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尖んがりジプシーの航路  作者: 下市にまな
第一章 新人奮闘編
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黒鳥

 心斎橋ギャラリー黒鳥にたどり着いた一行は、歩道に並んで小さな寂れた雑居ビルを眺めていた。

細く急な階段を上がった小さな踊り場には重そうなガラスの扉があるが、現地で直接ビルのオーナーから鍵を開錠してもらってくれと峰山からは説明されている。

『ビルのオーナーはまだみたいやね』 人吉がポツリと呟く。

早めに到着したせいでまだオーナーらしい人間は見当たらなかったが、林葉・藤田も初めて見る雑居ビルの寂れ具合には躊躇いを隠しきれない様子である。

『ギャラリー黒鳥っていうより、閑古鳥って感じやん』 林葉も小さく言葉を漏らす。

『好美ちゃん、上手いこと言うわ~』 藤田が場を盛り上げようと引きつった笑顔でそれに答えた。

『とにかく、運送業者が到着するまで目の前にあるウッドデッキスペースを片付けとこうや』 櫂が散乱する洋樽を引き起こして一箇所に集めだすと人吉もそれに続いた。

『じゃあ私たちは目立つゴミを集めましょう』秋爪が女性陣の先頭を切って、捨てられた空き缶を拾い上げ始めた。

こうして井川新設部隊のギャラリー黒鳥での活動は開始の刻を迎えたのである。


『あんた達が、ワールドアートの人か?』 

暫く夢中で作業をしていると、足を引きずった男性が現れてそう問いかけてきた。

全く表情に変化がなく不機嫌そうに見えるこの男性はかなり高齢なのではないかと見受けられるが、口調はハキハキとしていて、訝しそうに此方を眺めたあとギャラリーを開錠するからついて来いと全員を集めた。

ガラスの扉に鍵を差し込みながら男性はぶっきらぼうに説明を加える

『明日からは朝の9時に開錠する、夜は7時半に閉錠するから時間は厳守、ギャラリー内の電源は自由に使用可、水道も冷蔵庫も空調も自由に使用可、質問は?』

あまりに高飛車な態度に人吉は面食らった様子で『分かりました』と、答えるのが精一杯の様子である。


『おいちゃんっ、これから下の許可貰ったスペースの掃除しようと思うんやけど下の蛇口使ったら怒るか?』櫂はわざとフランクな口調でこの訝しい男性に問いかける。

男性は人を寄せ付けない雰囲気を演出していたが、それに反して人懐っこい口調で問いかけを受けた事で自分のリズムが少し狂ったのか 『まあ、そこまでは言わんから勝手に使えばええやろ』と投げ捨てた。

『後さ~、喫茶店の壁面に多少は画鋲や養生テープ使うけど、それも怒らんといてな』

櫂はさらにそう続けると男性の返事を聞く前に『おいちゃん、ありがとう』と言ってから、さっさと自分はギャラリー内に入ってしまったのである。

 林葉は櫂のやり取りを見て心の中で《上手い!》と拍手を送った。 

櫂が使ったのは同調という方法である、ぶっきらぼうで気難しい男性に対して一見はフランクに話しているように見えるが、その口調には上手く投げ捨てるようなニュアンスが含まれている・・・・・人間関係を近づけたかったら、相手のタイプと同調するのが一番手っ取り早い。

明るい人に対しては、その人よりも少しだけ明るいタイプで・・・おとなしい人には、その人よりも少しだけ社交性のあるおとなしさで・・・

相手よりも少し上回ったタイプを演じるのは、主導権を握っておく為である。

櫂がこの男性に取ったのはぶっきらぼうで投げやりな態度に対して、それより少しテンポの早いぶっきらぼうで投げやりな態度を演出したという事だ。 

最後の【ありがとう】はNOを出させない為の止め言葉である。

櫂も藤田も対面営業の経験は無かったが、この二人は自分の経験値の中で無意識に人の心理を読める力を身につけてきたのだろうと林葉は感じずにはいられなかった。


今日は閉錠の7時半までに作業を終えてくれよ、と言い残して男性は姿を消した。

『う~ん、凄く狭いね』 藤田が言うのも無理はなかった。

ギャラリー黒鳥は少し大きめのワンルームマンション程度の広さで、白く四角い箱という印象である。

程なく運送業者が到着し、櫂達の指示した物を手際よく支持した場所に運び終えた。

『じゃあ搬入の分担を決めようと思うんやけど、ギャラリー内の設置は僕と林葉さんでやるから、下のウッドデッキスペースは秋爪さんが責任者で森田君と藤田さんも協力して完成させてくれるかな』 

人吉は時計を見たあと、時間はたっぷりあるから頑張ろうと号令を出した。


 ギャラリー内の作品レイアウトは難航を極めた。

ワンルームに毛の生えた程度のスペースに展示出来る作品数は限られており、搬入した作品の大半は一畳分程度しかないバックヤードに押し込んでおくしかなかったが、状況に応じて直ぐに取り出せる状態にしておく必要もあるので、まずは作品の選択に悩まされることになるのである。

『悩むな・・』 人吉は先程から作品リストを見ながら言葉を繰り返した。

『人吉さん、作家はコウ・カタヤマだけか、あともう一作家くらいに絞りましょう・・・バックヤードも優先はコウ・カタヤマで決まりで良いんじゃないですか』

決断の早い林葉は人吉の尻を叩くように、『まずは展示してみましょう』と動き出した。

 喫茶店前では櫂が清掃作業に追われていた。

用意したバケツに水を汲み、ひたすら雑巾掛けを繰り返すが、喫茶蛍が纏った埃はあまりにも強烈に付着しており、それは壁面・ウッドデッキ・洋樽全てにおいて同様であり、櫂はワイシャツを脱ぎ捨てて白いTシャツ一枚になり額からポタポタと汗を落としながら格闘した。

秋爪と藤田はそんな櫂を横目に、本来は受付の長机に巻き付けるのに使用するサテン生地の布をどうレイアウトするか、櫂がこだわった植物をどうレイアウトするかを同じように汗を流しながらシュミレーションした。

秋爪にはディスプレイセンスがあるのか、いろんなアイデアを出してはそれを藤田と協力して形にしてみるという作業である。

何杯目かのバケツの水が真っ黒になる頃にはようやく、ウッドデッキに並べた洋樽が本来の色を取り戻し、その上に秋爪と藤田が観葉植物や造花をうまく散りばめるところまでになった。

何度か様子を覗きに来ていたオーナー男性がその様子を見て『何をするつもりや?』と櫂に問う。

『この場所が今回は肝やねん、せやから蛍にもう一回だけ光を灯すんや』と笑顔で答えるが、すでに汗を吸い尽くしたシャツはびしょ濡れ状態である。

『おじさん、この植物のレイアウト綺麗やと思う~』 藤田が第三者の意見を聞きたいとオーナー男性に問うと

『そうやな、樽と植物か・・・懐かしいわ』とだけ答えたが、櫂もそれに加わった。

『まあ、今回は薔薇を用意出来んかったんやけどな』そう言ってから再びウッドデッキを磨いた。

『薔薇?』

藤田は不思議そうな顔を櫂に向けたが、男性はそれを聞くと暫く思案した様子で、喫茶蛍のドアに鍵を差し込んでそのまま中に姿を消した。

櫂は店舗内を覗いてみたいとも思ったが、今はそれどころではなく清掃作業の手を止める訳にはいかない。

暫くすると、両手にホースの束とデッキブラシを抱えた男性が再び店内から姿を現した。

『何をしたいかは俺は理解できんが、雑巾よりこっちが早いやろっ』そう言って櫂にブラシを押し付けた。

『おいちゃん、これ貸してくれんの?』驚いた櫂が問いかける

『久しぶりにこの蛍の事を思い出しただけや、ここのナポリタンは美味かったんや』と初めて笑った。

『そうやな、ケチャップがやたら多いやつな』櫂も笑顔でそれに答える。

それを聞いた男性は少々戸惑った表情を浮かべたが、直ぐにその表情を隠した。

『植物も布も外に出して帰れんやろ、閉錠のタイミングで喫茶店を貸したるから其処に入れて帰ればええぞ』 と言い残してから、足を引きずって姿を消した


デッキブラシが人類史上最高の発明品だと感じるほどに作業は一気に進展した・・・・ホースから流れ出る水はブラシに押されて黒い波となり側溝に流れ落ちた。

日が傾き始める頃には壁面もウッドデッキも木目を取り戻して西日を反射させている。

 秋爪・藤田の演出によるディスプレイがそこに一層の鮮やかさを付け加えた。

上手く壁面の一部を覆い、ウッドデッキの小さな手すりに巻かれたサテン生地はアクセントを演出し、並べた洋樽の上には緑の植物群が活気を与えているかのようである。

秋爪がテーブルセットと歩道沿いに設置した長机に画集を並べて、藤田がテーブルセットの前のイーゼルにクリップライトを設置する。

 『よしっ、人吉さんと林葉を呼んでくる』 完成形を見てもらおうと櫂は階段を駆け上った。

 ギャラリー黒鳥内は外で作業をしていた櫂には眩しすぎると感じるほど複数のレールライトが設置され、壁面には上手く大小の作品がバランスを考え抜かれて壁掛け展示されている・・・・・・テーブルセットは会場の真ん中に一セットのみで、そこにイーゼルは無い。

新作【結婚式の朝】は入口から一番奥の角にイーゼル展示され、その前には椅子がセットされているという具合だ。

『ブレーカーが落ちる寸前までライトを設置したよ』人吉が疲れた表情で櫂に話しかけた。

『どう? 椅子は新作の前、それ以外は状況に応じて展示作の前に持ってゆくスタイル』

林葉も櫂の反応を知りたくてうずうずした様子である。

『めっちゃ良い! この明るさは外ともギャップがあって新鮮やし、この広さでは壁に向かって直接座るスタイルのほうが違和感が無いわ!』

 櫂は随分と二人が考え抜いて作り上げたであろう展示会場を見て、商談イメージを思い浮かべる事が出来た。

『作家はコウ・カタヤマ作品がメインで、アイブン・ノアール作品を2枚だけ選択した』人吉が説明する

『俺もそれがベストやと思う、じゃあ今度は下に作品持って行って、二人の感想を聞かせて欲しい』

櫂は林葉と同様に疼く感情を抑えきれず、人吉に頼んでおいた【自由の飛行船】を抱えて二人を階下へと促した。

 イーゼルに設置した【自由の飛行船】はクリップライトに照らし出されて、より一層の鮮やかさを浮かび上がらせた。

『全く別のスペースと思うほどに蘇ったやん』人吉が驚く

『きれ~い』 林葉もクリップライトの光に浮かび上がる作品を見て満面の笑顔を浮かべる

その様子を見て秋爪と藤田は手を合わせて喜んだ。

来場者に振舞うために此処に来るまでの道中で買い込んだペットボトルのお茶を紙コップに注いで自由の飛行船の前で人吉が『乾杯』と遠慮がちに言うと。

『私達って・・・今日お昼ご飯食べてないよ~』 藤田が思い出したという表情で呟いた。

全員がそれを聞いて我に帰ると、笑いの輪が広がった。

食事も忘れて没頭した初めての搬入作業はこうして無事に完了の時を迎えたのである。

結成僅か4日目の井川部隊はこの段階で急速に結束力が強化されつつあった。


『お前達、あと30分で閉錠やからそろそろ帰る準備をしろよ』 いつのまにか現れたオーナー男性が喫茶店ドアの鍵を開けながら此方に向かって催促する。

『おじさん、今日は色々とありがとう』 藤田が紙コップにお茶を入れて男性に手渡した。

櫂も藤田に続いて礼を述べた 『おいちゃん、ありがとうございました』

『ワシは別に何もやっとらんやろ』 そっけなくそう言ったが、男性は紙コップを此方にクイッと掲げた後で一気に飲み干した。


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