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尖んがりジプシーの航路  作者: 下市にまな
第一章 新人奮闘編
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初陣

午後の研修開始時刻よりも少し早く井川は入室してきた・・・気怠さが抜け切らぬままであったが、井川の次の発言で全員の睡魔は吹き飛ばされる事になる。

『よし、 出かけよか・・・近くの展示会場を見に行かせてもらうで・・お前らには・・その方が手っ取り早いわ』


 御堂筋線西中島南方駅から乗り換え無しで15分も電車に揺られれば千里中央駅に到着する。

複合施設千里メルシーで開催中のコウ・カタヤマ新作展は荒堀・光嶋チームの合同催事である。

『うわ~ 私、千里メルシー小さい頃からよく来てたから懐かし~』 

『ユリリン!遊びに来たんやないねんで』  能天気な藤田に林葉が突っみながら、賑やかに展示会場の入り口を潜った一行は小柄な女性に迎えられた。

『井川部長お疲れ様です』 落ち着いた言い回しとはチグハグな妙に粘り気のある口調の女性の声に続いて、周囲の数名が『お疲れ様です!』と井川に挨拶をする。

さらにそれに連鎖するように会場内の社員が集まって来ては井川に挨拶をした。

  《何やこれ・・まるでヤクザ映画やないか?》

ワールドアートの端々でヤクザ文化の欠片が顔を覗かせるが、只々大声で背筋を伸ばす挨拶に櫂は滑稽さを感じずにはいられなかった。

『荒堀課長、今日はよろしくお願いします』 小柄な女性に挨拶をした人吉はいつもより緊張している様子である。

『元気そうやな人吉、しっかり頑張らなあかんよ』 粘りある口調でそう言われた人吉は 『はい』といって両目を激しくシバたかせた。

このやり取りだけで人吉は荒堀チーム出身であろうと簡単に解釈できるが、周囲に集まった社員達は一様にこちらに対して冷めた視線を投げかけている。

加山チームとのファーストコンタクトで井川新設部隊へ向けられる感情を経験済みの櫂は驚きもしなかったが、やはり人吉と秋爪には居心地が悪い環境なのであろう、

二人共落ち着かない様子で目線を泳がせている。


『林葉です、今日はよろしくお願いします』

いつものはつらつとした様子とは打って変わった林葉の落ち着き払った口調は、敵意を含んだ視線に対して受けて立ちますという意思表示のようにも思えた。

櫂も言葉を被せる 『森田です色々と学べるのならば・・、今日のところは宜しくお願いします』 含みのある言葉を使って周囲の様子を伺ってみたが即座に藤田が続いた『藤田です、なんだか勝負って感じでよろしくお願いしま~す!』

   《こいつっ、爆弾か!》

さすがに直球すぎる藤田の挨拶に櫂も林葉も動揺したが、そこに遅れて登場してきた男性が加わったことで一触即発ムードは回避されることとなった。

『井川部長お疲れ様です、今来られたんですか? この人たちが研修生の方ですね、 じゃあまずは配券業務からお手伝いしていただきますね』

『満島、まだ何も出来ん奴等やから・・宜しくたのむわ・・』 井川がいつもの優しい口調で満島の肩をポンと叩く。

『皆も色々と教えてやってくれ』 最後に井川が場の全員に対してそう発言した事で、ようやくそれぞれが元の業務に戻っていったのである。


 バックヤードに櫂達を案内した後、満島は入場客を勧誘するために印刷された配券束をトランプのように慣れた手つきで斜めにずらしてその端にマジックペンで一本の線を書き入れた 『これが今日君たちが配る配券です、端っこにこのマジックが付いた券を持って来場されたお客様は全て君達が接客していいからね』と笑顔で説明した。

 人吉と枡村を除けば目の前にいる満島は貴重な男性営業マンである。

櫂にしてみれば満島を観察する事は願ってもないチャンスなのであるが、丁寧口調で人当たり良く笑顔を絶やす事の無い満島は、あまりにも櫂とキャラが対照的すぎて参考に出来そうにもなかった。

共通しているのは肩幅のある恰幅と見た目が厳つい顔をしている事位で、満島はすごく優しい目をした中国犬のチャウチャウのような表情を浮かべている。

『その前に少しだけ会場内を見てみたいな~』 という藤田の言葉に

『いいよ、邪魔にならないように見ておいで』と、優しい満島は手を会場の方にどうぞと差し出した。

初めて足を踏み入れる展示会場は広い空間に白色のパーテーションパネルが作家ごとに上手く組み上げられていて、各作家ブースには丸テーブルと椅子が用意されている。

勿論メイン作家であるコウ・カタヤマのブースが一番広くスペースが取られており、新作の【結婚式の朝】は壁掛け展示ではなくテーブルセットのすぐ前に用意されたイーゼルに3セットも設置されていた。

会期が始まったばかりのコウ・カタヤマ新作展はまだ来場客もまばらで落ち着いた雰囲気に包まれている。

井川は研修の中で、立ち話で数十万円の絵が売れる訳が無いので、まずお前達がすべき事は来場客を椅子に座らせる事だと言っていた。

『やっぱりこういう会場で見たほうが絵が綺麗にみえるな~』 藤田はまるで来場客の如く彼方、此方へと会場内を動き回っている。

遠目に櫂達を見る従業員達の視線は気にならない様で、放っておくと何か仕出かしそうで気が気ではないが・・・

 それよりも今は、新作【結婚式の朝】が設置されたテーブルに座って商談している女性営業マンのほうに惹きつけられた。

既に林葉は商談テーブルのすぐ隣のテーブルセットに座り、画集を見る一般来場者を装って聞き耳を立てている。

 営業を受けているのは年齢20代後半ほどの女性で、その目は結婚式の朝に釘付けになっていた。

既に営業は佳境に差し掛かっている様で、女性客の顔は少し紅潮している様にも見える。

『好美~、嫁入り道具で持ってくるって言ってたのって、この作家さんの作品の事やったんか~』 少し大きめの口調でそう言うと櫂は林葉のテーブルに一緒に着座した。

林葉はチラッと櫂を見た後、やはり大きめの口調で『そうそう、新居のリビングに飾るからね~』 林葉は阿吽の呼吸で偽カップルになって櫂の着座を手伝った。


『じゃあ伊藤さんっ! そろそろ勇気を出して一歩を踏み出しましょうか・・・本当の宝物は自分の頑張りで手に入れるものですよね!』

女性営業マンは伊藤さんと呼んだ女性客の目を力強く見ながら笑顔で手を差し出す。

女性客の顔がさらに紅潮したかと思うと先ほどから握りしめていた手がピクリと動いたように見えた。

 女性営業マンはこの一瞬を見逃さなかった

『ありがとうございますっ!』 周囲に響き渡るような透き通った声を響かせながらすかさずその手を捕まえた。

 更に言葉を続ける 『本当に私も嬉しいです、伊藤さんが自分で決断されて手に入れたこの絵は、宝物として一生大切に付き合って下さいね、

そしてこれからは新しい趣味として沢山の展示会にも遊びに来てくださいね・・・私待ってますから』

『は、はい・・ありがとうございます』

『じゃあ支払は先ほどの分割パターンで、絵は10日後にはお届けできますから、それまでにお部屋の模様替えを完了しておいて下さいね』

女性営業マンがそう言いながらも自然な動作で申込書をテーブルに差し出すと、不思議な事に伊藤さんは当たり前のようにそれに記入を進めていったのである。


再び満島にバックヤードに呼び戻された櫂達は配券業務用に準備されたビニールジャンパーを手渡された。

『配券時はこのジャンパーを着用して下さいね』 満島が丁寧口調で説明を始めたが、まだ成約の瞬間を目の当たりにしたばかりで櫂は少し上の空である。

『ちょっと森田君、違和感あり過ぎ~』 藤田が明るい声で櫂の肩を叩いた。

何げにジャンパーを着用した櫂だが、サイズが小さくベルトよりも上に裾が上がって、袖も七分丈のように短い。

おまけに蛍光色のピンク色をしたジャンパーは櫂のキャラと相まって一層の違和感を放っていた。

藤田が腹を抱えながらケラケラと笑いだしたので、櫂と同じく心ここに在らずの林葉も我に帰ったようである。

林葉と光嶋までが笑いに加わったのを見て、櫂はムスッとするしか無かった。

ようやく一同の笑いが収まった所へ荒堀がバックヤードに入ってきて、壁面に貼り付けてある大きな方眼紙にマジックペンで手早く何かを書き込んでいる

【ファーストオーダー 池谷 結婚式の朝 80万円】

《やっぱりな・・・さっきの女性営業マンが池谷さんやったんや・・》

よく見るとバックヤードには荒堀が今書き込んだ方眼紙以外にもグラフ表などが貼り付けられており、成績表と思われる棒グラフには各営業マンの名前が書き込まれているが、池谷のグラフだけが特出している。

『ほらほら、あなた達も早く配券に出てお客様を勧誘しないと! 勝負でしょう?』 粘り気のある荒堀の口調が一層に櫂達の闘争心に火をつけることになった。

『は~い、じゃあ好美ちゃん森田君がんばろ~』 櫂と林葉が闘争心を表情に出す前に、藤田がさあ行くよと2人を促しながらバックヤードを飛び出して行く。

こうして藤田の緩やかな号令と共に、井川新設部隊は初陣を迎えたのである。


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