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尖んがりジプシーの航路  作者: 下市にまな
第二章 京都激闘編
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クラック

 『優里、ファミレスで飯でも食ってから帰ろうか?』

『うん、私お腹ペコペコ~』初めてのデートで伊勢まで遠出のドライブをした櫂は、優里の自宅マンションがある江坂のファミレスで食事をしてから送り届ける事にした。

『何にしようかな?』櫂が呑気にメニューを選んでいると、 『えっ、嘘~』慌てた様子の優里がメニューで自分の顔を隠すように首をすっ込めた。

『どうしたん?』

『お母さんが窓際の席で食事してる~』優里は顔を赤らめて窓際を指さした。

 櫂が窓際を確認すると、既に此方に気づいた母親が満面の笑顔で手を振っている。

『ホンマや!、挨拶しとこ』 櫂はすぐに立ち上がった

『え、挨拶するの!』 優里は慌てて櫂の後を追ってくる

『ご無沙汰してます森田です、あの・・優里さんとお付き合いさせていただいてます・・今日は伊勢まで行ってきました、遅くなってすいません』

『あら~、この方が優里ちゃんの彼氏さんなの? いい男じゃない~』 母親と同席していた友人であろう男性? が櫂をチラリと見てからそう言った。

『優里からは聞いてるよ、櫂ちゃん! 優里を宜しくね』母親はそう言うと豪快に笑った。

『はい、此方こそ宜しくお願いします』 櫂はそれだけ言うと優里を引き連れて席に戻った。


『俺、観察されてたな・・』櫂はようやく緊張の取れた笑顔で優里に話しかけた。

やはり、人相手の商売で2人の娘を育て上げてきた母親の友人だけあって、目の奥に潜む観察眼を無視する事は出来なかった。

『あの人はお母さんの大親友で、腕利きのヘアーメイクさん』

『ふ~ん』 櫂がもう一度窓際を確認すると、既に二人は席を立って帰るところであった。

『ごゆっくりね~、お似合いよ~』ヘアーメイクの男性? はそう言ってから上品に手を振った。


『そしたら、明日は会社で会おう』櫂は優里をマンションに送ってから車のキーを捻った。



人吉チームは躍進を続けて出張先から出張先へと飛び回る毎日であるが、井川と人吉のフォローアップ体制もあり、小倉・糸居の成績数字も400万に近づいている。

林葉と櫂はライバル意識を高めながら、1500万オーバーを我先に遂行しようと凌ぎを削り続けていたが、今回の催事では藤田の躍進が目覚しく一歩譲る形となっていた。

『ありがとうございます~』藤田は既に今日4件目の成約を取り付けて、当月売上を1300万強に伸ばしていた。

『ユリリン恐るべし・・・』

 林葉はそう言ったが、藤田の躍進が自分や櫂の更なる原動力になる事を知っている。

『俺も負けてられんわ』 櫂もすぐさま接客を再開した。

 井川は他チームと比較して明らかに戦力差を付けているメンバーの様子を見ながら、そろそろ時期なのだと決意を固めていた。


 『しっかり食べなあかんで櫂ちゃん!』優里の母親は大きなステーキをテーブルに置いて笑った。

最近では、出張帰りに優里の自宅で食事を頂く事も珍しくなく、今日は明日からの出張に備えて泊まってゆけとまで言ってくれている。

『着替えの洗濯はしといたげるから、櫂ちゃんはお風呂に入りや』母親はそう言うと豪快に笑った。

『俺、ここまで親切にしてもらって良いんやろうか?』櫂は優里の部屋でゴロンと寝そべって優里に聞く

『お母さんはハッキリしてるから、櫂ちゃんを凄く気に入ったと思うよ』優里は母親の話をする時は本当に嬉しそうな顔をする。

『それにね、この前のヘアーメイクの先生もね、櫂ちゃんの事を意志の強そうな真っ直ぐな子ってお母さんに褒めて伝えてくれてたみたいだしね』

《あんまりハードル上げられても・・・いいやそれに答えられるようになろう》 櫂は優里の母親に感謝しながら、もっとしっかりした人間にならなければと考えていた。


コウ・カタヤマ来日展まで後1ヶ月強となり、井川部隊は当月最後の出張催事の搬入作業に追われている。

突然の事であった、重量物が倒れたような大きな音と共に『痛いっ!』と小さく呟く優里の声がした。

声の方を振り返ると、優里が利き手の指を抑えて蹲っている。

『どうしたっ』慌てて櫂が駆け寄る。

『うん、少し考え事をしちゃったから・・・』脂汗を滲ませた優里が元気なく呟いた。

今日は朝から様子が変だとは思っていたが、兎に角今は治療が優先である。

優里の中指は倒れたディスプレイパネルの柱に挟まれて曲がってしまっていた。

《折れてるな・・》 櫂はすぐに自分が病院に連れていきますと井川に報告し、優里を準備中の会場から連れ出した。

優里は櫂に支えられながら力なく歩いたが、ポロポロと涙を流して座り込んでしまった。

『痛いんか?』櫂は宥めるように聞く

『ううん、お母さんがね・・・肺癌って診断されちゃった・・・私・・もう一緒に仕事は出来ない・・お母さんの側にいてあげないと・・』

《・・・・嘘やろ!》

櫂は目眩のように視界が暗くなるのを感じたが、すぐに優里を支えて立ち上がった。

『ずっと側におったげたらええんや、俺も出来ることはする!』 予想できない展開に櫂の思考は追いついていないが、優里が母親を想う気持ちは痛いほど理解出来るのだ・・・・そうだとすれば自分に出来る事はそれをどんな形でもサポートする事しかないではないか。


結局、骨折と診断された優里は自宅に帰る事になったが、櫂から事情を報告された井川と帰宅前に話し合い、母親の看病の為に退社する事が決まった。

あまりに急激な優里の退社は、林葉や人吉にもなかなか実感を伴わせない出来事のようで、

『嘘やろ・・あの元気なお母さんが・・』 正しく絶句するしか無かったのである。

『ちゃんと帰れそうか?』 帰宅する優里を最寄駅まで見送った櫂は穏やかに聞いた

『うん、少し落ち着いたから帰れそう・・櫂ちゃんごめんね・・』優里は俯いたまま櫂の手を握った。

『何がごめんや? 俺も仕事じゃない時間は全力でサポートするからな!』 櫂は優里を見送った。


 井川部隊にとってはあまりにも大きな存在が欠落し、メンバーの士気は下がるのみであった。

林葉も人吉も寂しさを隠そうともせずに落胆したが、優里が辞職を選択するしかない事情も痛いほど分かっているのだ。

『私達が今まで積み上げてきた絆は壊れるものじゃない!』 林葉は自分を奮い立たせて明日からの催事に備えようと演じて見せた。

藤田優里の欠落はメンバーの心に大きな風穴を開けたままにしたが、井川部隊がこれから辿るであろう道を予感させる最初のクラックだったのかも知れない。


 井川にとっても藤田の退社は痛恨の極みであった。

ここに至るまでにありとあらゆる方向で拡大路線を模索し、ようやく展望が開けてきた矢先の出来事であった。

だが此処で足を止める訳にはいかない・・・・大きな転換点がもう目の前まで近づいてきている。


《今日、伝えよう・・》 井川はメンバーを宿泊先ホテルの自室に集合させたのである・・・・


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