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尖んがりジプシーの航路  作者: 下市にまな
第五章 九州決戦編
146/160

背水

【自分が負ける訳が無い!】 究極の思い上がりである


平日期間を消化したATH来日展は、棚橋・安口の誘導する便宜売りの再開によって売上進捗の大きな低下を免れ、全体売上は既に3億5千万に届こうかという所まで数字を伸ばしていた。

トップの安口率いる東海常設チームの売上はこの時点で6千万を超えており、熾烈な2位争いを繰り広げる大阪常設チームと村下チームも僅かに6千万に届かぬだけの僅差である・・・・

九州チームは着実に新規来場者の成約を積み重ねて3千万超の結果を残してはいるが、上位3チームとの差は一向に縮まる気配が無い

一時は新規来場者への営業に重きを置いて、未成熟営業マンのフォローに奔走していた村下であったが、便宜売りの解禁を知った後は再び自チームの主任を主軸とした小部屋戦略に時間を費やした


《便宜売りは麻薬や・・・一度それを味わうと、簡単には抜け出せん・・》


櫂は落胆を表情には出さなかったが、ワールドアートを蝕むシステム売りの侵食が余りにも根深い事を再認識し、同時に九州チームが問題提起する波紋の輪が少しでも、大きく・早く広がってくれる事を願った。



『次長、いよいよ週末の2日だけですね・・』

 チーム朝礼の冒頭に山木が感慨深く問いかける

『そうやな・・・今日からは全開ゴリゴリで行く!』

 櫂の視線はチーム全員の意思を確認する様に鋭さを増す

『全開ゴリゴリ?・・今までも九州は全開ゴリゴリですけん、まだそれの上を行くとですか?』

 チーム全員の脳裏に浮かんだ疑問を、本間はいとも簡単に口に出せる逸材である

『お前達がそう感じても仕方無いか・・いや、そう思って良い程に踏ん張れてたと思うで・・・連日の全員オーダーなんか九州史上では初めてやもんな~ 九州を守ってくれてる納元も納得してくれる』

『・・・・ええ、そうですね?』

『けど・・忘れてないか? って言うか俺を忘れんなよ! 俺もお前達のお祭りに参加させろ! 今日からは他エリアのフォローは後回しや! 笑顔の新規契約を量産出来る技量は九州にしか無い! 週末に押し寄せる膨大な来場者を捌ききるには、他エリアの営業マンでは時間が掛かり過ぎる!・・全員が自力オーダーを狙うのは昨日までと同じや!、俺はフォローで一気にお前達の商談を短縮して回るぞ!』

『やっとこさ九州ば中心に考えてもらえるとですね!』

 本間の言葉に同調する様に、メンバー達は目を輝かせ手を叩いて喜んだ

『違うぞ!・・・・お前達にも俺と同じプライドを持って欲しいんや・・ワールドアートの為や! 一石を投じる事が出来る力を持つのはお前達だけなんやぞ! ボロ雑巾になるまで走り切る覚悟が必要になる!』

『大丈夫です! 元々がボロ雑巾の寄せ集めですけん・・私達が強か事を信じて下さい!』

 椎名が昂ぶりを抑えられない様子で答えた

『あんたはボロ雑巾やけんど、私を一緒にしたらいけんよ! 陽子ちゃんは、アート業界に舞い降りた優雅な白鳥やけんね!』

『何でも良か! 今日も笑顔でやり抜くけんね・・・水の中ではバタバタと足ば動かす事だけは忘れんように!』

 山木の言葉に全員が頷き心理の段取りは整った。



いつもの様に全体朝礼に備えて、チームミーティングを終えたチームから順次Aホールに営業マンが集い始める

週末のビックデイに備えて早めにAホールに待機する棚橋は腕時計の付け外しを繰り返して苛立ちを抑えた。

『先ずは俺から指揮を取る・・』

 棚橋の苛立ちの原因である中山が視線も合わさずに話しかけるが、明らかに気まずいムードがそこには有る


《信販交渉に失敗しておいて・・今更どんな指揮を取るつもりや! 営業で5億への道筋を描いたのは俺やぞ・・・あんたの失策で苦しむ事になってるんや!》

 棚橋はパチンッと腕時計をはめ込んで、はい、と愛想のない返事を返した


揃い始めた営業マン達は朝礼の場に立つ中山の存在に驚き、噂話の真偽を疑い、安堵する者・疑心暗鬼から抜け出せない者と、其々の反応を見せている

遅れ気味にAホールに入った櫂も中山の存在には驚いたが、即座に心理を探る為の視線を中山に向けた。


《明らかに人相が違う・・・北浜会長が来場した日までのゆとりを完全に無くしてもうてる・・どんな話が繰り広げられたんや? 何で今日この場に居る? ワールドアートをどうするつもりや? あれは覚悟の目や・・・違う道を選択する直前の兆しが目に出てる・・どう転ぶつもりなんや!》

 別人に変貌した中山に気付かぬ支社長・課長を他所に、櫂の心だけは一人身構えていた


『お疲れ様! 安口チームは俺の不在にも関わらず、良く数字を残してくれたな!』

 冒頭に中山はトップを走る安口を見て労いの言葉をかけ、安口はそれだけで満足を表情一杯に浮かべたが、やはり棚橋は納得を得られない無愛想な視線を空に向けるのみ

である


《あの2人、完全に亀裂が入った・・本人達も気付いてないかも知れん浅い亀裂・・・これからは小さな意見の違いが吹き出るぞ! プライドの押し付けで啀み合う事になる》


『ワールドアートは業界屈指の営業集団や・・・そしてこの来日展はアート業界のトップに君臨する為の闘いであり、通過点でもある! 業績が業界トップを証明するなら、ワールドアートのトップを証明するのも業績しかない! 色んな噂が流れていると耳にしたが、この場で一番胸を張って良いのは安口であり、そのチームの主任、そしてメンバーや! 2位以下の課長・及びチームメンバーは安口を見習うべきやな!

噂に流されない強い意志でチームを引っ張り、どんな手段を使おうが数字を残すという強い信念でチームは纏まっている・・・ 誰が何と言おうが営業の世界で一番偉いのはトップなんや!  ワールドアートの歴史において、お世話になった既存顧客様の為の催しでもあるこの来日展には、勧められる新作が有る・・そして君達営業マンを引き上げてくれる課長・支社長が居る! 新しい歴史が幕を開けようとしてるんや・・乗り遅れない様に全力で成績を積み上げてくれ!』

 中山が言い終わると大凡の営業マンの疑心暗鬼は吹き飛び、地鳴りにも似た洗脳集団の返事が空気を揺らした


『中山社長がここまで君達営業マンを想ってくれているんや、根も葉もない噂に翻弄されてる場合やない・・・強い信念を持った安口チームに益々引き離される結果になるだけやぞ!

 中山社長が成約後の信販交渉については太鼓判を押してくれてるんやから、お前達は全力を出して既存顧客様の夢を拡げてやってくれ!』

 即座に棚橋が盛り上がるムードを利用して言葉を付け足す事で朝礼は終了した


櫂は注意深く集中力を高めて中山の表情と言葉を分析したが、残念ながらどう考えても1つの答えに導かれるだけである


《グループ本社の指示を無視してシステム売りに回帰したと言う事・・・与信交渉が劇的に進展するとは考え難い・・にも関わらず、更なる上申案件を積み重ねる行為を推奨するのは本社との決裂の覚悟が読み取れる・・これはアート事業部の切り捨てを明言されたか、或いは自らその方向を選択したと考えるのが妥当や・・・【ワールドアートの孤立は近い!】

それよりも、独立後の運営を考慮すれば・・・既存顧客への重ね売りは自分の首を絞める行為や・・新規契約は未来への蓄積・重ね売りは未来の資産の食い潰しにしかならん・・これは独立後の急激な事業縮小を視野に入れたか・・・小さなプライドの暴走・自暴自棄か・・いずれにせよ最悪の舵取りやという事に違いは無いわ・・》


洗脳社員のムードが最高潮まで引き上げられた会場内において、そう遠くはないであろうワールドアートの惨状を脳裏に描いていたのは櫂だけであろう


《分別も判断も鈍る程に追い込まれたという事か? あの人は自分が負ける訳が無いと、その思い上がりだけで社員を惨状に導いている!》


『森田よ、九州はまあ頑張ってるほうや・・数字は俺も分析している・・・』

 中山からの突然の声掛けに、櫂は現実に引き戻された

『はあ・・有難うございます・・』

 自分でゴリゴリに頑張っているとは言える筈もない

『新規来場者だけに絞ってるみたいやがな・・・九州はトップチーム数字の僅か半分や・・・どう頑張ってもな・・背水の陣では勝てんぞ・・覚えとけ・・背水の陣で勝利を掴める戦は無い!』

 中山は真顔でそれだけを言うと、Bホールに消えた


《・・・何や今の? まともな思考から出る会話やない・・ピント呆けも甚だしい・・けど、とんでもない孤独感だけは伝わってきた・・・孤独に疲れきってヨレヨレや・・どっちが背水の陣なんや!って叫んでまうとこやったわ・・・プライドお化けめ! 俺は最初から途方もない時間を費やして勝つ段取りを整えた上で此処に居る! 背水の陣とは微塵も考えて無い!》

 櫂はそう思いながらも、中山が少し自分と似ているとも感じていた


【自分が負ける訳が無い】 その想いが根底に有る事も、それが自分を支える力である事も同じである

只、櫂はやはり決定的に自分とは違うと考えた・・・・自分が負ける訳が無いと信じるからこそ、勝つ為には素直さと謙虚さが必要になる

本来の自分が素直さや謙虚さを兼ね備えて無くとも、勝つ為にはそうせざる負えない分岐点が有るものだ


櫂は見栄にまみれたヤクザの世界に囲まれて幼少期を過ごし、そしてその見栄の為に豹変してしまった多くのヤクザを目の当たりにしてきた・・・・

誰からも慕われ、持ち上げられていた極道が、唯の外道になる瞬間である


《俺はたまたま恵まれた環境でそれを見れる場所に居ただけや・・・ラッキーなだけやったんや・・》


益々、新規来場者への契約を増やすしか道は無い・・・

自分が信じた営業の正義でそれを証明する為に乗り越えてきた道なのだ・・


いよいよ最終決戦は終盤に差し掛かった


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