた
上位チームにおいても多重販売が仇となり、信販会社の与信枠からはみ出た契約が受理されずに、成果報告後に100%を切ってしまう事も多々あるのだ。
その中において、森田チームメンバーは連日必死に責任数字を死守し続けていた。
会社としても牽引力のある森田チームのメンバーを移動させる事に抵抗があるのか、既に新卒採用の下田・鎌谷までが主任昇格したこの状況でも、未だに村下の課長昇格の辞令は出ないままである。
不動トップに君臨し続ける森田チームに次ぐのは、牧野・林葉・長川・棚橋が順不同で混戦している状況であり、櫂はその状況にも不安を感じていた。
池谷チームの低迷期間が長すぎる事、主任の清水のスランプが引き金となり低迷し始めた桝村チーム、極度の既存顧客販売に偏って荒堀の元で売上を伸ばす、新滝が率いる心斎橋常設店舗・越口チーム・棚橋チームの成長速度の速さには諸刃の剣のような危険性も感じるのだ。
そんな中、森田チームには他チームでお払い箱になった営業マンが配置転換で配属される事がしばしばあり、今日も棚橋チームで辞職を促されたと言う女性営業マンが配属されてきた。
今までは河上から面倒を見てやってくれと、軌道修正を目的とした配属はあったが、櫂はそんな社員に今気づよく営業の基本を解き、復活させては元のチームに戻す作業を繰り返してきた。
ところが今回の女性営業マンは明らかにお払い箱扱いされた所を、河上に懇願して後1ヶ月の猶予を下さいと直談判したと言うではないか。
棚橋はその女性営業マンの懇願を受け入れず辞職を促したそうであるが、櫂はその話を聞いて河上の依頼を即答で受け入れたのだ。
『待ってたぞ・・・このチームはお前を必要としてるから、お前も必死について来い!』
緊張で表情を強ばらせている女性営業マンの福川に、櫂は満面の笑顔を向けた
『精一杯、頑張ります』
そう答える福川の表情を見た櫂は確信する
《必ずこいつは居場所を見つけられる!》
櫂の確信はどこから来るのか?・・・・
馬鹿のように福川の可能性を信じ切る櫂の意思が確信に変換されているだけである。
《信じてもらう為には信じるしか無い! 誰が相手であろうが鏡の原理や!》
櫂の熱意はこの鏡の原理を信じる事から発生しているだけの単純なものであるが、最後は人と人だと言う信念はぶれる事が無い。
こうして、福川は1ヶ月の猶予期間の中で、櫂の洗脳に近い指導を受けながら、営業の正義と営業テクニック・営業トークを惜しみなく与えられ、営業マンとしての開花へと少しずつ近づいてゆくのである。
いつしか森田チームは再生工場というような呼ばれ方をされるようになり、櫂はそんな風潮に激しい怒りを感じるようにもなっていた。
自分の預かった希望に満ちていた人間を伸ばしきれなかった奴達が、他人事のように櫂のチームを再生工場と呼んでいる・・・・その神経を疑ってしまうのだ。
そして、爆発の日はやって来てしまった・・・




