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尖んがりジプシーの航路  作者: 下市にまな
第三章 チーム築城編
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 ある程度の平静さを取り戻して櫂は展示会場へと戻ったが、糸居とはバックヤードで話すべき事がある・・・それを思うと心理のざわめきが収まる事は無かった。

加えて小田が待ってましたとばかりに櫂を頼るような表情で駆け寄ってくる

 『ある程度進んだ商談が3つもあるんですが・・僕では対応し切れなくて・・』

今の櫂は、もう一人の補佐役である小田の情けない表情が余計に感情を逆撫でするように感じてしまう。

『お前も立派な補佐役なんや、そろそろドンっと構えてフォローに入ってやれ』

 何とか感情を抑えながら、小田の肩を叩いて会場内に促す。

『誰もバックヤードに入れるなよ・・』

 櫂はそう言い残すと糸居が項垂れているであろうバックヤードに入った。


想像した通りの表情、想像した通りの仕草でバックヤードのパイプ椅子に座る糸居が目に入ると、整理したはずの苛立ちが再び顔を覗かせようとするが、櫂は大きく息を吸い込む事で平静を保った。

『お前に言うべき事がある・・・』

 向かい合う形で櫂もパイプ椅子に着座して話し始めたが、又もや備え付けの壁掛け電話が鳴り響いた。


《一体、何やねん!》

 この状況でこれ以上に心の雑音を増やしたくないという感情が、見る見る櫂の表情を険しくさせる

『はい、ワールドアート催事場ですが!』

 ぶっきらぼうになっている自分の口調を認識しつつ受話器を取る。

『儂や・・・櫂か?』

 電話口の相手は河上であった。


《こんな時に何や! タイミングの悪いおっさんめ!》


『ええか櫂・・・・落ち着いて聞くんやぞ・・・』

 いつもには無い河上の口調が反射的に櫂の警戒心を呼び起こす

『はい・・』

『お母さんがな・・先程・・・亡くなられたと連絡が入った・・・・』

 頭の中を支配していた筈の雑多な雑音が瞬時に吹き飛び、河上が伝える『亡くなられた・・』という響きだけが鮮明に残る。

滑落してゆく感情に絶句するしかない・・・

思考が働かない櫂は、力の抜ける全身を辛うじて支えながら壁に手を付いた。


『櫂、聞こえてるのか? 俺は直ぐにそっちに向かうから・・お前は今から帰るんや!』

『・・・はい・・えっ?・・』 

『帰るんや! お前がしっかりしたらんかい!  直ぐに其処を出るんや!』

『・・・分かりました・・』

電話を切った後の櫂は力無く自分の荷物を集めるが、思考を持って動作するというよりは、抜け殻が反射的に動作しているようで、流石に糸居もこの櫂の異変に気付く。

『課長・・大丈夫ですか? あの・・・』

 当然の事ながら事態を知らぬ糸居はバックヤードをフラフラと出てゆく櫂を見送るしかない。

バックヤードから出てきた櫂の様子とそれを心配顔で追う糸居を見て、小田が再び駆け寄る。

『急用や・・すまんが俺は今から出る・・糸居、俺が話したかった事を自分で想像してみてくれ・・・小田、河上部長が来てくれるが・・お前にチームを任す・・頼むぞ』

先程まで櫂を頼って情けない表情を浮かべていた小田は、櫂の表情から何かを察知したのであろう

『分かってます、僕が何とかしますから!』 とその表情を固めた。



《速く・・・もっと速く走れよ・・・》

 新幹線の窓に寄りかかるように額を付けたまま、櫂は流れる景色の遅さを恨んだ。

始めてギャラリー黒鳥で出会った時に此方を振り向いて笑った顔・・・優里との初デートの帰りに、嬉しそうにファミレスの窓際席から此方に手を振る姿・・・腕を振るって料理を並べてくれた時の楽しそうな笑顔・・・癌が発覚した後もアクティブさを手放そうとせずに騰がらっていた強気の表情・・・

結婚式で此方を見ていた柔らかい目・・・そして、最後に交わした『櫂ちゃん・・・優里を宜しくね・・』と言う言葉の響きが鮮明に蘇る・・


手持ちのタバコが尽きる頃、新幹線はようやく新大阪に到着した。

河上から連絡をもらってから随分と時間が経過していると感じたが、1分1秒でも速くという思いが腕時計を確認する時間も惜しんで、櫂をタクシー乗り場のあるロータリーへと向かわせる。

トロトロと渋滞のロータリーを抜け出るタクシーに苛立ちを感じながら櫂は行き先を告げた。



最後に大きく息を吸い込んだ貴子は、苦しそうな表情を浮かべたように思う・・・突如の容体急変で騒めく医師達を押しのけて、優里は優華と共に貴子の手を握り締めた。

痛みや苦痛を感じる事が出来ない自分を恨めしく感じながら、只ひたすらに 苦しまないで欲しい、生きて欲しいという相容れない願いが混ざり続けた。


 葬儀場で淡々と進められる通夜の様子を眺めながら、残された姉妹は母親の柩に寄り添っている。

知らせに絶句した姉妹の父親は直ぐに駆けつけたが、葬儀の段取りのほとんどを熟しながら心を紛らわせていたかも知れない。


 『立派に闘ったんや、お母さんをしっかり見送ってあげような』

泰代を伴って駆け付けた隆明は、姉妹に柔らかく語りかけながらも自分自身に言い聞かせているようでもある。


 喪服に着替えた櫂は、柩に横たわる貴子の顔を見てからは席を外したままである。


思いつく限り、貴子と交友のあった人物への連絡は終えたつもりであったが、不思議と優里と優華を心配してなのか、姉妹の知りえない情報網が縦横へと繋がり、遠い記憶に残る懐かしい人々までが別れを惜しみに来てくれているようで、今はそれらの人々に声を掛けられる慌ただしさが有難かった。

『あのおばちゃん、凄く懐かしいね』

 優里に耳打ちする優華も同じ気持ちなのであろう

二人はありったけの昔話を引き出しながら、貴子が居なくなる不安を紛らわせたのである。


『二人共、少しだけ休んだほうが良え』

 再び戻ってきた櫂は柔らかい笑顔を浮かべてから暖かい缶コーヒーを並べてみせたが、その瞼は少し腫れているように見える。


 あまりに大きな存在感と、周囲を巻き込むバイタリティー・・・

そして胸を張って娘達を育て上げた母親としての強さは、其々に別れの困難さをもたらし、其々がその困難に対して自分なりの対処を迫られているのである。


生を駆け抜けるとはどういう事であろうか・・・絶対の充実を持って旅立つ人はいるのであろうか?

後悔・不満・懺悔、達成感・満足感・幸福感

それらを全て抱えていながら旅立つのではないのか?


【あなた達も闘い抜きなさい】と明るい貴子の声が心に語りかける・・・


連綿と繋がり続ける歴史のバトンを確かに受け取ったのだと、櫂はその声を深層心理の引き出しに詰め込んだ。


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