組織
月に一度の定例開催となる全国会議ならまだしも、ここのところワールドアート本部では度々全国の支社長を集合させての臨時会議が開催された。
《何や急に? 会議が多い企業なんかろくでもない企業やで・・》
緊急の呼び出しに応じて新幹線に飛び乗った櫂は、鞄からノートを取り出すと今後の九州支社の戦力強化に向けたチーム編成に意識を集中した
支社としての達成率は70%前後を横這いのまま推移しているが、営業力強化を打ち出して連日の勉強会を継続してきた事によって、新人社員の中からも戦力として見込めるメンバーが増えているのだ
それと同時に山木・納元の指導力も板につき始め、あと一息で少数精鋭方式の別働隊を3チーム目の戦力として始動させられそうな所まで漕ぎ着けていた
《コツコツと積み上げた力を信じよう・・・それが状況打破に繋がる筈や・・・》
櫂は飲み食いもせずに新大阪までの時間を未来の九州支社を描く事に費やした
《集合時間直前の到着になってもうた・・印象悪いかもな》
新大阪駅からワールド第4ビルへの道中を早足で歩きながらも、櫂はまだ今後の支社の展望を考えていた
『加山・・・俺は伝えたら席を外すからな・・後は責任を持って今後の事を話し合ってくれ』
『えっ?・・・ええ、分かりました』
支社長の臨時会議が開かれる棚橋専用の部長室では煮え切らない表情で加山が棚橋に返答したが、その傍らに立つ課長の村下は棚橋と目を合わせた後も意識的に無表情を装った
『遅れてすいません! 九州支社、森田・・到着しました!』
駆け足気味で支社に向かった櫂は、汗を滲ませて息を荒らげながらも腕時計を確認して安堵した
《ギリギリセーフや・・あれ? 長川次長も荒堀さんも居らんやないか・・》
臨時会議と聞いていた櫂は、参加メンバーである長川・荒堀の不在を怪訝に思ったが、それ以上に社長の中山の姿が見当たらない事に違和感を感じる
『九州支社の現状はどんな具合や?』
全員が揃っていないにも関わらず、棚橋は会議口調で開口一番に問いかけ、棚橋の傍らに着座する加山も姿勢を伸ばして櫂を見た。
櫂は立ったまま無表情を貫く村下の存在にも疑問を感じたが、即座に棚橋の目を見て返答に入った
『現状は達成率70%を横這いしてますが、来月には上方修正出来る材料が揃ってきてますね』
今後の展望を話せと言われればいくらでも説明可能であるが、櫂はこの状況下において熱を持ってそれを伝える気にはなれなかった
聞き耳を立てる棚橋の目には話を解釈しようという意識を感じず、姿勢を伸ばした加山に至っては櫂と視線を合わそうともしていない。
極めつけは無表情を取り繕う村下である・・・明らかに感情を隠す事に神経を使っていると読み取れる。
心の警告音を感じながらも、社交辞令の問い掛けに社交辞令の説明だけを返した櫂は、警告音の意味を探らんばかりにその視線で棚橋の眼球の奥を覗き込んだ
棚橋はタバコに視線を泳がせて櫂の視線をかわしたが、それと同時に衝撃の言葉を口にした
『森田次長は転勤が決定した・・・九州は新支社長として村下が責任を持って引き継ぐ事になる・・今後は加山次長の元で課長として村下のチームを引き継いで貰う・・・社長も承知の辞令や・・九州低迷による降格人事やけど仕切り直しのチャンスを与える・・今後は加山次長の補佐を全うしてくれ』
棚橋は言い終えてから、後は加山と話すべきだと自分は即座に部長室から姿を消した
《・・・・・・・何て下衆な思考や・・ 自分の稚拙さに抵抗を感じる神経も無くしたか!》
苛立ちよりも先に呆れる感情が櫂の思考を支配する・・・
可能性が有るとは考えていた・・・・来日展での実数字において全体売上の25%を九州が占めた段階から・・・
嫉妬と焦りに突き動かされる・・・そんな女々しい判断は下すまいと勝手に自分の尺度で相手を計っていたのだ
九州への転勤を持ちかけられた時よりも、遥かに直接的で思慮深さを感じさせないやり方に嫌悪感すら抱いた
『森田次長・・・助けてもらう事になるわね・・・東海支社の課長陣の先頭に立って色々と指導してやって・・特に人材募集の面では、あんたの手腕を借りる事になると思うから・・』
加山は言い出しにくそうに話を切り出した
《そうなるよな・・俺を抑え込める人事は古株の加山次長しか無いと考えたんや・・・》
加山には全く悪意が有る訳では無い、指示に従っているだけである・・・・
櫂は小さく『ええ・・』と頷いた
『森田次長・・・僕のチームをよろしくお願いします・・・』
村下も話し出すタイミングを計っていたのか、おもむろに櫂に頭を下げながら話しかけてきたが、櫂は目を合わす事無く黙り込んだままそれを聞き流し、村下も黙って部長室を退出した
櫂は突きつけられた二択を選択するしかない・・・・
辞令に従うか・・それともこの職から身を引くか・・・・それが組織である
《俺は見落としていた・・・ワールドアートは社員で作り上げる企業や無い! 俺は雇用されてるだけの一社員・・・この会社は一部の女々しい経営者の持ち物や!》
『・・・何時からですか? 九州支社のメンバーに伝える時間は?・・』
全身を包み込む倦怠感を押し殺しながら櫂は加山に尋ねた
『1週間後・・・早急に対応が必要になる・・・東海支社所属・・けどチームは大阪を拠点に動いてもらう・・募集業務においては名古屋を拠点に活動して貰うから行き来は多くなる・・』
《九州での募集実績から、退職した社員減少の補充に勤しませようと言う魂胆か・・・ 使えるところに便利使い・・・どうせその程度の浅い考えやろ・・・》
組織の存亡の為にひたすらに汗を流した成果は、その組織によって容易く摘み取られてしまったのである
櫂の中に見えていたワールドアート存続へのビジョンは瞬時に潰えてしまい、それに取って代わる風景は皆無であった。
帰路の新幹線内で櫂は九州支社の未来を書き込んだノートを破ってダストボックスに投げ捨てた
《アイツ等は大丈夫や・・・もう自分の考えで行く事が出来る筈・・・自分の考えを見失ったのは俺や・・・》
あれだけ活発であった櫂の思考はピタリと止まり・・・数え切れぬ缶ビールを煽った櫂は混沌に包まれた。
『あれ~? 今日はゆっくり寝てて良いの?』
いつもの時間にけたたましく鳴り響く筈の携帯電話の目覚まし音が聞こえない違和感に優里は首を傾げた
昨日は珍しく酒の匂いを漂わせて帰宅した櫂だが、会話を交わす間も無く崩れる様に眠り込んでしまったのだ
『・・・優里・・今日はちょっと話が有る』
布団の中から返答する櫂の口調は寝起きにしては明瞭である
『起きてたん?』
『明け方に目が醒めてからは、寝れんくなってもうた』
答えながら櫂は布団を跳ね上げて上半身を起こした
『ふ~ん・・・で、話しって?』
『俺な・・大阪に転勤や・・・課長に降格やってさ・・まあ、そこはどうでも良えんやけど・・・』
『そうか~、又、引越し先を探さないとあかんね~ どうせ時間は無さそうやし・・忙しくなるな~』
『騒がんのか? せっかく令央も友達が出来たのに~とか、勝手な都合に振り回される~とかさ~』
一向に優里の会話のリズムが変調しない事に疑問を感じた櫂が尋ねる
『いちいち騒いでたら気力が続かんでしょ! それに昇格も降格も気にもならない・・たかが会社の一部の人が決めた事やん・・そんな事でふらついてたら損でしょ、損・・・らしくないよ! どうせ決まった事なら今までと同じ様に頑張れば良いだけ・・いっそ笑顔で帰ろう・・大阪に』
想像もしなかった優里からの言葉に唖然とするが、追い打ちを浴びせられぬ程に今の自分は萎れた表情をしているのだろうか?
『こ~っちゃ~!』
2人の騒がしい会話に目を覚ました令央が、いつもは居ない筈の櫂の存在に歓喜し大声を出しながら飛び込んでくる
『おおっ、 おはよう令央!・・又、ちょっとだけ大きくなりやがったな!』
『なにしてゆ?』
幼い令央にも、いつもと違う父親の表情が読み取れるようである
《情けない事やで・・・あんな女々しい奴らに踊らされるところやったわ!》
『令央・・父ちゃんは今からお仕事に行く! 母ちゃんと一緒に待っとけ・・・ええか、ピーピーと泣くんやないぞ! お仕事が終わったら父ちゃんはお休みや・・・大阪までドライブやぞ!』
『お~さか? どだいぶ!』
『そうや・・おおさか! 』
櫂は令央を持ち上げて、そのまま肩に乗せたまま出勤準備を整える為に洗面台に向かった
ニヤニヤと作り笑いを鏡に写しながら歯を磨く櫂を見て、肩の上の令央は腹を捩らせながらケラケラと笑った