ホール入り
オレンジ色のマッハ1は冬の京都をV8サウンドを轟かせながら疾走した。
『次の信号右ですから車線を寄せといてください・・いや~気持ちいいな~』
『そうやろ、この感覚が最高なんや!』 中年男性は照れた顔を誤魔化すように大声で答えた
『方向音痴のあなたが、こんなナビも無い古い車で来るもんやから30分も迷うんでしょ』
奥様と見受けられる女性が後部座席から笑顔で投げかける
『そうそう、お父さんは道を覚えられないんやからベンツで来れば良かったんよ! トークショーに遅れちゃったらどうするのよ!』
今まで大人しかった娘も母親に便乗して不満を漏らした。
『仕事の無いこんな日しかコイツを走らせてやる事が出来んのやからしゃあないやろ!』
ふてくされ気味の中年男性は奥さんと娘には弱いようである。
『大丈夫ですよ、充分に間に合いますから・・・俺だって間に合わないと洒落にならないですしね』
櫂は後部座席の2人に笑顔を向けてOKサインをつくって見せた。
『ところで俺は森田って言いますけど、おじさんはコウ・カタヤマのファンなんですか?』
『阿呆な・・・儂には全く絵の事なんか理解出来んわ・・嫁が昔から好きで画集なんかを本棚に並べとるけど・・娘もその影響で見てみたいと儂が駆り出された訳や』
『そうですか~、道楽者の罪滅ぼしですか!』
『お前が道楽者って言うな!』
すっかりファミリーの空間に溶け込んだ櫂を中心に、大きな笑いが拡がった。
布柴と名乗った中年男性は、材木問屋を経営する社長という事であったが、私生活では女性陣に囲まれて肩身の狭い思いをしているのか、息子ほどの年齢の櫂が遠慮なく話しかけてくる事を楽しんでいるようにも思える。
『ほら奥さん、見えてきましたよ来日展会場!』
櫂はこの家族以上に興奮を覚えながら来日展会場を指差した。
『ギリギリ間に合ったみたいです』
丁度ホール入口前では黒塗りのベンツが横付けされており、後部座席から降車する人物に社長の中山が付き添ってホール内へと誘導しようとしているところであった。
『えっ! あれってコウ・カタヤマじゃないの!』
後部座席から奥さんが乗り出すように大声ではしゃいだ
『儂には只のおっさんにしか見えんけど?』
『ホンマですよね~』 櫂もしみじみと布柴に同意する
『お前はそんな事言うたらあかんのちゃうんか?』
『それもそうですけど、始めてお目にかかるもんですから仕方ないでしょ~』
布柴はやれやれといった目で櫂を見たあと 『お前は補欠の雑用係みたいやから、まあええか』と笑った。
黒塗りのベンツを囲むように手の空いた営業マンが出迎えに並ぶ花道を、コウ・カタヤマは照れくさそうに低姿勢でお辞儀をしながら進んで行く。
《画家さんってもっとムッツリしたイメージを持ってたけど、何か一般的やな・・》
櫂は駐車スペースに向かうマッハ1の窓越しに、始めて見るコウ・カタヤマをぼんやりと眺めていた。
緊張の面持ちでコウ・カタヤマを迎えた営業マン達がホールに入る間際、布柴はV8サウンドの轟音と共にエンジンキーを切った。
賑やかな出迎えムード後の静寂に、咆哮のようなマッハ1の爆音は自然と注目を集める事になったが、最初に降車してきた櫂の姿を見て誰もが目を疑った。
櫂は続いて降車するファミリーを笑顔でホール入口に案内しながら近づいてくる
『知り合いなんですかね?』 井筒が不思議そうに呟く
『あいつが知り合いなんか引き連れて来るか! 派手なホール入りしやがって!』
桝村は櫂の物腰をみて素早く来場者のエスコートと気付いたようで、『ほら、道を開けろ』と、入り口付近で櫂に注目する営業マン達に指示を出した。
布柴ファミリーは櫂に案内されてホール入り口を潜ったが、入場間際にそこに集まる営業マン達が口々に櫂に対して『お疲れ様です』と挨拶する様子を不思議そうに眺めながら歩を進めた。
『お前、補欠の雑用係とちゃうんか?』
『補欠の雑用係の番長です』 布柴の辛辣な質問を意に介す様子も無く、櫂はさらりと笑った。
『しかし、綺麗な展示会場や! クリスマスツリーまで飾ってあるわ・・新作がこれでもか言うくらいにイーゼル展示されてるやん!』
『なんやお前、始めて見るみたいな事を言うて・・』
布柴は櫂のはしゃぎように疑問を抱いたのか、どういう事なのかといった表情を浮かべた。
『俺・・今日というか・・今、始めてこのホールに入れたんですよ!』
『やっぱりお前、相当な雑用係やったんやな~・・まあ良かったやないか』
『ええ、ありがとうございます、それよりトークショーまではまだ少し時間がありますから、俺がこの展示会場内を案内させてもらいますよ!』
全くアート作品などには興味を持たない布柴であったが、会場内の活況なムードと、屈託ない櫂の笑顔に巻き込まれるように歩調を合わせて歩き出した。
『補欠営業マンの説明では心許ないけど、ここまで案内してくれたんや・・最後まで付き合うたるわ』
『ちょっと、お父さん! 補欠ばかり言うて、森田さんに失礼でしょ!』
奥様が気を使って布柴を窘めた。
『ほうか~、スマンかったな兄ちゃん』
『そんなんどうでもいいですから、さあ行きましょう!』
櫂は布柴ファミリーの先頭に立ちながら、人を掻き分けるように展示スペースに向けて、とうとう念願の第一歩を踏み出したのである。