各々
PM2時・・・
KB京都催事ホール内は学生の賑わいに混ざって、ようやく商談のテーブルに着座して営業マンの話に耳を傾ける来場者が目立ち始めてきた。
『加山、絶対に購買力のある来場者を見過ごすなよ!』 河上は開場から受付に張り付いて営業マンの割り振りを指示する加山に念を押した。
加山も又、櫂と同様に自分の営業よりも催事売上優先で受付の采配を担っており、なだれ込む学生客に混ざる購買力のある主婦・旅行者・平日休みのサラリーマン・OL等を、決定力のある営業マンを優先に振り分ける作業に追われていた。
河上と桝村は会場全体を見渡して常にフォローアップ体制をとりながら、温まり始めた会場ムードから最優先で切り崩す商談が何処かを選別していた。
〔何色マジックが一番多いですか!〕 勢いのある櫂の声が携帯電話越しに響く
〔大声出さなくても聞こえてるよ・・今は赤色ね、送迎バスよりも地下鉄利用での来場が多いわね〕
開場以降から鳴り止まない櫂からの電話で峰山の携帯電話は熱を持ち始めている
〔赤は岸岡チームやから、今は京都駅か・・・ありがとうございます!〕 それだけ言うと櫂からの電話は切れた
《凄いよ・・この時間に有職者をこれだけ掻き集めるとは想像以上だわ・・開場から2時間が経過してるけど、今や10対2~3程度の割合まで有職者が増えてきている・・》
峰山はより正確な情報を櫂に伝える為に、来場者から受け取った配券の集計業務に集中した
『岸岡~、馬場チームから2名を京都駅に回すよう指示を出したから10分後には到着するで!』
額に汗を滲ませた櫂が蛍光グリーンのジャンパーを着込んで、颯爽と自転車で登場した。
『分かりました! 合流後は私が指示して動かします』 岸岡もじんわりと体温が上がって汗ばむ自分を意識しながら笑顔で返答する。
『それとな、作家説明と新作説明に使う用のアプローチブックを作ったわ! 井筒に大急ぎで作らせたから、変更ヶ所の指摘があれば言ってくれ』
櫂は自転車の前カゴに積み込んだアプローチブックの束から2冊を引き抜くと岸岡に手渡した。
『今は京都駅が一番ホットやから踏ん張ってや! 夕方には数名の外回り組をホールに送り出せそうやぞ~ 地下鉄までの導線説明をもっと徹底してくれたら嬉しいで』
それだけ言い残すと櫂はマイクを持ち続けるMC女性に手を振ってから、再び自転車に跨って今来た道を引き返して消えてしまった。
《慌ただしい人やな・・しかしアプローチブックはありがたい・・ 正しく営業で来場者を呼び込む流れを作るつもりやな・・》
岸岡は配る枚数と共に精度を上げようとメンバーを集めてアプローチブックを使用しての配券業務を指導した。
〔丸山聞こえるか・・河原町から四条に2名移動出来そうか!〕
〔はい、この時間なら可能そうです〕
〔頼むわ・・地下鉄への動線を強化する〕
〔徒歩移動ですから10分はかかりますが・・〕
〔OKや・・川田にはそう伝えておくわ・・それと河原町は送迎バスの頻度を上げるから〕
櫂は破れたタイムスケジュールを取り出すと、変更した時間と人数を赤ペンで上書きした・・・
《明日からの精度を上げるには情報収集が全てや!》
各ポイントリーダーへの指示を徹底する事で精度は上昇し始めたが、あまりにも密度の高い業務内容に対して外回り組と派遣MCの体力が持続するかが気にかかる。
各チームの昼食も15分程度で終了させて業務に復帰させているような状態に、明日からの改善点となる課題は山積されているのである。
《とにかく今日のデータ収集で改善点を全部洗い出す!》
櫂は勢いをつけて再びペダルを踏み込んだ。
『これ以上のタイミングは無いですよ』
牧野は満面の笑顔で紅潮して悩む来場者の顔を覗きん込んだ。
ファーストオーダーを巡って池谷・林葉との熾烈な商談合戦の末、口火となるクロージングを切ったのは牧野だ。
『ありがとうございます!』 しばらくの間を開けて牧野の声が会場内に響いた。
《動き出すぞ!》 河上は桝村とアイコンタクトを取ってから、会話の停滞したコンサルタントセールスの商談に入った。
すぐさま牧野に続いて池谷・林葉も成約を掴みとり、新作周辺は瞬く間に成約ムードで盛り上がりを見せた。
成約ムードに便乗して自分の商談を前に進めようとする営業マンに混ざって、糸居は焦る自分を抑えられずに購買意欲を高めきれていない来場者に対してクロージングを打ってしまった。
《あちゃちゃ~》 後方から糸居の商談のフォローアップの準備をしていた桝村は頭を抱えてしまう
《この子はまだ自分のコントロールが出来てないままや・・》
立ち上がる来場者を卑屈な作り笑顔で見送る糸居を横目に、桝村は別の商談のフォローアップ体制に移行する事となった。
時間を掛けて気持ちのフォローをしてあげたいところではあるが、桝村も今はそんな状況ではない。
兎に角、1分1秒がこの来日展の勝敗を分けてしまうほどに他の商談に対しても神経が研ぎ澄まされている。
バックヤードには口火を切った3名に続いて数件の成約が書き込まれ、通常の展示会とは違うハイスピードな展開に糸居はさらに孤立感を膨らませてゆく。
『何処に行くの糸居ちゃん!』 井筒が呼び止める声も届いていないのか?
こともあろうに糸居は配券ジャンパーを着込んで展示会場の外に飛び出してしまったのである。
空調設備に守られたホール内とは対照的に、糸居が飛び出した冬の京都は想像以上の温度差である。
足元から背中に忍び上がる冷気を感じながら、糸居はあてもなく丸太町方面に歩き出した。
京都の何処に向かおうが糸居の居場所など準備はされていない・・それでも糸居は視線を下げたまま歩いた。
頭では理解しているが、それよりも今は来日展会場から離れたかった。
『お前、こんな所を歩いて何をしてるんや?』 5分程歩いたところで、前方から投げ掛けられた声に糸居は我に帰って顔を上げた。
目の前には停車した自転車のハンドルに両肘を掛けて前かがみで此方を睨みつける櫂が居た。
糸居は言葉が見つからずに息を呑んだまま立ち尽くすしかない。
『お客様の次は何を投げ出すんや?』 此方を睨む目とは相反する穏やかな口調で櫂は問いかけてきた。
穏やかな口調であるほどに櫂の怒りが伝わってくる。
『すいません・・・』 糸居は再び視線を落とした
『何に?・・誰に対してのすいませんや?・・ お前が戦いを捨てるのはお前の問題やで』
青白い糸居の表情に反して、寒空の下うっすらと汗を滲ませる櫂は無表情のままである。
『すいません・・・・・』
『もう、はっきりと自分の進む道を選ぶ時やで・・・この仕事が出来るからって別に偉い訳じゃ無い・・お前が逃げる事しか考えられんのなら、もう体裁を取り繕うことに苦しまんでもいいと思う・・・』
『・・・・・』
『俺はどんだけ売れなくてもお前が戦う姿勢を持ち続ける間は助けの手を出す・・でもな・・あきらめて顔を背ける人間は、もう赤の他人やで・・俺達はこの会社に友達を作りに来てる訳や無い・・ 俺達は皆が戦友なんや! これ以上、周囲で戦う人間にぶら下がるような行動は取ったらあかんな・・』
櫂の言葉は感情的に軽率な行動を取ってしまった糸居の後悔を大きく膨らませるだけでなく、容赦なく突き刺さる痛みを与えた。
『10分間だけ自分で考えて答えを出せ・・・諦めるなら逃げるような事をせずにキッチリと辞めろ!
反対に恥を曝け出す覚悟が固められるなら、直ぐにホールに戻って全力で来場者の気持ちと笑顔で向き合え!』
『・・はい・・・』
『俺はお前が抜けたら直ぐに外回りメンバーをホールに送り込んで、そいつにエールを送る!』
櫂はそう言い残すと自転車を反転させて丸太町方向へとペダルを踏み込んだ。
櫂がここまで辛辣な言葉で糸居を諭したのは初めての事であったが、今までも会話の端々で同様の事を繰り返し聞かされてきた事がようやく理解出来る。
《なんて視野の狭い・・・》
糸居は恥ずかしさで体を震わせるしかなかった。
『糸居~ 覚悟や!』 随分と離れてから櫂は振り返って大声でそれだけを伝えて消えた。




