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尖んがりジプシーの航路  作者: 下市にまな
第五章 九州決戦編
141/160

奮迅

午後1時・・・

史上最大の来日展と銘打ったBホール催事場内に密集した来場者の塊は、過密エリアに息苦しさを感じながらもポップアーティストとして世界的成功を収めたコウ・カタヤマの入場を待ち侘びた

やがて作家入場を告げる大音量アナウンスとジャズ音源が流れると会場内の熱気は最高潮となり、作家をエスコートする中山が満足気な表情で先頭に立って入場した


 櫂はBホールの中心に密集する集団の後方からその様子を眺めていたが、やはり会場脇に設置された契約テーブルコーナーの片隅で信販会社役員と共に契約資料を覗き込んでいる神妙な様子の河上が気になる。

河上の横で青白い表情のまま同席する井筒がチラリと櫂に視線を向けたが、もはや多くを語らずとも事の重大さは充分に伝わった。


《まだ3日目・・・一般来場者もかなり多い・・諦めてたまるか!》

 櫂は大きな決断を下すと拳を強く握り締めた


九州支社は午前の段階で300万の数字を残しており、サイン会効果を考慮すれば当日売上で1000万の壁を突破する可能性も大いに期待出来る。

櫂は冷静に九州メンバーの商談状況を脳内で整理し、課長の山木を呼び寄せた

『どうしたとです?』

 駆け寄ってきた山木が笑顔を向ける

『・・・山木、今からは七田・海本・梅原のフォローだけに入れ・・それ以外のメンバーは野放しで良い!』

『えっ!・・でもですね・・赤柳も東村も客のネックに押され気味ですけど・・』

『分かってる、それでも信じるんや・・・アイツ等は一人で掴み取れると信じろ!』

『それで・・次長はどうされるとですか?』

『俺は他エリア営業マンの一般客を決め打ちに行く! 20件近くは有る筈や・・』

『確かにトップチームには売上で差を大きく空けられとりますけんど、他エリアのハーフ数字ば奪いに行くとは、次長らしくなかですよ!』 

 山木はギロリと櫂を直視した

『そんな数字なんか九州に要らんわい! 俺がすべき最大限の仕事はこの来日展の数字を積み上げる事や!』

 櫂も山木に対しての視線を外さずに直視で答える

『全く意味が分かりませんけんど・・・分かりました・・でも九州メンバーは次長を信じとることば忘れんでやって下さいよ・・』

『俺も九州メンバーを信じてる! だからこそ、この決断を下した! 兎に角、時間が惜しい・・・山木! 九州メンバーを頼んだぞ!』

 櫂は山木の肩をグッと掴んでから、目の前に密集する集団に潜り込んでしまった


集団に紛れながら、来場者と傍らで愛想笑いを浮かべる営業マンのやり取りに耳を澄ます・・

受け答えする来場者の指先の動きまでを見逃さぬように集中力を高めて心理を探り続ける・・

この場に立つ感動の度合い、トークの進捗状況、絵に対する価値観・・・営業マンの技量まで・・・

集中力が高まる程に、作家を持ち上げて話し続けるMC司会者の声が遠ざかり、静寂の中で必要な情報が集積され始める。

まるで全方位に注意を払いながら茂みに身を隠す猫科動物の様な櫂の集中力を目の当たりにした鎌谷は、ゾクリとした感覚を背中に感じながら今後の櫂の行動を予測する事が出来なかった。

やがてMCの質問に受け答えするコウ・カタヤマのトークショーも終盤に差し掛かると、櫂は気配を殺したまま集団の後方に身を引いて姿を消した



『それでは皆様、先生のサイン会の後も史上最大の来日展をご堪能下さいませ!』

 会場に響くMCの締め言葉が、再び勝負の再開を告げる合図である。


其々の営業マンがここぞとばかりに、商談テーブルに来場者を誘導し始めた。

『一番綺麗に新作の四季4部作を目に焼き付けられる特等席はこちらですよ・・・先生の話を聞いてから見ていただくと、より一層味わい深く感じて頂けると思います』

 突然語り掛けてきた他エリアの支社長に営業マンは困惑したが、接客中のファミリー来場者は目を輝かせて感嘆の声を上げた。

『本当に綺麗で可愛い作品・・』

 遠慮がちに奥様が漏らす

『遠慮なんて必要ないですよ・・・此処は間近で作品に触れていただく為の場所なんですから』 

 櫂は惚けた口調で穏やかに椅子を引いてから、ファミリーに着座するように促した

『あっ、でも・・』

 チラリとご主人の顔と契約テーブルの賑わいを交互に眺めてから、奥様が戸惑いの仕草をみせる

『買って頂く必要なんてないですからご安心下さい・・折角だから、皆様がどういう風に感じて絵のある生活を手に入れ、どう楽しんでおられるのかだけでも知って帰って下さいね』

 櫂は言い残すと満面の笑顔を残してその場を離れた


《せめて少しの時間は話を繋げてくれよな・・・》

 狼狽する表情のまま櫂のセッティングしたテーブルに取り残された営業マンを見て不安が膨れ上がる

それでも櫂は他エリアの営業マンが接客する一般来場者にターゲットを絞り込んで、複数の商談テーブルのセッティングを繰り返した。


《何件を引き込めるか?・・・やるしかない!》

 自分の目が届く範囲に複数の着座商談をセッティングし終えた櫂は思考速度をフル回転まで引き上げてゆく。

既存顧客に執着する各チームの主任クラスも、その上司である課長、支社長も力量の不足する自チームのコンサルタントセールス社員が接客する一般客など相手にもしてはいない・・・・櫂の周囲にはそんな未成熟社員が接客する商談が一塊になって集められていた


『ちょっとっ、 何をするつもりですか? うちの社員の事は僕が面倒を見ますから・・』

 戸惑い気味に櫂に声を掛けてきたのは村下であった

『どいつがお前のチームや?』

『えっ・・・・あの四季4部作の前のファミリーに接客してるのがうちの社員ですけど?』

『そうか・・・じゃあお前に任して良えか? 俺は他の商談を決める! 一応伝えとくけど、あのファミリーはご主人がネックじゃ無い、感動してる奥さんがネックや・・優柔不断の上に、決断には自分以外の者の意見があったんやと、後で言い訳が出来る状況を欲しがるタイプで間違いないやろうな・・・』

『はあ・・・?』

『はあって、決め込みに入ってやる気は有るんかよ!』

『森田次長こそ九州メンバーを決めてやらなくて良いんですか?』

 村下は気を悪くしながらも、心を押さえ込んで冷静に答えた

『九州にそんなふやけたメンバーは居らん・・・ペラペラ喋るなら客と喋れ! これ以上俺の邪魔をするつもりならどっか行け!』

 言い終えると同時に櫂は殺気に満ちた目を村下に向けた


《自分の支社の低迷を棚に上げて・・・狂ったんか?・・・僕のチームの売り上げに遥か及ばん数字のくせに・・いつまでも上司風を吹かせられると思ってるなら、とんだ赤っ恥や・・・・》

 鬼気迫る櫂の眼光に押されながらも、村下は心の中で自分の優位を誇示した


『そんなにまでしてフォロー数字が欲しいなら・・・どうぞ・・うちの社員はお任せします・・』

 村下は溜息混じりに言い残して、クロージングラッシュが続く既存顧客集団に歩を向けた




『もう帰社されるんですか? 売上の見せ場はここからなんですが・・』

 作家を控え室に誘導した後、役員専用バックヤードに足を運んだ中山はソファーから立ち上がる北浜の姿を見て問いかけた。

『会長はこの後にも打ち合わせが入っておりますので・・・』

 北浜の横に立つ河上が感情もなく言い放つ様子に中山は苛立ちを感じたが、即座に北浜が口を開いた

『皆の様子はしっかりと視察させて貰った、社員全員が喜べる結果に終われる様、地に足の付いた指導をしてやってくれ・・』

 北浜は模造紙を延々と継ぎ足したオーダー成約表をチラリと見てから、振り向きもせずにバックヤードを出た



恐らくこの日で一番の活況を迎えているであろう来日展会場を出口で振り返りながら北浜が河上に視線を合わせる。

『儂は一人で帰っても良えぞ!』

 ニヤリと笑った北浜は視線を会場中央に向けた

『お言葉に甘えさせていただきます!』

 河上は深々と頭を下げた

『これ以上は見てられん・・余りにも健気で、不憫過ぎるわい・・』

 北浜の視線の先には、スーツの上着の背中に汗滲みを浮かべながら笑顔で話し続ける櫂の姿があった。



《アカン! 俺一人じゃ追いつかん!  折角の商談がどんどん崩れて消えてしまう・・・》

 フォローに入った商談は何とか成約まで漕ぎ着けるが、その間に技量の少ない営業マンで繋ぎ止められない他の商談がどんどん崩れては消えてゆくのだ。


《優先順位を付け直すしかない!》

 成約を決めてフォローから抜け出た櫂は再び残りの商談を分析し始めた


『情けない顔で思案六法か? しっかりせいよ!』

 突然の声にビクリと振り向く

そこには眼光鋭い河上が不敵な笑顔で立っていた

『指を咥えてワールドアートが腐るのを眺めるのは俺の性に合わんからの~! 元祖、営業の神様の底力を見せてやるから、優先順位と内容を教えろ!』

『助かります!』

 櫂の表情が一気に精気を取り戻してゆく

『僕にも教えて頂けますか、優先順位・・・』

 いつの間にか鎌谷までもが櫂に合流している

『お前!・・自分のチームは?』

 堪らずに櫂が問いかける

『今やるべき事を知っている奴が一番強いって教えてもらいましたけど?』

 鎌谷もニヤリと笑って即答した

『ありがとう! これで取り零しが一気に無くなる!』


突如として活況を帯び始めた新規来場者の成約ラッシュに櫂は没頭し、それを眺める周囲の役職者は只々傍観する事しか出来ない。

それ程に熱を帯びた集中力が櫂を突き動かしていたのである



『さあっ、もう一件! 最高の商談で案内しちゃるけんね!』

『はいっ、勿論です! あんな熱か後ろ姿を見せられてしもうたら僕達ものんびりしとれません!』

 櫂の行動の真意は分からない・・・

例え理解出来なくとも事細かな説明を割愛出来る感情が確かに有る!

真っ赤な炎は九州メンバーに燃え広がり、やがて目を丸くして櫂のフォロートークを聞き入る他エリアの未成熟営業マンにも飛び火し始めていた。



『櫂! おいっ! 櫂!  本当にすいませんね、アイツはいつもこの調子で・・』

 獅子奮迅する櫂を眺めながら河上は隣に並び立つ夫婦に苦笑いを向ける

『良えって、アイツはあれが良えとこなんやろ?』

 男性がぶっきらぼうに答えると、隣の奥さんもクスクスと笑い声を漏らした




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