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尖んがりジプシーの航路  作者: 下市にまな
第二章 京都激闘編
30/160

一任

 優里と妹の優華は抗癌剤治療を開始した母親に献身的に付き添った。

姉妹は母親と共に現在までどれだけの苦楽を乗り越えてきたのであろうか・・・ 

櫂は病室で会話を交わす3人を眺めながら誰にも割って入る事の出来ない強い絆を感じ取っていた。

『私のお気に入りの寝衣を忘れずに持ってきてや』 母親はベッドの上から明るい声で優里に指示を出す。

『わかったよ、じゃあ後は優華に任せて私は一旦自宅に戻るよ』 明日からは抗癌剤治療の2週目に入る、必要品を揃えるために優里は病室を出ようと立ち上がった。

『櫂ちゃんもありがとう、気をつけてや』 ベッドに力無く座りながら母親は2人に手を振って見せた。


『今日中に必要な物は全て買い揃えてしまおうか』 櫂は運転しながら助手席の優里に話しかける。

『うん、まずは着替えと・・』 優里は小さなメモ用紙を取り出して何から手を付けようかと考えている。

『それとな、俺はお母さんにちょっと良いカツラを買ってあげようと思ってるんや・・入院しててもお母さんは粋なお洒落をしたいやろ、毛糸の帽子なんか被せられんわ』

『ええ、でも凄く高いよ』

『別にそんな事は気にせんでいいから、あのヘアーメイクの先生に選んでくれって頼んどいて』

『ありがとう、電話で相談してみる』


櫂は明日から再び出張に出る予定である。

拡大計画をスタートしたワールドアートは展示会エリアを関東方面にも進出させ、主要な会場には櫂や林葉が投入されるという事が常態化していた。

井川部隊の解散以降は櫂と林葉は顔を合わせる機会が無く、バックヤードに張り出される各営業マンの売上グラフだけが存在を確認出来る唯一の手段であった。

九州支社も催事の始動を始められるまでに募集を完了したようで、ここからが本番といった所である。

 一通りの買い物を済ませ、再び病院に戻って準備品を運び込んだ櫂は、母親に挨拶をして病室を出た。

『明日から頑張ってね』 優里は病室の外まで櫂を見送って笑顔を見せたが、隠しきれない不安は笑顔で覆われていても読み取れてしまう。

『俺はほっといても頑張るよ・・優里も頑張るんやで』 櫂はそう言うと、優里に背中を向けて帰路に就いた。


『森田主任、凄いですね』 糸居は呑気な顔を櫂に向けて笑った。

『お前はどうなってるんや、もう3日も売れてないぞ!』 櫂は糸居の笑顔を制止して言葉を投げ捨てた。

補佐要員としてどのチームにも属さない櫂にとって、各チームメンバーに売る姿を見せる事が求められる役割であると自覚を持っている。

林葉とは会えていないが、その自覚は林葉も充分持っているはずである。

櫂は自分の売上グラフをマジックペンで書き足しながら、凌ぎを削り合う林葉の成績を見た・・・

 《また売上を伸ばしたな》

林葉とのライバル関係は離れた展示会場の距離に関係なく溢れ出る意欲を櫂に与えたが、糸居の成長が遅い事は櫂の頭を悩ませ続けていた。

《コウ・カタヤマ来日展まで、もう2週間しかない・・》 櫂は糸居の成長を妨げる要因を考えた。

糸居は同世代客にはめっぽう強い、しかも男性客限定である。

それ以外の客層はいくら櫂が攻略のヒントを与えても、すぐに諦めて投げ出してしまう始末である。

増員され続ける中途採用社員には前職で営業を経験した者も多く含まれたが、若い男性客に対しては営業経験のある年上の社員を押しのけてでも接客しようとする傲慢さもあった・・・・・

《キャバクラ売りしか武器がないんやな・・》

中途採用の社員には水商売経験者の女性も居るが、概ねこの手の営業マンはキャバ売りになりがちである。

それなりに経験値のある者がキャバ売りを実践すれば男性客を落とす事はそう難しい事でも無い。

事実、瞬間的に売上を伸ばす新人の女性営業マンもいるのである

大概は後の売上が続かずに、良くてコンサルタントセールス止まりであるが、大きく成績を崩す事もない。

自分より若い糸居には、そんな連中と同種にはなってもらいたくないと櫂は考えている

 やはり商売には【筋の通った正義】が必要である、本当に購入したい・所有したいと思わせてあげる事がお金を出して戴く営業の最低限の責任である。

満足の対価としてお金を受け取るのが当たり前の姿なのだ

ボディータッチを繰り返し、女性と話せる満足の対価として絵を押し付けるのであれば、営業マンも購入客も最初からキャバクラで話をすればよいのである。


 櫂に咎められた糸居はシュンと項垂れてから『すいません・・・』と言葉を漏らした。

『すいませんは、お前が諦めて投げ出してしまったお客さんに言わなあかんやろ』

『はい』

暫く糸居は元気を無くしていたが、来場した若い男性客を見つけると嬉しそうに『いらっしゃいませ』と接客に就いて姿を消した。

《弱点と向き合う勇気が無かったら、俺にはどうしてあげる事も出来んぞ・・・》

安易に自分に慣れ親しませてきた事が、真摯にアドバイスを受け入れさせない心理を造り上げたのか?

櫂は糸居の限界が見えてしまった様で、諦めがよぎる頭を抱えるしかなかった。


 『なんや~櫂! 今日も無愛想な顔しとるのう』 悩む櫂の顔を見ながら河上が突然姿を現した。

河上の後ろには峰山も同行している。

『どうしたんですか?・・今日は課長会議のはずじゃなかったんですか?』

月に一度のペースで定期開催される課長会議で今日は各チームが課長不在のまま営業を展開している。

当然その会議には河上も峰山も出席しなければならないはずなのだ・・・ましてやコウ・カタヤマ来日展は2週間後に控えているのである。

『今日はお前に重要な頼み事があって来たんや』 河上はそう言うと櫂を展示会場の側にある喫茶店に連れ出した。

『実は一週間前にようやく来日展の会場と本契約を結べてね・・今日から既契約者のお客様には案内状の送付が始まってるの・・・それと配券ジャンパーも新調して追加発注した・・勿論道路使用許可の申請も完了してる』 峰山は席に着くと同時に説明を始めた。

『はい・・・』 櫂にはいきなり説明を始める峰山の趣旨が掴めないままである。

『それでね・・開催会場が此処になる訳よ』 峰山は地図を広げて櫂に開催会場を指し示した。

京都は櫂も展示会で何度か訪れている地でもあり、おおよその土地勘はあったが、峰山が指し示した場所は京都駅や繁華街のある四条・河原町近辺からは大きく外れた場所にあり、開催地周辺は古くからの住宅と京都御所が大きくスペースを占拠していた。

『何だか、随分と北の外れで開催するんですね・・・』

『うん、開催会場は京都では知名度のあるテレビ局【KB京都】の催事専用ホールで、広さは約800平米・・会期は月曜からの1週間でラストの日曜日がクリスマスよ』

『へえ~』 やはり櫂には峰山の趣旨が理解できないままである。

『そこでお前にしか頼めない事があって、今日は俺と峰山が此処に来た訳や』

河上は真面目な顔を櫂に向けた真剣な空気は瞬間的に櫂を身構えさせた

 『俺に出来る事であれば・・・何でしょうか?』

『お前しか出来ないと思うから、俺はお前に任せると決意を固めて来たんや』

『内容を教えて下さい』

『この来日展の会期中はお前に外回りの集客を全て一任する・・来日展ではお前は接客業務を一切出来ない事になるやろう』 河上はそう言うと再び櫂の目を覗き込んだ。

想像外の展開に櫂は河上の言った内容を何度も頭の中でそしゃくする作業を繰り返した


『会期中の達成目標は1億の設定や、それに対して戦力となる営業マンは20名足らず・・後の営業マンにはそこまでの売上は期待出来んのが現状となる・・それはお前なら解るやろ・・・新人の営業マンを含めてアシスタントアドバイザーは全員お前の指示で動かしてくれ』

『ワールドアート最初の来日展は絶対に失敗出来ないの・・集客対策は市営地下鉄と京阪電鉄に中吊り広告を1週間前から掲示するし、今回は派遣で配券補助をしてくれるコンパニオンも10名確保したの・・』 2人は黙り込む櫂を見ながら、どのような返答を出すのかと様子を伺った

『そういう事ですか・・・・勿論やらせていただきます! 京都市内全域が配券対象なんてもう二度と経験出来ないですから』

林葉とトップの座を競う櫂があまりにもあっさりと返答を出すので、河上は重ねて確認を取る

『お前に成功がかかってるんやぞっ 社運を全てお前に預けると言ってるんや!』

『わかってますよ、でも俺しか出来ないと言われたら断れないやないですか・・・恐喝ですよ・・』

 河上と櫂のやり取りを見ていた峰山は緊張感漂う会話の中でも、可笑しさが込み上げて来るのを抑えられない。

《この2人、仲悪そうだけど本当は相性めちゃくちゃ合ってるんじゃないの?》

この後、櫂は今のうちに営業をしておきたいのでと言い残して峰山から地図を奪い取ると、そそくさと喫茶店を出て行ってしまった。


 営業マンは自分の営業成績で生きてゆく為の飯を食べるのだ、櫂が受けた仕事は1週間他人の為だけに働けと言うようなものである。

狩人が森に入って1週間、狩りをせずに他人の狩りの為だけに右往左往して働く事に等しい事だ。

 既存の営業マンよりも遥かに若いこの青年は、馬鹿が付くほどのお人好しなのであろうか・・・・・?

それとも、個よりも輪を見渡せる先見性を持った逸材となるのであろうか・・峰山は河上を見た。

『俺達は全力で成果を出す事に集中しようや・・あいつもタダでは転ばんつもりや』


河上の言う通り、櫂は考えていた

まだ未発掘の原石であるアシスタントアドバイザーと一週間も苦楽を共に出来るのであれば、その全員を観察する絶好のチャンスである。

《次のステップに繋がる最初の一手や・・》 櫂は一任された事のプレッシャーを覚悟に変換させた。


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