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尖んがりジプシーの航路  作者: 下市にまな
第三章 チーム築城編
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貴子

軽い頭痛を感じながら櫂はエンジン音のするボンネットを覗き込んだ。

昨日の記憶は曖昧であるが、目覚めれば自宅のいつもの布団で寝ていたのだから、きっと夢遊病者のように電車を乗り継いで自宅玄関を潜ったのであろう。


 《全く・・化物みたいな呑み方をする人達やで・・》 櫂は思い出しながら笑顔を浮かべた。


早朝から櫂に磨き上げられた車両は、大袈裟にボディーを揺らしながら定まらないエンジン音を出している。

近所で一人暮らしを続ける初老女性の自宅ガレージに埃塗れで放置されていた車両を安くで譲って貰った櫂は、ようやく車検でナンバーを取得して手元に届けられた愛車と共に、身支度を整えて出掛ける寸前だったのである。



『車のボンネットの中は、そんなに面白いんか?』

 愛犬の散歩から帰った隆明は、ニヤニヤと笑いながら櫂に声を掛ける

『ちょっと、俺は変人やないで・・キュルキュルと変な音が聞こえるから見てるだけや!』

突然の隆明の登場にびっくりしながらも、櫂はどこを目掛ける訳でもなく潤滑スプレーを振り撒いた。


『そんなもんで治るか! タイミングベルトが鳴いとるだけやろ』

隆明は櫂の足元に並べられたスプレー缶の一つを拾い上げると、櫂を押しのけてタイミングベルト目掛けてシュッシュッと数度だけ散布した。

『おお~、 キュルキュル音が無くなったわ!』

 隆明の意外な一面を発見しながら、櫂は嬉しそうにボンネットを閉めた。


『気を付けて運転しなあかんよ!』 自宅前で物干し竿に布団を架けながら泰代が笑う。

『彼女のお母さんの具合はどうや?』 泰代に続いて隆明は神妙な顔を向けた

『うん・・今日から正月明けまでは一時帰宅出来るみたいや・・』

『そうか・・お前がシッカリ見てやらなあかんぞ! それと、落ち着いたら一度は彼女の顔を見せてくれよ・・』

『わかった、ちゃんと紹介する・・・そしたら俺はもう行くで』


『いつ帰ってくるんや?』 車に乗り込む櫂に泰代が慌てるように聞いてくる

『うん、遅くなるけど今日中には帰るから・・』 櫂はそう言い残すと車を発車させた。


『あの車、大丈夫なん・・あんたの車、貸してあげれば良かったのに・・』 曲がり角で見えなくなった櫂の車両は、再び小さなキュルキュル音を響かせて遠のいてゆく。

『自分の面倒は自分で見る年齢や! 放っとけば良え・・ それよりも、一度きちんと彼女のお母さんに挨拶をさせてもらわんとな・・』

『そうやね・・状況が状況だけにタイミングが難しいわね・・』

『タイミングな・・・』

考え込む隆明の手元を見て泰代が驚いたように叫ぶ 『あんた! それ、防虫スプレーやないの!』



 『なんて天気の良い』

底冷えのする朝が続いた年末であったが、一時帰宅を許された日の病室には日光が心地よい暖かさを運んで来た。

『お母さんはまだベットで待ってて・・ 邪魔なんやから!』

 優里が一時帰宅の手続きに行っている間に、優華は手際よく荷物を纏めている。


《優華もしっかりしたもんやわ・・・》

女手一つで2人の娘を育ててきたが、つい最近まで子供っぽさが残ると感じていた優華の凛々しい横顔を眺めながら、嬉しさと小さな寂しさを感じる。


『荷物は準備できた? 手続きは終了したから・・そろそろ櫂ちゃんも到着する頃よ!』

 優里が笑顔で病室に戻ってきた。


 《糸の切れた凧みたいなこの子も、もう大丈夫かな?》

突然の大学退学に海外留学・・・そして考えもしなかった営業職と、まるで線路のない路を彷徨うような長女も気付けば恋人が出来て少しは落ち着いてきたのだろう。


『おはようございます!』 柔らかい視線を此方に向けて入室して来たのは、優里の恋人の櫂である。

《荒削りだけど、頑固さと優しさが同居してる良い笑顔の青年・・》 

どちらかと言えば、精神的に強い優華よりも、優里と知り合ってくれて良かったと安心する。

身支度を整え終えて、久しぶりにベットから降り立つ足はいつもの数倍の重力を支えているように感じた。

『ゆっくりでいいですからね・・』 両手いっぱいの荷物を抱えながら、青年は優しく語りかけた。


 目眩は随分と治まっていたはずであるが、車の窓越しを流れる久しぶりの外界の景色は少し慌ただしく感じる。

それでも自分の家に帰れる高揚感は多少の疲れを吹き飛ばした。

青年の運転は急制動を避け、少しの段差も避けながらゆっくりと走り続け、やがて懐かしい江坂の景色が目に飛び込んでくる。

『ああ、やっぱりこの空気が好きやわ~』 藤田貴子は窓を開放して外界の空気を思いっきり吸い込んだ。

『ちょっとお母さん、こんな排気ガスだらけの空気を吸い込んだら体に悪いよ~』

 助手席の優里が振り向きざまに咎めるが、貴子はその身に風を受け続けた。


 『じゃあ先に部屋に入っておいて下さい、俺は車を駐車させたら荷物を持って上がりますから』

 自宅マンションの玄関ホールで青年は笑顔を見せる。

娘達に支えられながらようやく辿り付いた我が家は、懐かしくもあり、時間が止まったままのようにも感じる。

4週に渡る抗癌剤治療を終えて、体調は万全ではないが最悪の嘔吐感や頭痛に苦しんだ状況は脱しており、少しの期間の帰宅は充分に楽しめそうである。

抗癌剤治療の成果は自分自身では全く理解していない、そもそも自分の癌に対しての自覚症状自体も察知しない程に信じられない闘病生活の開始であった。


『お母さん無茶はやめてよね・・2クール目の治療もあるんだからね』 

 心配性の優里が早速に釘を刺すような視線を向けてくる。

『大丈夫よ、今日はゆっくりこの家で休むから』

『今日はってどういう意味よ!』 優華も姉に続いて厳しい目を向けた。

『まあまあ二人共、おかあさんの出来る範囲で羽を伸ばせるように考えないと・・』 

いつの間にか大荷物を抱えたままの櫂が笑顔を向けてくる。


『俺は今から買い出しに行きますから』 櫂はそう言うと又もや風のように外に飛び出してしまった。

《気を遣わなくても・・あんたも私の息子のように思ってるのに・・》

貴子は水入らずの時間を与えようと飛び出す櫂の後ろ姿を見ながら、愛おしい我が子達の未来を少しだけ想像していた。


山ほどの食材を抱えて帰ってきた櫂は、ドサリと食卓の上にそれを乗せると

『何をたべましょっか?』 と、屈託なく言ってのけた。

『冷蔵庫に入りきらないんじゃない~』

優里が食材を物色しながら文句めいた口調で言うが、櫂は入りきらない分は今日食べてしまえば良いと言いながらガサガサと袋から食材を取り出した。

『優華も手伝って~』 姉に呼ばれて優華も部屋から出てきたが、あまりの食材の量に苦笑いを浮かべる。

『じゃあ暖かいお鍋でも作ろうか?』 優里の提案に貴子は大袈裟に拍手をして喜んだ


『櫂ちゃんはこっちでテレビでも一緒に見とき!』

 2人の娘がぎこちなく料理する様子を見ながら、貴子は櫂を手招きしてリビングに呼び寄せた。

『いえいえ、俺は意外と料理出来るんですよ』 袖を捲くりあげながら櫂は笑ったが

『うん、料理は今度の機会でいいから・・・それより話があるのよ』

『話し?』 櫂は不思議そうな表情を浮かべて貴子の座るソファーの傍らにあぐらを組んで座った。


『年が明けたらね、近いうちに櫂ちゃんのご両親にご挨拶に伺いたいと考えているの・・いつまでも櫂ちゃんを勝手に息子のように扱ってたらご両親にも申し訳無いしね』

突然の貴子の話に姉妹も料理の手を止めて振り向いた。


『それなら、俺が両親を連れて来るのが筋だと思います』 櫂も真剣な表情で答える

『ううん・・・私がどうしても足を運んでご挨拶させてもらいたいの・・・・私の一時帰宅期間中にご都合の良い日があれば聞いておいてくれる?』

『でも・・』 

 突拍子の無い貴子の提案にどう答えて良いか櫂は思案する。

いずれはきちんと挨拶させてもらわないと、とは考えていたが、まさか優里の母親から足を運ぶと言われるなどとは考えが及ばなかったからである。


『優里もいいわね・・・じゃあ櫂ちゃん、日程の調整は任せたから』 

 そう言うと、貴子はテレビを見て声を出しながら笑った。


顔を見合わせる櫂と優里を交互に見ながら、優華は可笑しそうに料理を再開した。


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