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尖んがりジプシーの航路  作者: 下市にまな
第二章 京都激闘編
26/160

濃度

 『ちょっと! 櫂、あんたネクタイ忘れてるで!』 母親は足早に仕事に向かう息子を追いかけて玄関を飛び出した。

後ろ姿だけは立派な勤め人という風格を漂わせ始めた息子だが、振り向いて此方を見る笑顔は未だに子供じみていて幼い頃の姿を思い起こさせる。

『そうやった、ありがとう』櫂はネクタイを受け取ると、それをクルリとマフラーのように巻きつけたまま歩き出した。

『今日は晩御飯は?』櫂の背中を追うように確認する

『俺はいらん、食べて帰ってくるわ』 そう言うと櫂は腕時計を確認してから手を振った。


月間の3分の2以上は出張で自宅に帰ることが無い息子だが、最近は通いの仕事でも帰宅が遅く、食卓で食事をとる機会がめっきりと減ってしまった。

泰代は直感的に息子の巣立ちが近づいているのだと感じていた。

『お母さん! 俺の料理を作らんでもいいからって、手抜き料理で適当に食ったらあかんで!』 櫂は振り向きざまにそう言い残すと、泰代の視界から消えた。


 『ちょとだけ肌寒くなってきたな・・・』 

人吉は大阪茶屋町の商業施設にある催事場の扉を施錠してからスーツの上着ボタンを留めた。

『早く、行くよ~』 早めに展示会場を出て人吉を待っていた3人を代表して林葉が急かす。

小倉・糸居の心境管理の為に先に2人を引き連れて食事に出かけた井川からの電話連絡で、いよいよ2ヶ月後にコウ・カタヤマの来日展が決定した事を知らされたメンバーは、自分達も決起集会を兼ねて夕食をとろうという事になったのである。

『ドテ食い森田君、何を食べたい?』 こういう時は林葉が張り切るのでメンバーは暗黙で従う事にしている。

『やっぱ勝たなあかんから、ここはカツ関連でどうやろ』

『うん~良い、私はジューシーなビーフカツを食べたい~』 藤田は嬉しそうに賛同した。

『違う、俺が言ったのはカツ丼の事や』

『どうせ食べたら一緒でしょ~』 

又もや2人の掛け合いが始まったが、当人達は楽しくて仕方がないという様子である。

『はいはい、じゃあ今日はレディーファーストでビーフカツにしよう、森田君OK?』

人吉が慣れた口ぶりで2人を宥めてから、一行は茶屋町から少し離れた場所にあるビーフカツ店に向う事にした。

『ふらふら歩くなよ』

『森田君はもっと遠慮がちに歩いたほうがいいよ~ 歩く態度がデカイから皆の迷惑!』

 店までの道中も掛け合いを続ける2人に林葉と人吉は目を合わせて苦笑した。

 4人はあまりにも濃度の濃い毎日を共に歩んで来た。

そのせいか掛け合いを続ける2人は、お互いに好意を抱いている事に気づかないままなのであろうか?


『人吉さん、コウ・カタヤマ来日展の開催会場ってどこか聞いてる?』林葉は開口一番に質問した

『うん、京都って事は聞いたけど開催会場まではまだ・・』ビーフカツをほうばりながら人吉が答える

『ふ~ん京都か、全チーム集合で取り組むのは初めてやな』既に料理を平らげた櫂は天井を見上げて呟いた。

『クリスマスに作家来日か~、成功するかな?』藤田はまるで他人事のようである。

『それまでに小倉さん・糸居さんを成長させてあげないと』人吉はチームリーダーらしく3人の顔を見た。

『そうやね、私も協力するわ』林葉も凛とした表情で人吉を見る。

『鬼のジャイ子林葉か~、怖すぎるな』櫂がいつもの仕返しとばかりにからかった。

 林葉は櫂の言う通りチームディスカッションでも、小倉・糸居に対して鋭い指摘をして営業ノウハウを説く事が多く、なんとか早期に成長させてあげたいという気持ちの表れではあるが、それは林葉のレベルに達していない新人2人には酷とも言える時間であった。

自然と真面目な小倉は人吉に懷き、糸居は櫂に懷くという構図が出来上がっていたのである。

『ユリリンっ 森田君が酷い事を言うからどうにかして~』林葉はおどけた怒り顔をつくって見せた。

『う~ん、私も上手く教えてあげられないから男性陣がどうにかしてあげて~ それと、森田君は林葉さんに謝ろうか~』

『はい、すいませんでした・・また忘れた頃に言います』小声で悄気返るふりをする櫂に一同が笑った。


 ビーフカツ店を出た一行は梅田駅方面に歩き始めた

『私この後、彼氏と待ち合わせがあるから』 林葉はそう告げるとさっさと人混みに消えた

『僕はちょっと本屋で探したいものがあって』人吉もやがて姿を消した

『なんや、急にバラバラになってもうたな』櫂は藤田を見る

『うん、急にやね』藤田も櫂をみて笑う

慣れ親しんだ4人の濃度が揮発したように無くなり、そこには妙に新鮮な2人だけの空間が生まれる。

『お茶でも飲んでから帰ろか?』

『うん』 ようやく2人は人ごみの中を歩き始めた。

 街路樹の影では林葉と人吉が2人の様子を伺っていたが、2人が歩き始める様子を確認してから解散した。

本当に手の焼ける仲間だと林葉も人吉も苦笑しながら帰路についたのである。


 アイスコーヒーを飲んで乾く喉を潤しながら、取り留めの無い話しを続けた櫂は藤田の笑顔を見た。

本当は自分自身でも理解していたのかも知れない・・・・それは藤田も同じではないのだろうか?

お互いの好意は言葉よりも先に感覚的なものとなって伝わっていたはずである。

あの時、秋爪に投げ掛けられた言葉の意味も本当は理解出来ていたのだと櫂は思った。

『もう出よか?』櫂はおもむろに立ち上がった

『うん』 いつもと違う櫂の様子と、途切れがちの会話に藤田も何かを察している様子である


《関係ない奴が見たら、俺ってかなり子供っぽい恋愛してるよな》

藤田と並びながら歩く櫂は心の中で稚拙な態度になってゆく自分を感じながらも足を止めた。

『藤田、伝えておく事があるわ』櫂は決意を固めた

『うん』藤田も聞く決意を固めたようである

『ちゃんと俺と付き合うてくれへんか?』

『うん、わかった』

『勿論、結婚するやろ!』

『うん、わかった』

おもわず堰を切って流れ出した言葉は、考えてもいなかった言葉までも引き出す事となったが、不思議と櫂はそれに特段の驚きを感じる事はなかった。


 人との繋がりに色や形は無い・・・・・それでも2人は今日から新しい繋がりをスタートさせる。

この先どの様な道をどの様に歩いているのかなど想像出来ないが、この日の感情を忘れないようにしっかりと心の引き出しにしまい込もうと櫂は今を噛み締めていた。


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