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尖んがりジプシーの航路  作者: 下市にまな
第五章 九州決戦編
138/160

各停

 初日の午前にして目まぐるしい商談回転率は成約を量産し、この状況を見越して準備された契約テーブルコーナーは、既存顧客に連れ立つ大阪・東海エリアの営業マンと、信販会社から派遣された社員が入り混じりながらの大混雑である。


 『良かったですね~!』・『ラッキーでしたね!』・『最高の買い物になりましたね!』

営業マン達が囃し立てる傍らで、購入を決定したコウ・カタヤマファンクラブ会員の既存顧客達は、まるで狐につままれたような表情で愛想笑いを浮かべていた。


櫂は椎名のフォローの後に本間・石本の商談の進捗を確認する為に会場内を見渡したが、2人の商談は既に終了しており、櫂を見つけた本間は悔しそうな表情を浮かべながら駆け寄ってきた。

『ダメでしたっ・・・けんど、今日は売れる気がします! あん来場者様は欲しいと言ってくれよったとですが、3日後に仕事ば辞めさせられるらしいです・・悔しかですが、私のほうから買うのはやめんさいと言うてやりました』

『それで良え! 断るのも営業の仕事やからな・・石本は何処や?』

『アイツも絶好調とかほざきながら、待機エリアに戻ると言うちょりましたけど』

『おうっ! それならアイツの来場者も訳有りやったんやろうな・・・お前と石本は待機エリアよりも、七田・海本・梅原の誰でも良いから波長の合う来場者のフォローに入れ! まだAホールでじっくり学芸員をやってる筈や・・・決めてこい!』

『わかりました! 陽子ちゃんが決めてやりますけん!』

 本間は言い終えると颯爽と立ち去った


《そろそろ赤柳・東村・岩井の第2波がBホールに入る筈や・・・ちょっと時間を食い過ぎか?・・まあ、初日はそれでも良え・・・今日はじっくりこの来日展のリズムを掴む事が重要なんやからな・・充分にやれるという感覚を自分で持てるかどうか? お前等の今日一日の課題はその1点のみや》



 山木は考えていた・・・

赤柳の接客する若い女性来場者・東村の接客する中年男性来場者・岩井の接客する子連れファミリー来場者・・いずれもAホールでは人間関係を良好に作り上げており、且つ絵画への興味も膨らませる事に成功していると判断出来る。


《俺も自分を変えようと営業ば苦しんで来たと! あん人ならどの商談に飛び込む? 逃げる訳にはいかんもんね・・・俺も九州の課長やけん、見ちょれよ!》

過去の自分であれば迷う事無く、若い女性来場者に接客する赤柳のフォローを選択していた・・・

そんな思いを払いながら山木は意を決して岩井の接客する子連れファミリーに照準を合わせる決断を下した。


Bホールに入って座り商談態勢を整えた第2波の様子を眺めながら櫂も決断を迫られる状況にあったが答えは即座に出た。

《山木、踏ん張れよ! 信じてるぞ!》

 岩井のフォローに入る山木を確認すると、櫂は赤柳・東村の商談を素通りしてAホールに向かった。

通り過ぎる櫂と赤柳・東村は一瞬のアイコンタクトを交わした後に小さく頷く・・・

【やれるだけやってみろ! 自分で行け!】 間違いなく次長はそう言っている!

そう感じ取った2人はそれぞれの商談テーブルから小さく頷き返したのだ。



Aホールでは既に本間が梅原の来場者に、石本が海本の来場者に絶妙の距離感を保ちながら接触を開始しており、水商売風の女性を連れ立った柄の悪そうな男性客に接客をしている七田が孤軍奮闘していた。


《本間と石本め! 俺に一番やっかいな客を残して試すつもりか? 残念やけどな・・・あれは俺が一番得意とする分野の来場者やで!》

櫂は足取りも軽く七田が接客する来場者への接触を開始した


午後7時30分・・・

来場者はまだBホールに残ってはいるが荒堀が仕切る受付はクローズされ、Aホールはその重厚な扉を閉ざした。

1分足りとも午後8時を超過すれば延長料金が加算される事を考慮すれば、Bホールに残る来場者に対して早々に決着をつけてしまいたいのが本音である。

『ああ、もう中途半端な商談は切りに掛かれよ!』

 役員専用バックヤードでは、延々と連なるオーダー表を前に棚橋が横柄な態度で各課長に指示を出している。

『はいっ、そろそろ帰ってもらいますか』

一日の売上げにおいて、自分が率いる東海常設店チームが特出した成績を残していた安口は、棚橋の言葉に敏感に反応してから笑顔で会場に飛び出した。


『東京の売上が300万に満たんのは問題や・・・新チームの鎌谷でさえ300万は残してるんやからな・・安口に次いで頑張ったのは・・え~とっ・・村下チームで・・・その次が大阪常設チームか・・もうちょっと踏ん張らんとな~』

中山と棚橋は立ち上がって腕組みをしながら、合計6000万を超える成約が書き並べられたオーダー表を眺めては満足感を噛み締めた。


中山・棚橋も初日の結果には確かな手応えを感じていた

7日会期に2日間のサイン会がある事と、加えて週末の来場者数アップを考慮すれば平日は最低でも5000万を確保しておきたいのが5億に対する最低条件である。

それが初日にして6000万を上回る結果となったのであるから、口角が上がるのを耐えるのも難しくなるというものである。


棚橋は乾杯気分でタバコを咥えた中山に対して火を灯したライターを差し出したが、そこに無愛想な表情の櫂が入室して来てオーダー表の末尾に成約を書き加え始めた。

『九州の合計売上は幾らになったんや?』

 煙を吐き出しながら中山が見下す視線を向ける。

『え~とっ・・今ので合計は・・・520万ですかね・・』

 惚けた表情で櫂が答える

『まあ、九州にしては奮闘したほうか・・・明日はもっと頑張ってもらわんとな』

 棚橋もここぞとばかりにふんぞり返った

『ええ、そうですね』

 櫂はそっけなく答えると再び会場に姿を消した。


《もう完璧にアイツの時代は消滅したな・・・悲しい尻すぼみってとこや》

 棚橋は中山と目を合わせて今日の満足にスパイスを追加したのだ


《520万なんて足音すら聞こえへん・・・僕は圧倒的な数字で勝ってみせる!》

 中山と棚橋の会話を傍らで傍観していた村下は、1000万を超える成約を残した初日に自信を漲らせながらカーテンを捲り上げる櫂の姿を見送った。



全体終礼は会場の延長料金発生を避ける為に行われなかったが、九州メンバーはATHホールを後にして海沿いに沿って敷かれた遊歩道に集合した。

閉館したATH施設は黒く大きくそびえ立ち、街路灯の明かりはその下に集う九州メンバーだけを浮かび上がらせる

『山木、今日の成果を発表してくれ』

『はい、椎名60万が2件、本間80万と梅原とのハーフ60万、石本60万と海本とのハーフ60万、七田が80万、最後が山木課長と岩井のハーフ60万の合計520万です』

『自分の事ば山木課長なんて気色悪か~』

 本間がおどけて山木を誂う

『な、何ね! 俺は課長やけん間違うとらんわ!』 

 山木が慌てる様子に一同は笑顔を溢すが、赤柳と東村は心から笑えない様子である

『赤も純子ちゃんも明日は売れるっちゃよ!』

 察知した石本は明るく2人に話しかけた


『石本、心配せんでも良えぞ・・・この2人は猛烈に燃えとる筈やからな・・今日結果を残したメンバーも明日にはこの2人に突き放されるかも知れんぞ! そうやろう・・赤柳・東村?  ちょっとコイツ等に宣戦布告でもしとけ!』

 櫂は2人に視線を向けると不敵な表情で笑った

『わ、私は今日は売れんかったですが・・その、何と言うか・・変な予感ばし続けとります・・今の私にもう少しの変化が有れば絶対に結果ば残せると・・楽しみで仕方なかとです!』

 おずおずとではあるが、そう語る東村の口調に嘘の要素は感じられない

『私も純子ちゃんと同じ様に感じちょります・・・次長は私達に勉強代を払うてくれたと思うとります・・そうですよね次長? 本当は次長がフォローに入れば売れとったとですよね? 今日は1000万を超えるチームが複数おりよったですが、この勉強代は必ず返しますけん!』

 赤柳は決意を隠そうともせずに胸を張った


『し、知っとうけん・・そんな事は! 私や椎名、それに石本は単独で放っておいても良かと思うてもらえる営業ばしちゃるけん! あんたら雑魚連中は少しでも次長と課長をフォローに呼べるよう頑張りんさいよ!』

 触発された本間が赤柳の決意に覆い被さる


『はいはい、それは大いに楽しみやな・・・今日一日でATHは少しの成長を与えてくれたようや・・明日も明後日も少しずつでも良いから上を目指す今の気持ちを失うなよな!  俺は今、良え事を言うたよな?・・大きな成長を遂げた山木課長!』

『そ・・・それは・・言うちょります!』 

『そうや、他のエリアのチームみたいに成約を急行列車で掴み取る必要は無いんやぞ! 九州は各駅停車で成長を噛み締めて行くんや! ゴールまでの道程を目に焼き付けて成長しろよ!』

 こうして全国のチームが集う決戦場の一日目は終了した



『ちっちゅ~・・電車が来ます~・・ご注意します~』

 メンバーと肩を並べながら、トレードセンター駅前までを海風に吹かれながら歩く

『次長~・・・いよいよ頭がおかしくなりよったとですか?』

 椎名が吹き出しながら誂う

『前から、頭のネジばおかしか事になりようけんね!』

 本間は嬉しそうに続いた


『明日売れんかったら、お前ら2人は死刑!』


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