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尖んがりジプシーの航路  作者: 下市にまな
第五章 九州決戦編
156/160

餞別

『納得ば出来ません! どう考えてもおかしか辞令ったい! ATHの数字にしても他の支社の数字の半分以上は天ぷらやった! もう皆も知っとうとですよ!』

 辞令を伝える為に支社に呼び戻したメンバーの中から即座に異議を唱えたのは石本であった。

普段は不平を口にする事の無い石本の憤りは、我先に不満を口に出そうと身構えていた他のメンバーを黙らせるだけの迫力を含んでいる


『何で他の責任者が降格せんで、九州で踏ん張っちょる次長が転勤になるとですか! 九州支社の現状も把握しとらんとですか大阪の本部は! やってられんとです!』

 尚も石本は語気を荒げて櫂に訴えたが、気持ちは呼び戻された山木・納元・本間・椎名も同じである

『それ以上吠えたら自分を落とすだけやぞ・・・確かにATHでの九州支社の実数字は何処にも負けなかった・・その事実にお前達は胸を張って良い・・けど、この辞令を引っくり返すだけの説得力有る数字を今の九州支社は積み上げてないのも事実や・・・文句を言う前には文句を言わさん実績が必要って事や』

『達成数字を切ってるのは他支社も同じやなかですか! 次長が居らんくなったら僕達はどうすればよかです? 次長を信じて踏ん張ってきたとですよ僕達は、岩井も赤柳も東村も他の新人にしてもそうったい!』

『阿呆な事を言うな・・お前等は自分を信じて踏ん張ってきたんやぞ! 仕事は自分の為にするもの・・・たまたま目の前に俺が居っただけの話や・・どうすればええかって? 進みたい・成長したいと思うなら今まで通り仕事に打ち込め! 選択は最初から自由やったやろ? 俺はお前等の成長を無理強いして来たつもりはないけどな・・・・』

 櫂の穏やかな口調が余計に言葉に重みを持たせる・・・

一同はそれ以上の異論を口に出す事が出来ずに理不尽な現実を受け入れるしかなかった


『あんたはいつまで金魚の糞みたいに甘えとるつもりね、九州支社はこの陽子ちゃんがおりますけん! 新しか九州支社でも私が不動のトップセールスとして引っ張ってやります! 』

 俯く石本の肩をバチンと叩いて、本間が沈み込みそうな雰囲気の一蹴を試みる

『私も負けませんよ、課長としての成長はまだまだ途中ですけん! 椎名と力を合わせて仲間を・・闘う仲間を増やして見せますから!』

『はいっ、もっと営業力ば高めて納元課長と上を目指します!』

 納元の決意に椎名も即座に同調し、2人は力強く櫂を直視した

櫂も支社長に着任した当初の納元チームからは想像も出来ない心強さを2人のその視線から受け取って大きく頷き返した

『次長・・』

 山木は静かに進み出ると両手で櫂の手を握り締めた

『やってやります・・負けんですよ』

 山木の言葉数は少ないが、強く握り締められた握力が言葉以上の感情を伝えた

『よしっ! わざわざ集合して貰ったが要件は伝えた・・・各自、明日からの催事成功に向けて全力投球してくれ! 俺の九州支社への出勤は本日が最後になる・・・・今までありがとう! 笑うて解散や!』


櫂の号令でメンバーは支社を後にした・・・

後方で見送る櫂を振り向かずに、全員が真っ直ぐ支社を後にしたのだ・・・ 


《それでこそ営業マンや・・・自分の意志で行け! ・・・・俺も・・》



櫂は手早に支社長のデスクの整理を済ませた・・

樋田と伊月は最後のコーヒーを入れて櫂の整理作業が終わるのを静かに待った

『よしっ・・・俺って荷物が少ないよな・・簡単に鞄に詰め込めてしもうた・・』

 場を明るくしようと砕けた表情で櫂がおどけてみせる

『森田次長、本当にお世話になりました・・・凄く楽しい時間をいただきました』

『私もハラハラドキドキした事務職なんて初めてでした・・・お礼を言い尽くせないです・・』

 コーヒーを差し出しながら、樋田と伊月は堰を切ったように櫂に挨拶の言葉を送った

『2人には本当にありがとうを言わないとアカンな・・・樋田と伊月が支えてくれんかったらとっくに拗ねてた・・いつもそっとアシストしてくれる安心感があればこそ、俺も無理な動きが取れたんやな・・ああっ、それとな・・デスクの引き出しの中に残ってる物は2人で処分しといてくれるかな・・そしたら・・そろそろ行くで!』

 櫂は飲みかけのコーヒーを残したまま、いつもと同じ振る舞いで支社の出口に向かった

樋田と伊月もいつもと同じ後ろ姿を見送ったが、やはり櫂も振り向ないままその姿を消した


『わっ、凄い・・・アハハ・・・子供みたい!』

 何げに支社長デスクの引き出しを開けた伊月が寂しさと可笑しさの混在する声で笑う

釣られて引き出しを覗き込んだ樋田も声を出して笑い始める


【樋田・伊月へ・・】

 メモの切れ端と一緒に、引き出しいっぱいのパイン飴が溢れていた


新しい転居先への出立の朝は、知り合った近隣住民の人々との別れの挨拶に追われた

《何と心の温かい人たちに恵まれた生活だったのだろう・・・俺達3人の家族だけでは乗り越えられない事が山程あった・・・》

 令央を介して知り合った家族はいつも出張中の櫂が不在にする寂しさを紛らわせてくれた

面倒見の良い近所の老夫婦には夕食にまで招待して貰い、まるで両親の如く若い夫婦に手を差し伸べてもらった

そして何かと知らぬ土地の事を教えてくれたマンション大家の家族・・・

《いつかは自分達も誰かに手を差し伸べられるようにならなければ・・・》

 櫂の傍らで礼を述べている優里も、きっとそう感じている筈である


『令央ちゃん・・・必ず遊びに来んといけんよ!』

 引越し業者が立ち去り、手持ちの荷物と一緒に車に乗り込んだ家族に老婦人が語りかける

『来るっ、どだいぶするからね~』

 転居の意味など分かるはずもない令央は笑顔を振りまいた

『本当にお世話になりました・・もう出発させていただきます・・有難う御座いました・・』

 窓を開けた後部座席で名残惜しそうに手を振る優里をルームミラーで確認しながら、櫂はゆっくりとアクセルペダルを踏み込んだ


 眠る令央を背中に抱えて何度も歩いた線路脇の小道をゆっくりと進む・・

令央はドライブの始まりに歓喜し、優里は思い出を焼き付ける様に窓越しの景色を眺めた。

小道の突き当たりにある踏切を渡って、南福岡駅の横を通り過ぎれば大きな国道に出る・・・

櫂もその国道に出るまではアクセルをむやみに踏み込まず、惰性で進む車の中で少しの感傷を味わう事にした


『あれっ?』

 突拍子もなく発せられた優里の声に、櫂は思わずブレーキを踏んだ

『急に大声出して、どうしたん?』

『今、通り過ぎた南福岡駅に石本君が居たように見えたよ』

『そんな阿呆な・・・今日はアイツ等は搬入してる筈や・・』

 そう答えながらも、櫂は閑散とした南福岡駅のロータリーへと車を侵入させた


《アイツ・・・何をしとるんや!》

 まさかとは思ったが、改札から続く階段の下でメモを見ながらキョロキョロと周囲を見回す石本が目に飛び込む

『優里、ちょっとだけ待っててくれるか・・・令央もジュースを買ってくるから良え子にしとけ!』

 櫂はハザードスイッチを押すと、素早く車を降りて石本のほうに近づいて行った


『おいっ、こんなとこで何しとるんや? 今日は搬入の筈やけどな・・』

 櫂の声掛けに石本は瞬間的に驚いたが、即座に櫂に向き直って頭を下げた

『搬入に大人数は要らんと山木課長が・・・その、気を遣うてくれまして・・最後の見送り位はさせて貰いますけん・・・間に合うて良かったです!』

『全く間に合うとらへんやないか・・・優里が気付かんかったら俺等は素通りしてるとこやないか』

 そう言いながらも、櫂は見送りに来てくれた石本に笑顔を見せる

『へへ・・すいません・・・それよりも』

 石本は真顔で櫂を見た

『何や?』

『有難うございました・・・本当の事ば言うと、次長の転勤は未だに納得しとりませんが・・仕方なかですもんね・・これからどうすれば良いか僕も皆も迷うとります・・・でもですね・・次長に教えてもろうた事は、新しか子に伝えるつもりでおりますけん!』

『そうか・・・皆に言うといてくれ・・ありがとうって・・・・』

『はい、伝えます・・』

『九州で最初に会うた日から早かったな・・・今日まで・・』

『はい、めちゃめちゃに濃か毎日でした・・・』

『ほんじゃな・・・もう行くわ・・・又どこかで会おうメガネ君!』

『えっ、ええ~!・・最後の最後にメガネ君ですか!』

 大声になる石本に悪戯っぽい笑顔を残して櫂は車に乗り込んでしまった

『今までお世話になりました~、 メガネ君~元気でね~』

 走り出す車の後部座席から、明るい優里の声が別れを告げる


《そりゃあ無かでしょう・・・2人揃って餞別の言葉にメガネ君なんて・・・》

 石本は苦笑いを浮かべながら再び改札へと続く階段を上り始めた


『こ~っちゃっ! じゅうしゅは?』

 笑顔の令央が首を傾げて櫂に問いかける

『うわっ、そうやった! 安心しろ令央・・次のコンビニまで泣かんかったらお菓子も買うたるぞ!』

『父ちゃん誤魔化したよ~悪いね~』

『こ~っちゃ、わるっ!』


 笑顔の車両は大阪に旅立った




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