初夏
東海地方全域を網羅するショッピングセンターアプリオ岐阜大垣店で先遣隊としての催事を開催した井川部隊は大成功を収め、無事にちびっこギャング3人組はコンサルタントセールスへの昇格を果たした。
今や3人はワールドアートの確固たる中堅営業マンとして、既存の営業マンも認めざる負えないほどの成長を遂げていた。
人吉・秋爪も3人に感化されるように営業成績を積み重ね、井川部隊はその結束力と営業力で次々と新規開拓店舗を攻略してゆく事となり、東は東海地区から西は九州地区までを転々と旅する状況が続いている。
『私達、最近やたら九州方面の展示会が多くない?』 林葉は新幹線に揺られながら隣に座る人吉に問いかけた。
『そうやな~食べ物も美味しいし、楽しもうよ』 人吉は漫画雑誌のページを捲りながら気のない返事を返す。
『森田君、もう弁当食べるって早すぎでしょ~』 藤田は呆れ顔で櫂の頭をツンと弾いた
『これは朝食やろ、お昼は着いてから食べるんや』 櫂は白飯をほうばりながら藤田に答る。
3列シートに一緒に着座していた秋爪は微笑ましいなと、2人の会話を眺めていた。
ここ最近、櫂と藤田は一緒にいる事が多く、いつもこのような掛け合いを繰り返しているが、当の本人達はお互いに寄せる好意に気付いていないようで、それが秋爪から見ると可愛らしく思えるのである。
井川は先に出張先に向かった5人を追う形で新大阪駅に到着したばかりである。
突然の中山からの呼び出しに応じてワールド第4ビル社長室に足止めされて、5人とは別行動となったのである。
『まだ、時期が早すぎるのではないですか?』井川は絶対服従の中山に珍しく意見をした。
『いいや、時期は思い通りに選べるもんでもない・・足を止める訳にはいかん』中山は強く井川を制した。
『晋ちゃん、これは社運かけての拡大事業の第一歩や・・俺も力添えはするからな』河上は力強い握手と共に井川を見た。
『・・・承知しました』 親が白と言えば黒いものでも白である。
時代錯誤も甚だしいが、こういう社風が強固なワールドグループの礎を築いている事を理解している井川は盲目的にYESの返答を出す事を躊躇わなかった。
《まずは主任への昇進が絶対条件やな・・》 井川の頭脳は中山が押し進める経営方針に照準を合わせてカチカチとフル回転を始めていた。
河上も多忙を極めている、即座に求人誌各社に連絡を入れさせ人員増強の段取りに取り掛かると同時に、低迷するチームへの臨店指導にも足を運ばなければならないのだ。
現状のワールドアートの営業部隊は一重に河上の奮闘によって営業成績を伸ばし続けてきた。
4名の社員採用からスタートし、桝村と力を合わせて莫大なエネルギーを浪費しながら、見事に離陸を成功させたと言える。
井川部隊の快進撃は河上が望んだ結果でもあり、同時にそれは今まで自分が手塩にかけて作りあげた既存の営業部隊の未成熟さを露呈させる事にもなっているのである。
中山も年内の作家来日展を実現すべく、各方面にアポイントを取り連日の打ち合わせに忙殺されている。
ワールドアートと競合する同業他社を排除し、ワールドアートがグローバルスタンダードとしての地位を確立する為には大きなインパクトを世に知らしめる必要性があると考えている・・・・それは同時にワールドグループでの権力闘争を完破する事も意味していた。
多角経営で急成長を遂げたワールドグループの歴史には縮小の文字は無く常に拡大の連続である。
この2年半で順当に売上を伸ばしてきたがそれで認められるほど甘い企業ではないのだ。
『井川部長はどこに行ったんやろ?』人吉は腕時計を見てからシバたいた。
九州エリア【花タウン佐賀店】での営業目標を無事クリアし、搬出作業を終えたメンバーはガランとしたセンターコートで井川を待った。
『佐賀店店長への挨拶なら、私達だけでいいんじゃない』 林葉は早く仕事から開放されたいという口調で人吉に問いかける。
『又、パチンコにでも行ってるんじゃない~』 藤田も人吉を急かすように林葉に続いた。
櫂はこの頃から、初めて面接で井川と出会った時に感じた二面性の正体を察知しつつあった。
先見性抜群の頭脳と中山への律儀な忠誠心を持ちながら、反面その頭脳を博打や女性関係に使う裏の顔がある。
プライベートは好きにしてくれれば良いが、最近は仕事中にその裏の顔が見え隠れするようになって来た。
どうやら奥さんと離婚協議で揉めているらしく、反動が裏の顔を増長させているという悪循環である。
自分を抑制する力が無ければ、周囲の人間の感情を無視するチンピラ舎弟と同種である。
それでも櫂は井川には感謝していた
もし最初の上司が井川では無く別の人物であったら、自分達はここまで自由に成長を遂げられたであろうか?
これが出会いというものであれば、自分はラッキーであったと確信出来た。
5人は売上報告を兼ねたお礼の挨拶を店長に済ませて、ビジネスホテルへの帰路についた。
明日からは催事スケジュールの都合上、久しぶりの3連休が待っている・・・一行は井川の提案で佐賀の嬉野温泉に1泊の予約を取って疲れを癒す計画である。
『じゃあ、明日の朝10時にフロント集合で』 人吉が告げてメンバーは各自の部屋に退散した。
井川がホテルに帰ったのはメンバーが解散してから2時間近く後の事であったが、秋爪はメンバーがいなくなってからもホテルロビーで井川を待っていた。
『井川部長、お疲れ様です』 秋爪は深くお辞儀をしてから井川の目を見た。
『どうした・・・秋爪?』 秋爪の表情に変化を読み取った井川はすぐに秋爪の座るソファーセットの前に着座してタバコに火をつけた。
『はい、報告事項がありまして・・・』 秋爪は淡々と語り始めた・・・
母親の健康状態を確認しておこうとフロントロビー横の公衆電話を使用する為にエレベーターを降りた櫂は、井川に深々とお辞儀をする秋爪の姿を遠目に発見した。
井川はポンと秋爪の肩を叩いてから立ち上がり、此方に向かって歩き始めた。
別に何もやましい事は無かったが、咄嗟に櫂はフロント横のトイレに身を隠して井川をやり過ごした。
井川がエレベーターに乗るのを確認してから櫂は着座したままの秋爪に近づく。
『秋爪さん・・・・』 胸騒ぎを抑えて声を掛ける。
櫂に声をかけられた秋爪は少し驚いた表情を浮かべたが、直ぐに『見られちゃったね』と笑顔になった。
『私ね・・友達が経営する雑貨屋さんを手伝ってくれないかって誘われててね・・』秋爪は櫂に全てを打ち明けた。
『だから、この佐賀の展示会でワールドアートは辞める事になります・・でも勘違いしないでね森田君・・私はこのチームで過ごした期間が一番楽しかったよ・・それに、今より頑張る決心をして次の仕事に取り組むつもりですから』 語り終えた秋爪は晴れ晴れとした表情で櫂を見た。
そんな表情で見られると引き止める理由が出てこなくなるばかりか、浮かび上がるのは送り出す言葉ばかりになってしまう・・・
『秋爪さんが楽しかっただけじゃなくて、僕達も皆・・秋爪さんが居てくれて楽しかったです!』 櫂は言葉を絞り出したが、もうそれ以上は続かなかった。
『ありがとう・・森田君、明日は楽しんでね』
秋爪は明日の朝一番で大阪に帰る予定だと櫂に告げてから立ち上がった。
エレベーターに向かう秋爪の後ろ姿を見ながら、櫂は胸に空洞が出来たような気分に襲われていた。
『ああっ、それからね森田君・・』 秋爪は足を止めて振り向いた。
『藤田さんに、ちゃんと好きって伝えてあげないとダメですよ!』 秋爪は悪戯っぽい笑顔で櫂に告げるとエレベーターに乗り込んで姿を消した。
《藤田に・・・どういう意味や?》
翌日はフロントロビーで秋爪を全員が見送った・・・・
櫂が前日のうちにメンバー全員に事情を説明して見送ろうと決めていたからである。
『秋爪さん・・・』 林葉は人目も憚らず号泣して秋爪に抱きついた。
藤田も目を真っ赤にし、人吉は激しく目をシバたかせながら秋爪の姿が見えなくなるまで見送った。
『よし、そしたら俺達も疲れを癒しに嬉野温泉に向かおうか』 メンバーを気遣って井川が発言するが・・
『出会った時が、お別れのカウントダウンや・・・』喜怒哀楽の激しい林葉は立ち直るのに時間が必要なようだ。
『おいおい、こんな時に重たい言葉はやめよう』人吉も人一倍寂しいはずである。
『大丈夫! 好美ちゃん、温泉で汗と涙は流れるもんだ!』真っ赤な目をして藤田がおどけて見せた。
春に結成された井川部隊は初めての初夏を迎えようとしている。
それを感じる事も出来ない程に目まぐるしい毎日を重ねて、メンバーは此処に立ち尽くしていた。
変わろうとするのは季節だけではない・・
ワールドアートもまた、変化を求めて着々と水面下で拡大計画を準備していた。
この時はまだ誰もが【摩擦と刺激による新生】を推し進めようとする、経営陣の展望を察知する事など出来るはずも無かったのである。




