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尖んがりジプシーの航路  作者: 下市にまな
第五章 九州決戦編
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毎日が

『今日は来てくれてありがとう・・・お互い頑張ろうや!』

 笑顔に戻った広原を連れ立って、A・B両ホールを案内し終えた櫂は笑顔で言った

『あなた、まだ私に仕事してないわよ!』

 広原が真顔で答える

『はあ?』

『おめでたい人ね!・・あなたの仕事はお悩み相談? それとも心理カウンセラー? 私はまだ絵を勧めて貰ってないわ・・・・それとも私がどの絵を気に入っているのか見落とした?』

 不敵な視線を櫂に向ける広原は再び顎を上げて腕組をして見せた


『知らんぞ・・・あんたのお気に入りは結構高いんや・・・無理は言えない・・』

 櫂も不敵な表情で答えるが、やはり営業行為に躊躇している様子は拭いきれない

『やっぱりね・・・あなた私を甘く見てるわよ! 弱小芸能事務所に移籍した私に遠慮したわね・・こう見えても十代から芸能界の一線で戦ってきたのよ・・・蓄えはあるわ! 案内しなさいよ・・それとも本当は私のお目当ての絵がわからない?』

『は~・・・』

『な、何よ!』

『後悔はさせんけどな、本当にこれからのあんたの生活の負担にならない金額なら勧めるぞ・・』

『私は貴金属も趣味じゃない・・ブランド物にも興味ない・・服装だってこの通りよ! 本当は仕事に必死でそんな余裕は持てずに来ただけ・・私を納得させてくれるなら買うわ!』

『よしっ! それなら行こう・・』

 櫂は広原の前に立って迷う事なく、Aホールに向かった



『嘘でしょ、どうして・・・・いつ分かってたの? 私がこの絵に興味を持った事・・あなたはこの絵の前でも一切、表情を変えなかったじゃない? 教えてよ・・』

 真っ直ぐに櫂が広原を案内したのは、何の変哲もないパリの街角を描いた作品【街角の恋人】の前であった。

特別な観光名所を描いた訳でもなく、カラフルな色を駆使している訳でもない・・・そこには単純な日常を繰り返すパリ市民の生活がコミカルに描かれているだけである


『広原さんがこの絵を気に入った理由は俺にも分からん・・・何で俺がこの絵やと思ったかを強いて言えば・・絵に対しての視線に優しさを感じた事・・それと』

『それと?』

『広原さんはこの絵の前での滞在時間は短かった・・・けど決定的に他の絵の前では見せなかった仕草をこの絵の前でだけ見せてたんや・・』

『何?・・自分でも思い出せないわ』

『絵の前に立ってるのに、広原さんはこの絵柄を見た瞬間に帽子を目深に被って視野を閉じたやろ・・ 考えられるのは、この風景に嫌な思い出があるか、良い思い出があるか・・・俺は次に帽子を上げて見せる広原さんの目だけに注目していたんや・・それで理解出来た・・険しさの欠片もない目を見て良い思い出に繋がる絵なんやと』

『驚いた・・・ものの数秒よ、確かに私はこの絵の前で思い出を頭に描いていたわ・・』

『差し支え無ければ、その思い出を聞かせて貰っても良えか?』

 櫂はそう言うと絵の前にパイプ椅子を差し出して着座するよう促した


『私ね15歳で芸能界に入ったの、家出してね・・・田舎にうんざりしたのもあるけど、両親に猛反対されてそれでも画面の向こう側で活躍する女優さん達を見て夢が膨れ上がるのを抑えられなかった・・とてつもなく怖かったわ・・無謀だったかも知れないけど運良く前の芸能事務所に入れたの。 でもね、最初の2年位は貧乏生活を極めてた・・それで17歳で初めて子供向けドラマのヒロイン役のオーデションに受かって、そこからは絶頂期だった・・始めての写真集が出版されたのもその時期よ・・それが人生初の海外・・そしてそれがパリだった』

『そうか、その時の思い出って事かな?』

『うん、確かに絶頂期で女優を目指した筈がいつの間にか持ち歌まで歌って有頂天になってた・・そしてこのパリでの写真撮影でコテンパンに駄目出しされちゃった・・有名写真家の・・あなたに言ってもどうせ知らないわよね・・』

『おう、間違いなく知らんな・・・スマン』

『そこでその写真家の執拗な叱責に耐えかねてね・・・私、一人で宿泊先のホテルから逃げ出したのよ・・事務所が揉み消したから日本では知られてないけど、私は2日間も行方を眩ませた・・・・・・・・・ずっとこの絵の街角の小さな噴水のあるベンチで過ごしてた・・・このアングル・・同じベンチから描いてる。

 毎日、お婆ちゃんがね・・言葉は解らないけどね、こんな私にパンを運んでくれるの・・朝昼晩・・』

『へえ~、お婆ちゃんが・・』

『うん、2日目の明け方にね・・やっぱりそのお婆ちゃんが薄っぺらい毛布を持ってきてくれたの・・私にもよく理解出来ない感情が湧き出てきて、両親や未来の夢がごちゃ混ぜに溢れて、涙が止まらなくなっちゃって・・お婆ちゃんは黙って一緒にベンチに腰掛けてくれて一緒に毛布に包まった・・

朝日が昇り始めて、やっと私は泣き止んだけど・・お婆ちゃんはニッコリ笑って、もう行けって言ってたみたい・・言葉は解らない・・けど泣きやんだらもう大丈夫とジェスチャーしてたと思う』

『きっとそうや・・・泣いたら脱皮した新しい自分になった、そやからもう行け、大丈夫やと言うたんやな』

『そうね、私もそう思った・・ホテルに戻るともう大騒ぎで、これはもう引退かもと覚悟を決めたわ・・ところがその有名写真家がカメラを構えて汚い私を撮り続けるのよ・・・最高に素直な表情だってね  可笑しいでしょ、それが私の写真集になって過去のアイドルの写真集の売り上げ部数記録を塗り替ちゃった。

 だから、この絵の場所は私の原点・・・優しさも怖さも、素直になる事も教えてくれた場所よ・・』


『そんな思い出があったんか・・・』

 櫂は感慨深げに何度も頷いたが、最後に俯いたままなかなか顔を上げようとしない

『どうしたの? 何で俯いてるの?』

 怪訝に思った広原の問い掛けに答える様に櫂は顔を上げたが、表情は真剣そのものに変化している

『広原さん・・確かにこの絵はあんたにとって一生の宝に出来る絵やと思う・・けどな、俺は2つの条件を広原さんが受け入れてくれないと、この絵を売る事は出来ひん・・』

『何なの2つの条件って? お金の事?』

『一つはそうや、この絵はこの作家・・コウ・カタヤマの初期中の初期の作品なんや・・広原さんと同じようにコウ・カタヤマもこのベンチでフランスパンを齧りながら売れる確証も無いこの絵を描き続けた・・・ほれ、よく見て貰えば分かるけどこの描かれた群衆の中に画板とフランスパンを抱えた太っちょの男性が描かれてるやろ・・・これが本人やと言われてる』

『へえ~面白いわね』

『ああ、夢と希望に満ち溢れたこの初期作品は、後々に人気爆発となるカラフル路線とは別作風やろ・・

 だからあまり世間的には人気が有った訳では無い・・・けど、販売可能枚数が少ない初期作品であるのも事実・・・・・・価格が上がってしまってるんや』

『幾らなの、あなた・・いつも焦らすわね』

『250万や・・・これが1つ目の条件! 何度も言うぞ、生活に支障が出る価格なら買うべきやない!

  今だけ考えずに、将来の生活も充分に考えるんやで・・・それでも努力に報いる価値がある絵かどうか・・』

『中々の金額ね、でもそれは問題無いわ・・払える範囲よ・・私にとっては充分に価値も感じる!』



『よしっ! それじゃあ2つ目の条件や・・これは俺からの提案やけどな』

『提案?』

『そうや、広原さんは原点に立ち戻ってみようと事務所を移籍したと言うたよな?』

『そうよ・・・その決心が事務所移籍の原動力よ!』

『そしてこの絵に興味を惹かれたのも、この風景が広原さんの原点とオーバーラップしたからや・・・きっとこの絵を買ったら部屋の壁に飾って駆け出しの自分の気持ちを思い返すと思うんや』

『そうね・・きっとそうなるわね』

『俺の提案は単純で複雑で余計なお節介やけどな、時間は絶対に過去には戻らんやろ! 過去を思い返す事は出来ても、原点に戻る事は実は絶対に無いと俺は思うんや! 微妙で解りづらいかも知れんけど、毎日この絵を見て過去を懐かしむ事で活力を得ようと思うてるなら、いつまでも過去に引っ張られるだけの人生やろ? けどこの原点の風景を見て懐かしさを感じたら、今日が原点と思ってくれたら嬉しいんや・・・毎日が原点や!  今の自分を創ったのは過去の自分やけど、未来の自分を創る力は今の自分のほうが遥かに大きな影響力を持つって事を言いたいんや・・・気付けばこの絵には広原さんの人生が詰まってると思う』

『余計なお世話ね・・・でも今が原点・・怖がってる場合じゃないわね!』

『そう言ってくれるなら、是非この絵を手に入れて欲しい・・これが広原さんにとっての一生に一枚の絵になると俺は確信出来るからな』

『ええ、私にもその確信が持てる・・・きっと私がもう一度絵を購入する機会は無いかも知れないわね』

『それで良えと俺は思う!』

『まさか、あの船上パーティーで出会った無礼なあなたから絵を買うなんてね』

『ホンマやな・・俺もあんな高飛車な女の人に絵を買ってもらうとは夢にも思わんかったわ』


2人は顔を見合わせて感慨深く笑顔を交換した


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