勝敗
史上最大の来日展・・・
櫂にとっては史上最大の決戦場であり、自分が素晴らしいと感じ、天職と信じているワールドアートの未来を守る為の闘いでもある。
問題提起は勝利した者の口から出た言葉でなければ浸透することは無い・・・
正論であれども敗者が語る全ての言葉は遠吠えにしかならない事を櫂は承知している
ここまでにワールドアート総勢120名の営業マンが積み上げた数字は4億8千5百万・・・
参加する営業マンの誰もが必達目標の5億突破を確実に手中に収めたと疑わず、この広大な催事施設で遂行されたチャレンジが自分達の帰属する集団の輝かしい未来を切り開くのだと舞い上がり、胸を昂ぶらせていた・・・・・少数の経営陣を除いては
あくまでも営業方針の転換を受け入れずに、対外的印象を重視する事に固執するワールドアート社長の中山は胸中に渦巻く不安要素を払拭するかの如く、全体朝礼において営業マンの士気を向上させる事に全エネルギーを傾け、思惑通りの結果を残せない事を確信した棚橋はその中山の言葉を拾い上げながら全体朝礼を締め括ったが、
その視線の先に描くのは、いかに優位に釈明するかという計算と次の波に乗り移る為の計略だけである。
創業期メンバーとなる加山・荒堀、古株社員の長川も、今更引き戻せない時間を潔く諦め、システム売りの量産が唯一残された希望への針の穴であると開き直った。
櫂は周囲の経営陣の表情から各人各様の決意を読み取り、自身も又、闘いを完遂する意志をより強固にした。
『やはり行くつもりか?』
ワールドグループ本社ビル社長室のドアノブに手をかける河上の背中を野太い北浜の声が引き止める
『ワールドアートを簡単には崩壊させられません・・』
振り向く河上の視線が鋭さを増す
『似た者親子とは良う言うたもんやの・・天地が引っ繰り返る結果が無い限りは無駄足になるぞ』
『承知しております・・・だから行かせて貰います・・我が子達のピンチに指を咥えているだけの親など居りません・・』
『好きにせい・・結果に情は無いと肝に銘じているなら行ってこい・・』
『有難う御座います』
河上は静かにドアを閉めた
『次長、もう最終日ですね・・・もっと此処で闘いたか気分です・・』
『夢のような催事でしたけんね、明日からは又・・爺ちゃん・婆ちゃんを相手に接客ったい・・』
『結局、トップとの数字は詰まらんまんま来てしまいましたけんど・・』
相変わらず開場と同時に待機エリア奥に鎮座する櫂にメンバーが口々に語りかける
『何を勘違いしとるんや! 今のセリフは帰り道で言うセリフやぞ! 最大の山場を前に気の抜けた事を言うなら先に帰ってくれて良えからな! 俺は違うぞ・・・トップとの差を今日で埋めてやる! 絶対に気を抜かずに闘い抜く! 思い出作りに来たんや無い! 自分の全てを信じて闘いに来てるんや! 此処で必ず勝利する!・・負けて帰れるか! 明日から俺と出会う爺ちゃん・婆ちゃんに胸を張って本気で営業する為にも自分の成長は止めん!』
誰の目にも明らかな武者震いを見せてから、櫂は嬉しそうに笑顔を浮かべた
『わ、私も闘い抜きますけん・・次長より燃えとりますけんが! 最終日の全体売上げトップはこの陽子ちゃんが掴んでやります!』
九州メンバーの売上げではトップを走り続ける本間が、即座に追随する
『ああ、ズルかですよ本間さん! さっきまでしんみりしよったくせに!』
『そうったい! 本間さんは単純過ぎて卑怯ったい! 僕だって最初から、全開ゴリゴリでやり抜くと決めとったとですよ!』
『静かにせんね! 来場者第一号様が来られたと!』
荒堀に手招きされて待機エリアを出てゆく他支社営業マンの様子を見て、先程から集中力を高めて会話を静観していた山木が叱責する
『山木課長? 今日はやけに真剣やなかですか』
『俺はいつでも真剣ったい・・そして今日は次長にも勝たせて貰いますけんね!
小西唯花は俺が接客しとっても絶対に絵ば買うとりましたけん・・・証明するっちゃ!』
『ええっ! 其処ですか? 小さか男っちゃ~』
即座に山木に突っ込む椎名の言葉に九州メンバーだけでなく周囲の他エリア社員達までが肩を揺らして笑う
九州メンバーの待機エリアでの戦闘前のムード作りは、いつの間にか他エリア社員までを巻き込んでの早朝名物となり、心のアイドリングを済ませた営業マンが慌ただしく雪崩込む来場者を迎える為に待機エリアを飛び出して行く
九州メンバーも負けじと調子を上げ続ける赤柳から順次会場内に姿を消した
櫂はまばらに待機エリアに残る営業マンを眺めながら、最終日の戦略を描き直していた
《中堅社員の営業力が開花した事で、メンバー間の営業所要時間にタイムラグが無くなりつつある・・》
櫂が危惧するのは、タイムラグが無くなる事でタイムリーなタイミングでフォローに入る事が著しく困難になるという現実である
《完全自力を狙える本間・石本・椎名・・・それでも数字の積み上げにはどうしても時間短縮の為のフォローは必須・・・ほぼ同時進行・・しかも、この広い会場内で全てのメンバーの営業進捗を把握する事は不可能・・・下手に潰れる商談が続くとメンバーの士気は昨日までより落ち込む可能性がある・・どう動くのがベストや? あいつらの成長がここに来てアキレス腱になるとはな・・》
『お前はその仏頂面以外は無いのんか!』
現実に意識が無かった櫂に河上の拳骨と怒声が浴びせられる
『痛てっ!』
顔を顰めながらも、視界に飛び込む河上の不敵な笑い顔に問題が解消されてゆく
『手が足りん穴を埋める算段でもしとったんやろうがな、全部を自分で賄おうと言うのがお前の悪い癖や!』
言いながら振り向く河上の背後から、営業マンが抜けて手薄になる大阪常設店舗を守っていた越口が笑顔を覗かせた
『森田次長・・・私のアドバイスを覚えてますか?』
越口は悪戯っぽく櫂を睨んだ
『え、あ~とっ・・うん・・・俺のフォローと商談の回転率が・・やったよな?』
『へ~嬉しいですね~、ちゃんと覚えてくれてたんですか~ じゃあ、その問題を解決する為にはどうすれば良いか・・解ってますよね?』
『そりゃあ・・・解ってても・・』
答えようとする櫂の表情を河上と越口が可笑しそうに覗き込む
『・・・・手伝うてくれんのか? 九州メンバーの商談短縮・・』
『ど阿呆! お前の為でも九州の為でも無いわい! ワールドアートの為やろうが!』
『そうですよ・・・残せる数字の積み上げには九州メンバーのフォローが一番手っ取り早いだけです! もしも、九州メンバーが不甲斐なければ、私は即座に他エリアのフォローに切り替えますし・・』
『フォローに入れば直ぐに判るぞ・・・あいつらにはトークの引き出しだけはふんだんに与えてある! フォローはあくまでも、話を前に進める為のカンフル剤で良い・・ありがとう越口、これで百人力や』
『こらっ、糞坊主! 儂は?・・・儂にも有難うを言わんかい!』
『営業の神様に見合う数字を残して下されば喜んで言います!』
今度は櫂が悪戯っぽく笑顔を見せた
『口の減らん奴め!・・・それじゃあ役者が揃った所でそろそろ出陣するぞ・・櫂・越口、今日一日は倒れても営業トークを打ち続けるぞ・・・背中の饅頭が潰れてもトークを打て! チャンスは搬出作業が始まる午後5時まで・・ピークは作家のサイン会を開催する午後2時や! 最後に言うておく・・勝敗を決する為に動くんやない・・・勝利を手に入れる為だけに動くんや!』
同じ目的を共有した3名は会場内に飛び出すと、無言で視線を合わせた後に散開した