辞令
『森田主任は何の話しだと思われますか?』
櫂の指導によってコンサルタントセールスとしての数字を安定させ始めた吉村は、並び歩きながら不安そうな目を向けて尋ねた。
『さあ解らんな~、東京出店の為にワールドグループから新しく咲澤部長が加わったやろ・・もしかしたら成長株の吉村を引き抜くつもりと違うかな~』
櫂は冗談っぽく投げ返す。
ようやく櫂の引き連れる中途採用社員の中からも数名のコンサルタントセールスを排出出来るようになり、糸居という足枷を引き摺りながらも、未来のチーム像の輪郭が見え始めたところである。
中でも吉村は将来の櫂の補佐役として期待を持って指導してきたのだ。
『え~、やめて下さいよ~!』
ヒョロリと背の高い吉村は情けない顔で櫂を見下ろした。
『阿呆か! もしそうであれば最高のチャンスやろうが!』
そうは言ってみたものの・・・おそらくは今回の社長室への呼び出しは十中八九、東京出店の話であろう・・それでも櫂は構わないと腹を括っていた。
《自分の関わった営業マンがチャンスを掴んで大きくなる事は喜ばしい事やないか!》
この頃の櫂にはそう思えるだけの自信が身に付き始めていたのかも知れない。
裏切られる事を覚悟して尚、指導する立場の人間として、預かった社員を心から信用し続けるしかない
馬鹿げているが、自分はこうして信用に答えようと努力する数名の社員と出会っているではないか。
自分が身を置く会社に不要と判断されるまでは、何度でもやり直せるはずである・・
自分の心が折れない限り。
『ああ~どうしよう・・・森田主任・・どうします?』
社長室の扉が見えてきても吉村は落ち着かない様子で、怖気付いた様子を隠さない
『俺に聞いてるのか?・・・ じゃあ東京に行け!』
櫂は悪戯っぽく笑うと、勢いよく社長室の扉を開けた
『失礼します、森田です』
櫂の入室とすれ違うように、不服そうな表情の荒堀が退出してゆく
櫂は再び社長室に目を戻して、顔を揃える経営陣を見渡した。
経営陣の顔ぶれは予測通り、社長の中山、河上、そして咲澤部長である。
『おお 森田・吉村、そこに座れ・・』 河上がソファーに手招きして着座を促す。
櫂と吉村は河上・咲澤と相対する形で着座し、社長の中山は奥の自分のデスクからその様子を静かに見守った。
『お前達も聞いてるとは思うが、ワールドアートは2店目の支社を東京に出す事を決めた』
河上の真剣な目が交互に2人の反応を俔う。
『東京支店長となる咲澤部長の強い希望で、骨のあるメンバーを揃えてのスタートを切りたいんや!』
ここまで言うと河上は咲澤を見た。
咲澤は小さく頷くと河上のバトンを受けてから、威圧感のある豪快な声で話し始める
『各課長陣にも即戦力となるメンバーを排出してもらうよう協力を要請してる中、俺がどうしても必要としているのは強い男性営業マンなんだよな・・・』
テカテカと整髪料を大量に使って仕上げられたリーゼントに、派手な黄色いスーツを着こなす咲澤はニヤリと笑みを向けながら押さえ付ける様に2人を見据えた。
吉村は予想通りの展開にも関わらず、咲澤の迫力に押されて俯きがちで顔を真っ赤にしている
『各課長も手塩にかけて育てた社員を手放すのは忍びないだろうけど、俺も中途半端にその社員を預かろうなんて思っちゃいないぜ・・・』
咲澤は今度は櫂の表情を正視してから、櫂の反応を待った。
『どうや・・櫂?』
河上も櫂の言葉を待つ
『それは、俺が決める事やないです! 中途半端に預からんと聞きました・・ならば後は吉村の意志です!』
『即答するんだな・・』
咲澤は櫂に確認するように問いかける
『簡単に物でも手放すように聞こえましたか?』
表情を変えなかった櫂の眉がピクリと動く
『そうじゃない・・こんな答え方をする課長陣もいるんだなと思ったんだ』
『俺は主任です!』
『そうだった、すまなかったな』
咲澤は河上を見ながら苦笑いを浮かべた
『吉村はどうなんや!』
河上がようやく顔を上げた吉村に問いかける
『はい・・・僕は・・そのっ・・』
『お前の答えを聞いとるんや! ハッキリせんか!』
河上の声に再び吉村は俯いた
『おい櫂、コイツに何とか言ってやれ』
河上は呆れた表情で櫂に振った
『吉村・・何処でもやる事は同じや・・・自分を信じられるなら行け! それが出来ないなら、もう辞めてしまったほうがええわ!』
『おいおい!』
咲澤が辛辣極まりない櫂の発言に慌てるが、吉村は顔を上げて咲澤を直視した。
『・・東京にお供します、精一杯の力で期待に答えようと思います!』
ようやく言い切った吉村に河上の胸のつっかえも無くなった。
櫂と吉村が退出した後の社長室では、咲澤が即座に河上に尋ねる
『何であんな野郎を主任のままにしておくんです?』
『1回断りやがったんや・・・課長昇進の話しを・・』
『断った?』
『おう、言いだしたら梃子でも動かんのや・・・ホンマ往生するで』
河上は溜息を吐く
『河上・・・林葉と森田な、明日にでも課長昇進の辞令を出せ! 今ならすんなりと受けよるやろ』
表情を変えずに発言する中山には、櫂の態度の中に指導者としての芽生えを見た確証があったのである。
『承知しました』
河上は年を跨いだ林葉と櫂の課長昇進騒動に幕を下ろすべく快答した。




