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尖んがりジプシーの航路  作者: 下市にまな
第一章 新人奮闘編
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 ギャラリー黒鳥の最終日も昨日からの雨が振り続く生憎の空模様となった。

『最終日は搬出作業があるので午後5時までの営業となります・・なんとか力を合わせて昨日のパンクを取り戻しましょう』

人吉は明るく振舞ったが、やはり土曜日の売上パンクはメンバーに重苦しい雰囲気を漂わせた。

ショッピングセンターや駅構内に設置された他チーム会場の売上は、土曜日の来場者の増加に比例して確実に数字を伸ばしていただけに、余計にこの状況の重苦しさを取り払うのに手こずりそうである。

ましてや他会場のチームに必要以上の意欲を出させた要因は、金曜日の櫂達が叩き出した売上数字と言っても過言ではないのだ。

『昨日よりは小雨になりましたから、私はパラソルの下に画集を並べてきますね』 秋爪がまず発言した

『お客様が来場されたら皆で楽しませてあげないとね~』 藤田も秋爪に続いた。

『そうやわ、お客様には私達の状況なんて関係ないんやから』林葉もそれに答える。

『そしたら楽しませてあげられる腕を磨こう、順番でパラソル組とロープレ組で回そうや』櫂も笑顔で皆に話す。


全員が何とか曇天ムードを吹き飛ばそうと、お互いに笑顔を与え合いながら最終日のスタートを切ろうとしたその時、ガラス扉がゆっくりと開いて井川が入ってきた。

『うをっ!』 驚きのあまり人吉が声にならない呻きをあげる。

『人吉! 何やそのうをっ て言うのは』 井川に続いて入室した河上が人吉を睨みつける。

『す、すいません・・突然で驚いて・・・お疲れ様です』 人吉のシバシバは最高潮を迎えたようである。

メンバーも人吉に続いて挨拶をしたが、人吉の慌て様に林葉と藤田は苦笑交じりの挨拶になる。

『頼むぞ~、リーダー!』河上も苦笑交じりで人吉の頭をパチンと叩いて見せた。

井川はその様子を微笑を浮かべて眺めている

 《なんかあの微笑が妙に懐かしいな・・》

おそらくメンバーの誰もが櫂と同じように井川の微笑を受け止めていたのではないだろうか。

上長不在のまま、駆け出しの5人が何とか連携しながら闘って来たのである、ここまでの2日間はほんの一瞬とも感じるがあまりにも長い時間とも感じる事が出来る。


『よっしゃ・・・そしたら河上部長から報告してもらう事がある』 井川はそう言うと河上の後ろに下がった。

 井川からバトンを受けた河上は再び鋭い眼光をメンバーに向けた。

『お前達も周知の通り、俺と井川部長は東海地域進出を賭けて大手のショッピングセンターとの交渉に挑んできた訳やが、その先遣隊としてこの井川チームに最初のトライアルに取り掛かってもらう事にする』

『よしっ!』 思わず櫂が口走ってしまう

『森田よ、頼もしい限りやが責任重大やぞ! 社運がかかっている事を認識せえよ』 そう言うと河上は続けた。

『来月からの催事は各チームのエリア制も取りやめて誰がどこの会場へ行くのかは営業推進部と経営陣が決定してゆく・・責任を遂行出来るチームには、より一層ハードルの高い達成目標が与えられる会場が割り振られるやろう・・この意味が分かるか林葉・藤田!』

『はい、勿論』林葉の表情が引き締まる。

『チャンスって事ですね~』藤田は誰に対しても態度は変わらない。

『・・まあ外れではないな・・それと、お前ら3人は早々にコンサルタントセールスに昇格するよう努力をする事や!・・以上』

 河上の話が終わると再び井川が歩を進めて話しだした

『お前達の活躍は・・峰山からの報告で全て知っている・・よく頑張った・・それでも・・今日の午後5時のゴールラインを越えるまでは全力を尽くせ・・』

 井川・河上の登場は、何時の間にか黒鳥に漂う曇天ムードを吹き飛ばし、櫂達は軽くなった心を武器に当初の戦略通りに動き始めた。


 河上も井川も携帯電話で引切り無しに打ち合わせをして非常に忙しそうであるが、黒鳥を出て会社に戻るつもりは無いようである。

昼前になってもまだ来場者は現れなかったが、パラソル組で立ち尽くしていた櫂は井川に呼ばれて黒鳥に戻った

井川は自分の携帯電話を『満島課長からや』と櫂に手渡した。

一体どうしたのだろうと、不思議に思いながらも電話口に出る 『電話変わりました、森田です・・』

満島は櫂の声を確認すると、『森田君おめでとう、今日木村さんが森田君を訪ねて来場してくれてね・・』

『えっ、木村さんが!』

『そう、森田君の不在を伝えたら凄く残念がってたけど、買って下さいましたよ自由の飛行船!』

『本当ですか!』

『はい、あれからずっと悩み続けてくれてたみたいで、森田君にはくれぐれもありがとうって仰ってましたよ』

『・・・』 

『森田君、聞いてます? それで僕が森田君の名前で申し込み手続きを完了しておきましたから

      メルシーでの売上にはなりますが、定時売上報告は黒鳥で上げてもらっていいですからね』

『ありがとうございます、木村さんにお会いできなくて残念です・・』

『木村さんは次に森田君に会うのが楽しみだと仰ってましたよ、それじゃそう言う事で切りますよ』 

満島との電話は切れたが、櫂は暫く呆然とした様子で携帯電話を眺めた。

『森田、おめでとう』すでに満島から事情を聞いていた井川は微笑で櫂に握手を差し出した。

櫂も握手に応じてありがとうございますと答えたが未だに実感が湧いてこない。

『なになに~森田君どうしたん?』林葉と藤田が駆け寄ってくる

『メルシーの木村さん・・自由の飛行船を買いに来てくれたみたいやわ・・』 ポソリと櫂は呟いた。

『良かったやんっ、おめでとう~!』 閑散とした黒鳥にようやく明るい話題が舞い込んだ事でメンバーの顔にも明るさが取り戻されてゆく。

『森田、もっと喜ばんかい!』櫂の様子を見て河上が割り込んだ

『はい、なんか実感が沸かなくて・・』

『難しい奴やのう、よしっ飯食いに行くぞ! 晋ちゃん、こいつら3人連れ出すけどええか?』 河上は井川の微笑を確認してから櫂達3人を外に連れ出した。

 林葉も藤田も河上との食事は緊張した様子であったが、2人共遠慮無く一番高い天ぷらそば定食を頼んだ、

櫂も2人に合わせて同じものを注文したが心は上の空である。


『森田っ、対面で買ってもらいたかったという気持ちはよう分かるけど、お前が実感持たんのはお客さんに対しても失礼になるぞ』

『どういう事ですか?』 意味が理解できない櫂は河上に聞き直す。

『お客さんはお前の言葉を信じてずっと悩んだ末に、お前を信じて買おうと決心してくれたんや、例え対面でなくとも、お前の言葉はお客さんの心の中で生き続けた訳や・・・買ってほしいだけで並べ立てる言葉も、心底理解して欲しいと発した言葉もお客さんの心に残る。』

『はい』

『お前は自分の言葉に責任を持たなあかん立場や・・物を売るという行為は心に揺るぎない正義が無いと続けてゆく事は出来んのや・・お前達がいるから、絵が世の中に浸透するんやというプライドがあれば今回の事は素直に喜んだらええんや』

『はいっ!』 河上の言葉でいとも簡単に櫂の心の靄は取り払われてしまった。

『ドテチン櫂ちゃんは単純ね・・』林葉の言葉に藤田もケラケラと笑った。

『分かったらええんや、しっかり食って力を蓄えろ』 河上はさあ食えと3人を促した。


 元気を取り戻した櫂の食欲は凄まじく、おまけに野球部で身に付いたの早食いの癖まである。

林葉・藤田が手をつけない食材まで掻き込み、最後は河上が残したうどん出汁にまで手を出した。

『河上部長そのうどん出汁、飲まないんですか?』

『ちょっと! 森田君失礼でしょ!』林葉が嗜めるが、櫂は即座に答えた。

『なんで? 出してくれた料理を全部食わんほうが失礼やろ』 そう言うと櫂は出汁を飲み干して満面の笑顔で

『ごちそうさまでした』と河上に礼を述べた。

『おうっ、気持ちええ食いっぷりや』 河上も珍しく満面の笑顔で答えた。

 食後、藤田はどうしても買わないといけない物があるからと、林葉を連れて雑踏に消えた。


『おい森田、あいつら仕事中に俺の前からショッピングに消えるとはええ根性しとるのう・・』

『はい、2人共心臓に剛毛が生えてますから』 ギャラリー黒鳥に戻ると、2人も程なく帰ってきた。

 結局、最終の午後5時までに来場したのは学生2名のみで、搬出作業に取り掛かることとなった。

誰もが接客出来なかった悔しさを感じてはいたが、同時にやり切った充実感を持てたのは今回の大きな収穫である。


 この小さな展示会では運搬業者に全ての備品を預けるのにさほど時間もかからず、やがてギャラリー黒鳥は重いガラス扉を閉じ、喫茶蛍スペースは元の閑散とした殺風景なものになった。

『ありがとうございます、今回はおいちゃんのお陰で結果を残せました』櫂は礼を述べて、喫茶蛍の鍵を返した。

『まあ・・・又来いよっ』 おいちゃんは 寂しさをそっけない態度で隠して鍵を受け取った。

『おじさん!』 櫂の後方から藤田が呼ぶ声がする。

『こんな小さいのしか用意出来なかったけど、面倒見てあげてね』 集めた洋樽の上には小さな薔薇が飾られている。

《なる程、薔薇を買いに行ってたんや》

『おおきに、ちゃんと面倒見るわな』 おじさんは恥ずかしそうに礼を述べてから、さあもう行けとばかりに『ほな皆、達者で頑張りや』と踵を返した。

『晋ちゃん、こいつら面白いな・・』 河上は傍らの井川を見る。

『まだ大化けするには・・時間が必要やわ・・・協力してもらうで』井川はそう答えてから

『ほな・・帰ろか・・』とメンバーに声をかけて、さっさと歩き出した。


研修から黒鳥までの各メンバーの成績

人吉1件で80万円 ・ 秋爪2件で120万円 ・ 林葉2件で200万円 ・ 藤田3件で200万円 ・ 森田2件で200万円

井川の中で各自の成長を促すための戦略が目まぐるしく駆け巡っていた。


皮肉にも御堂筋を歩く櫂達の頭上には晴れ間が広がり始め、濡れた路面が光を反射する。

黒鳥では自分自身の色んな感情と向き合ったと櫂は思い返してみたが、今はもう思考が働きそうもない。

只、確かな事は営業マンとしての、ぶれない軸のようなものが自分の中に形成されつつあるという実感を持つ事は出来たのではないだろうか。

次はいよいよ本格的なショッピングセンターでの催事である、短く長かった研修期間は終了して、まさしくプロへのホイッスルが鳴らされたような錯覚にとらわれながら櫂は一つ大きなあくびをした。


この心地よい疲労感をメンバーと共有しながら歩く光の路面はどんな未来に繋がるのであろう。


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