営推
営推(営業推進部)では今日も雑然と書物が積み上げられ、僅かに残るデスクスペースでは峰山が電話連絡業務に追われていた。
『送迎バスの増車手配は確保出来そうかな?』 のんびりとした口調で営業推進部長の佐藤は峰山に確認した。
『何とか出来そうですが、それよりも発電機の台数が確保出来そうもなくて・・井筒ちゃん!』
『はい、発電機5台目まで手配済みです、後1台は別業者の返事待ちで・・』 井筒と呼ばれた若い中途採用後1年の女性社員が書物に埋もれたデスクから大声で返答する。
現状の営業推進部はこの3人体制で全てのチームが開催する展示会場の段取りをこなして来た
ワールドグループ本社から引き抜かれた佐藤はワールドアートの創設期から会場運営の影の立役者として活躍したが、運営規模拡大と共に当然ながら自分のキャパを越える仕事量をこなせる訳もなく、有能な自分の部下であった峰山をワールドグループ本社から呼び寄せたのが2年前である。
それでも人手不足を解消するのは難しく採用募集を繰り返す中で、唯一この激務に順応して生き残ったのは井筒だけであった。
初めての作家来日展まで1週間を切るところまでようやく漕ぎ着けたが、未だに業務に追われ続けている。
『お疲れ様で~す!』
大声の挨拶と笑顔を振りまいて営業推進部の扉を開けて入室して来たのは櫂である。
営業推進部の3人は自然と身構える態勢となった。
営業部に所属するこの青年はここ1週間、夕方になるとやって来ては無理難題を提案して、笑顔で去ってゆくのである。
《まったく・・入り浸りとは正しくこの事やな・・》 佐藤は心で溜息をつきながらも、この青年の登場を楽しみにしている所もあった。
『森田主任、そんなに大声出さなくても聞こえますから』 井筒はそう答えながらも、今日は何を言いに来たのかと内心では身構えたままである。
『うん、携帯電話を最低5台は欲しいんやけど』 櫂は笑顔のまま井筒に提案した
『出たなっ 悪魔の提案!』峰山は可笑しそうにそう言うと『理由を聞こうか』と櫂と向き合った。
『はい、まずは配券の連携が今回は要です、会場から近場の烏丸丸太町まではトランシーバーで対応しますが、人の動きが変動しやすい繁華街までは電波が届きません、そこに配置するポイントリーダーへの指示は分刻みになる事もあるでしょう・・そう考えると今の準備では、闇雲に配りに行けと言う事と等しいでしょ? 俺も各ポイントを巡回するつもりですが、このままでは戦力の半分も出し切れないですから』
そう言うと櫂は井筒のデスクのお菓子をポイっと口にほり込んだ。
『ああっ、また勝手に食べた!』 井筒が即座に櫂を責める
『ええやろ~減るもんじゃ無いんやから』
『食べたら減るでしょ!』
櫂が営業推進部を訪ねてきた当初は、峰山が櫂の意見に対応していたのだが、この青年の理路整然とした理由付けのある無理難題には伊藤も納得するところが多かった
それに下手に提案を跳ね除けると 『わかりました、じゃあ念の為に中山社長に提案してきます』 と社長室に向かおうとする始末である。
思わず伊藤も重い腰を上げて、この無理難題に対応する羽目となっている。
『森田君、今日も恐喝ね』 峰山は楽しそうに櫂を見る
『違いますよ、営業推進部の皆さんなら出来ると思ったから、お願いに来たんですよ』 櫂はサラリとあの日の河上のセリフをアレンジして峰山に返した。
『井筒ちゃんっ、一番安いプランで!』 峰山はそう言ってから井筒を見る
『はいはい・・・』 井筒は不服そうにこの時代まだ普及が進んでいない携帯各社への電話連絡業務を開始した。
『ありがとうございます! 俺からのお願いはもうこれで最後です、3人で食べてください』
櫂は先程から手にぶら下げていたビニール袋に入った、たこ焼きを峰山に手渡した。
『俺そこの店の常連さんなんで、おばちゃんが多めに入れとくって言ってました』 それだけ言い残して櫂は退室してしまった
『これが最後って、サラリと言ってくれるじゃない・・』 峰山がたこ焼きを眺めながら笑う。
送迎バスの追加・立て看板に付ける照明器具と発電機の手配・ミニコンポに付属させるマイク・社員に暖を与える為のカイロ・雨具・・・挙句の果てには道路使用許可の場所変更まで・・言い出せば切りが無い。
営業推進部はどの部署よりも機転・心遣いを要求される業務である。
一つの要素の失念が催事の失敗に繋がる危険性を持つ限り、常にデリケートさを要求されてしまう。
あの青年は時間の許す限り、来日展の成功の鍵となる集客について考え抜いたのであろう
『随分と、引っ掻き回されちゃったな~』 伊藤は櫂が毎日ここで眺め続けていた、書き込みだらけでヨレてしまった地図を見て溜息をついた。