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尖んがりジプシーの航路  作者: 下市にまな
第五章 九州決戦編
137/160

ありがとう

ここまで来場者で溢れる会場ともなると、各チームの課長陣やエリア長も自分のメンバーを把握する事は困難になってくる・・

広大過ぎる会場スペースに分散したメンバーは視野に入れておく事さえ出来なくなるのだ。


《単身女性客を誘導する本間は力を信じて放っておく・・同じく単身女性客に付いた石本も同様や・・・・赤柳・東村・岩井も主力部隊に次ぐ力量があるから進捗具合の把握に山木を張り付かせてる・・七田・海本・梅原はAホールの説明だけは出来る知識を持たせているから、ここに商談を終えた本間・石本・椎名をフォロー態勢に被せる。 俺と山木は赤柳・東村・岩井のフォローで第2波の成約を狙う・・その後は七田・海本・梅原の商談への第3波フォローへと繋げて午前の勝負は終わりや・・・》

 櫂は冷静に弾き出した優先順位に従って、迷う事無くファミリー客を相手にする椎名の商談に向かった。


大阪・東海の参加チームにはそれぞれの課長が居り、その後方には支社長であるエリア長が控えている。

今回のケースでは更にその後方に中山・棚橋が控えている事になるのだ。

フォローマンの力が勝負を決する現状では、山木のフィニッシャーとしての力量を信じて戦略を組み立てる以外には道が無かった。



『もうこの子も2年生ですし・・・これからは塾にだってお金も掛かり始めちゃいますしね・・』

 真面目そうな母親は愛娘に対して最善の現実を選択しますとばかりに冷静に答えた

椎名と相対するファミリーは昔からのカタヤマ作品のファンらしく、Aホールで説明を受けている様子から推察すると、親子共々にカタヤマ作品が気には入っている様子である

真面目なイメージの奥様に反して、大柄で柔和な雰囲気のご主人は一人娘を溺愛している事は一目瞭然であった。

漏れ聞こえた2年生という情報で櫂は即座に子供を優先させる事を厭わない両親だと分析した。

それはAホールで展示作品を眺める際に、父親が周囲の目も気にせずに当然のように小学2年生にもなる娘を抱き抱えたままで観覧していた様子からも推察出来る


《大きくなった子供を外で抱き抱える事に抵抗を感じてない親は大抵が子供優先環境の家庭と見て間違いない》


『今日はありがとうございます、九州弁のお姉ちゃんは良く話すでしょう? でもね、一生懸命やからもう少しだけ聞いてあげてね・・これはお嬢ちゃんにプレゼント』

 櫂はそう言うと、カタヤマファンクラブ会員用のポストカードセットを笑顔で娘に差し出した

『ありがとうございますは?』

 櫂からポストカードを受け取った娘が恥かしそうに照れ笑いを浮かべる様子を見て父親が優しく促す

『良いんですよ、こんな大きな会場で大きなありがとうなんて恥ずかしいもんね~』

 櫂はそれだけ言うと、両親に向き直って丁寧に挨拶をした

『森田と申します・・今日ご案内させていただいております椎名の責任者です・・ときどき情熱が先走りまして椎名はお客様を置き去りにしがちですので、心配で声をかけさせて頂きました・・・・椎名は楽しくご案内出来てましたか? 無理強いはしてませんでしたか?』

『そんな事は無いです、凄く丁寧に作家や作品を説明していただいて楽しめました 只、実際に絵を買うかと言われると現実的には・・・絵のある生活の良さは理解出来たけど・・』

 母親は自分の気持ちを正直に話した

正直に冷静な答えを返してくれると言う事は、椎名がここまで来場者に寄り添った接客をしたからこその反応であると考えて良い。

否定を優先せずに、聞くべき事を優先し、自分の主張を押し付けずに誘導出来た証拠である


『私も子供が居ります・・娘さんにはこれから色々とお金を掛けてあげたいと考えておられるんですね』

『ええ・・同級生は塾に通い始める子も多いし、スイミングやピアノ・・今の子は結構習い事にお金が・・』

 母親はそう言うと傍らのご主人に視線で同意を求めた

『う~ん、僕らの子供時代はもう少し自由に遊んでた気がするけどね・・少し可哀想かな~』

 父親は体格に見合わぬ優しい口調で娘を見た

『じゃあ、押し売りを絶対にしない事をお約束して質問をさせていただいても良いですか?』

 櫂の問い掛けに夫婦が頷く

『失礼ながら後方からご様子を伺わせていただいた限り、ご家族全員がこの絵を気に入って下さっていると感じましたが間違いないですか?』

『ええ、素敵な絵ですよ・・・特に娘はこの春の絵が好きみたいです・・』

『ありがとうございます・・絵のある生活の良さは椎名からお聞きいただいてご理解も頂いてるようですが・・やはり、お支払いの面で月々の1万円がネックで踏み出せないのが本音でしょうか?』

『仰る通りです・・』

『家族の皆さんが楽しくこの絵に思い出を詰め込んで行く為には、ご納得が必要ですもんね・・私の考えを一つだけ聞いて頂いても宜しいですか?』

『ええ、どうぞ・・』


『私にも子供が居るのは先程お聞きいただきましたね・・・私は自分の子が今と同じ状況でこの絵を欲しいと言ったらこう考えます・・子供にはいろんな知識や技能を習得させてやりたい・・ご主人が先程仰った通り、僕達の子供時代とは違ってそれが生きてゆく力になるかも知れないからです。 勉強は2学年先位を習得しなければ損をするんじゃないか? 何か技術を身につけておいたほうが将来に役立つ時が来るんじゃないか? 私の妻も奥様と同じように子供を第一にやり繰りを厭わないと思います』

 夫婦は自分達の考えを代弁する櫂にうんうんと頷いて答えた


『只ね・・私はこうも考えちゃうんですよ・・勉強が同学年の友達より優秀でも、いくら人より少しだけ上手に泳げたり、ピアノを弾く事が出来ても、綺麗なものを見て素直に綺麗と言える子になって欲しいなと・・嬉しい時は素直に嬉しいと言える子・・美味しい時は美味しいと言える子・・これはお金を払って学べる事では無いんですよね・・・感受性や感性の領域なんです・・それはどうやって育んでやれるのか・・

 親しか育めないんですよね・・・豊かな心は・・・生涯残せる絵を一緒に眺めながら綺麗だ、楽しそうだと心を共有させる事は決して無駄な時間にはならないと思うんですよ・・・・お父さんは嫌でしょうけど、この子がお嫁さんに行くときにこの絵を持ってゆくでしょうね・・そして又同じようにリビングに飾ってこの絵を共有するんです! もう一度冷静に御夫婦で相談してみて下さい・・・ポストカードにはそんな力はありません・・答えはお任せします・・・椎名もこれ以上お勧めはしません・・ 絵のある生活を送る方とそうでは無い方の違いは、その絵と出会った時の考え方だけです! 子供が生まれる前なら買えたのにではないんです・・・子供が居るからこそ必要なものと考えてみて下さい』

 櫂はそこまで言うと、丁寧にお辞儀をして商談テーブルを離れた


椎名は櫂からのアイコンタクトで夫婦の出す答えの白黒に従う覚悟を決めて、笑顔で沈黙を守った


お願いして買って頂くものでは無い、納得無しで購入後に楽しんで頂けるものでも無い

椎名は嫌と言うほど繰り返し櫂から聞かされた言葉を思い浮かべながらその時を待った。


『あなた・・どうするの?』

 先程まで否定を明言していた母親はいつの間にか夫に問いかけている

『僕は1枚位は飾っても良いと思うよ・・1日300円の無駄を僕達が頑張れば良いだけでしょ・・』

 ご主人も子供を主軸にした櫂の話に納得が持てた様子で答えた

『ありがとうございます・・』

 これ見よがしに会場に響き渡るありがとうではなく、感謝と喜びが同居した椎名の会心のありがとうであった。




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