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尖んがりジプシーの航路  作者: 下市にまな
第一章 新人奮闘編
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ベクトル

 狭い黒鳥内には低温設定された冷房すら効かない程の熱気が蔓延していた。

過剰にセッティングしたレールライトが発する熱の影響もあるが、結婚式の朝の前に座る若い男性客の額には汗が滲んでいる。


『では、この支払い方法でよろしいですね』  幾度となく決め言葉を口に出してきた林葉は、それでも笑顔を絶やす事なく男性に握手を求めた。

池谷が櫂にアドバイスした押し引きで心理の振り幅を作り、井川が藤田の評価で言っていた小さなYESを取り続けながらたどり着いた佳境である

『はい・・』 男性の手がピクリと反応する

 『ありがとうございます!』 林葉はすかさずその手を掴んだ。

林葉の営業の流れは見事なほどにスムーズに客の心理を誘導したもので、トップセールスの片鱗を伺わせた。

 人吉もギャラリー中央のテーブルセットに女性客を着座させ、林葉の商談の後方から結婚式の朝を勧めていたのだが、林葉の成約風景をうまく利用して相乗効果を狙う。

『えっあの男の人、絵を買ったん?』 水商売風の女性は驚きながら人吉を見る

『ええ、皆さん悩まれますけど 無駄にお金を使うくらいなら残せる宝の1つ位は若いうちに手に入れたいとおっしゃいますね』

『でも80万やで・・』 女性は嘘でしょという表情で呟いた

『はい、だから絵を前にしているこの状況で悩まないと絵のある生活なんて実現できないんです・・・僕がお勧めしないと、家に帰ってからでは、また今度ってなるのは当然でしょう? 今日が最高のチャンスですね、近くで見てみましょう』 そう言うと人吉は、成約済みの林葉と場所を交代して女性客を結婚式の朝の前に座らせた。

藤田は客に絵を選択させるというよりは、相も変わらず藤田ワールド全開の豪腕スタイルで自分の意見を客に擦り込んでゆく事に全力を注いでいる。

 『コウ・カタヤマ作品なら、まずはこの作品を知っておいてもらわなきゃ』

藤田は混み合う結婚式の朝を避けて、少し離れて壁掛け展示されている小型作品【教会の猫】の前に椅子をセッティングした。

『なんだか、コウ・カタヤマ作品にしては落ち着いた色合いですね』 同年代ほどの女性客が藤田に訪ねる

『そうでしょ~、こうゆう作品は見る人の心理で見え方が変わるんですよ~』 藤田ワールドのエンジンのスロットルがいよいよ開き始めた。


三者三様の商談スタイルではあるが、朝一番の接客からの商談率はこの時点で100%である。

通常のショッピングモールなどでの催事であれば商談率100%など有り得ない数字であるが、ここに至るまで散々に苦肉の策を弄してきた井川部隊メンバーは、集中力が桁外れに高まっていた。

【目の前のお客様に良さを伝え切らなければ、次はいつチャンスが巡ってくるかわからない】 その思いが熱気となって、小さな空間内に相乗効果を生み出している。


喫茶蛍スペースでは、秋爪が若い男性サラリーマンをアイブン・ノアール作品の前に着座させて版画説明を始めていた。

『こんな幻想的な絵もあるんですね』 何度か版画展に足を運んだことがあると言っていた男性サラリーマンは興味津々といった表情で作品を覗き込んだ。

『心を落ち着かせてくれる作品って、そうそう出会えるものじゃないですから楽しんでくださいね』 笑顔で返答する秋爪はいつもより遥かに明るい表情で答えた。


櫂も若いカップルに画集を見せて説明を始めた。

巨体をゆすって歩く見るからにガラの悪い男性客は、彼女の前という事もあり余計に横柄な態度をとっているようである。

『今日は平日やけど、何で御堂筋を歩いてはったんですか?』 櫂が男性に聞く

『今日は結婚式の打ち合わせって感じで・・』 横柄な男性の横で気を遣った女性が代わりに返答する。

『なんや~、おめでとうございます! そしたら彼氏さん、もっと嬉しい顔しないと~』 櫂は大きめの声でそう言った後、男性客の肩をバチンと叩いた。

これは櫂の得意分野で、ガラの悪さをアピールしていた男性も意表を突くように距離を縮めてくる櫂に苦笑いを浮かべる。

この手の人間は下手に出たら突け上がるので、あくまでもフランクに対等な姿勢を崩さないのが有効である。

『ちょっと彼氏さん、こんな綺麗な奥さんと結婚するとは人生の半分は成功したも同然やと思ってるでしょ~、なんで奥さんはこんなガラの悪い彼氏さん選んだんですか?』

『おいおい、失礼やないか』 男性客は笑って櫂に答えた。

奥さんを褒めて、ガラの悪さをアピールする客には貴方はガラが悪いと返してあげる。これで最初の警戒心を取り払って、彼氏とも彼女とも距離を縮める事は完了である。

『まあ折角やから、休憩がてらお茶でも飲んで話を聞いて帰ってよ』櫂は2人を自由の飛行船の前に座らせた。

すぐさまお茶を取りに行こうとしたが、なんと峰山が絶妙のタイミングでお茶を運んできた。

『ありがとうございます』櫂は戸惑いがちに礼を述べたが、峰山はウインクをしてその場を離れた。


 峰山はウッドデッキスペースを歩道から写真に収めながら河上の言葉を思い返した

【段取り八分で既に勝負は見えてくるもんや】

確かに、ここまでのスペースを作り上げれば配券が無くとも集客は確保出来る。

櫂がこだわって食い下がった、あの洋樽の上の植物群がなければと想像すると、イメージは随分と変わってしまうであろう。

 おまけにぶっきらぼうな態度の年配オーナーまでが、せっせとお茶のお代わりを秋爪に運んでいるではないか。


【但し、あいつらの残りの二分はあまりにも頼りないけどな】再び河上の言葉が峰山の脳裏に浮かぶ。

《いやいや、なかなかのもんですよ河上部長・・たとえ経験値が浅くとも、個人の成功・チームの成功を意識する事でベクトルが一致している・・  

今のこの子達はそうとう手強いチームだと思いますけどね》

 

商談中の人吉に変わって午前の定時売上報告を入れた峰山は、補足要員としてギャラリーに残る事も報告に付け加えた


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