火蓋
史上最大規模のコウ・カタヤマ来日展と銘打ったATHホール催事は、お盆休みで賑わう1週間が会期となる。
中間日となる水曜日・最終日である日曜日の2回に分けて作家サイン会が行われるが、最大の目玉であるサイン会実施日以外でも集客には苦労しないだけの告知戦略が打たれていた・・・・地方紙だけでなく、新聞全国紙の見開き一面を使っての告知に始まり、夜間枠でのTVコマーシャル、近畿圏の鉄道各社への車内吊り広告と、過大な経費を掛けて会期に備えて来たのだ。
会場オープンの午前9時からクローズの午後8時までのホール家賃は180万円を超えており、その後1時間の延長の度に約25万円の延長料金が負荷される事になる。
当初会期目標数字の3億から一転、5億という前代未聞の目標数字の引き上げにより流出する経費も大幅に増大しており、今回の催事結果はアート業界全体が注視した。
会期初日のオープンを控えたAホールには総勢120名の営業マンが朝礼開始と共に輪になり、戦意と緊張の混ざり合った一種異様な空気を漂わせていた。
朝礼の輪の後方にはワールドアートと提携する複数の信販会社から派遣された社員が並び立ち、更にその横には井筒を筆頭に営業推進部の面々が顔を揃えている。
これらの面々全員が、輪の前方に立つ社長の中山が放つ第一声を待って静まり返った。
『お疲れ様!』
中山の挨拶が広大なホールに響いて木霊する
『お疲れ様です!』
軍隊の様に息の合った集団の返答が即座にホールの空気を震わせた
中山は輪を眺めて呼吸を置いてから続けた
『今回の来日展はワールドアートが真の日本一に君臨する為の催事と受け止めて欲しい! あらゆる知恵を絞り、最大の経費を掛け、今日のこの日を迎える事が出来た。 君達はアート業界全体が注目する催事の実行部隊として選ばれた事に誇りと責任を持って取り組んでくれ! ワールドアートの歴史の集大成となるこの催事の主役は君達営業マンや!』
ここまでの中山の話だけで、立ち並ぶ営業マンの中には感極まって涙を滲ませる者まで居たが、それよりも中山の問い掛けに呼応する営業マンの声がどんどんヒートアップしてゆくのが分かる。
《集団心理は恐ろしいもんやな、戦争も宗教もこれに似た感情で突き動かされるもんかもな・・ワールドアートの集大成と言うのなら主役は来場者であるべきやろうが!》
櫂は顔を紅潮させ始めた九州支社のメンバーを眺めながら、冷静な感情を深めて苦笑いを浮かべるしかない
『続いては戦略面の話を荒堀から伝えて貰う』
棚橋の進行で荒堀が一歩進み出る
『お疲れ様です・・私達アポイント部隊は人員を増強して頂き、連日遅くまで時間も厭わずにワールドアートの既存顧客様全員にダイレクトメールの発送と電話による勧誘を行って来ました・・本当にアポイント部隊のメンバーは良くやってくれたと感謝しています・・サイン会の実施日意外にも来場者確保が見込めるように、出来る限り来場者を振り分ける事に成功しています。あなた達営業マンはこれら既存顧客様の取り溢しが無いように全力を尽くして下さい・・・・会期中は、私が受付にて来場される既存顧客様を営業マンに割り振る作業に就きますので、例えあなた達のお客様であれど、他の営業マンに割り振る事も有り得ます・・この会期は数字を残す事を最優先に従って貰いますから文句の出ない様に徹底して下さい』
荒堀の言葉が終わると、それを受けて棚橋が営業マンの顔色を確認する
『良えな! 全員の力で必達5億を掴み取るぞ! 各課長は自分のチームメンバーが接客に付いたら、状況の把握に隙を見せるな・・いつもの通りシステマチックに効率良く成約を量産してゆくんや・・俺や、場合によっては中山社長であれフォローに呼んでくれれば良え! その代わり、中途半端なティーアップやと、フォローの威力は半減してしまうからな、お前等営業マンは徹底してフォローに入る人間を持ち上げておくように!』
『はい!』
再びホール内に息の合った返答が響いた
『では、オープンまでの残り30分はチームで自由にミーティングに使え! その後は全員が配置に就いて会期初日オープンや!』
棚橋の言葉で、120名から成る輪は一斉に各チームへと分散した。
『森田次長!』
分散し始めるメンバーの中から聞き覚えのある声が櫂を引き止める
『・・?』
振り返った先には遠慮がちな表情を浮かべた村下が立っていた
『おう! 久しぶりやな・・・』
櫂は笑顔で答えたが、決して久しぶりでは無い・・
大阪での全国会議の度に顔を合わせる機会はあったが、何故か村下には櫂を避けるような距離感があった。
『僕は・・僕なりのチームを目指して今日までやって来ました・・・それで・・』
村下はそこまで言うと視線を逸らした
『おうっ! 随分と強いチームらしいな・・九州に胸を借してくれ!』
櫂は笑顔で答える
『負けません!・・今の僕は・・』
村下は紅潮しながらも再び視線を合わせた
『うん! 九州も全力で勝ちに行く!』
櫂は答えると、本間が手招きするメンバーの元に歩を進めた。
『やっぱり凄かですよ全国は! ご、5億を目指して足並みば揃うちょりますね!』
本間は先程の全体朝礼から興奮醒めやらぬ様子で話した。
『九州メンバーは一旦、会場を出てミーティングや!』
櫂は本間の興奮を遮ってメンバーに指示を出した
《ミーハーおばちゃんは、いちいち手が掛かる・・》
げんなりした気分を我慢しつつ、櫂がメンバーを集合させたのはホールを出て少し離れた海沿いのテラスである。
まだ他の店舗もオープンしていない時間帯で人も少なく閑散としているのを良い事に、櫂は無人の椅子を掻き集めさせてメンバー全員を着座させた。
『こんなにくつろいでいて良かですか? 他のチームは偉く気合の入ったミーティングばしよるとですが?』
山木が不安げに尋ねる
『お前等こそ落ち着けって・・・』
櫂はそう言うとタバコに火を点けて旨そうに煙を吹かした
『・・・?』
メンバーには櫂の言葉が理解出来ない
『勝つんやなかとですか?』
堪らず椎名が問いかける
『そうや、それしか考えてない・・・だから落ち着け・・場を知る事と、場に流される事は違う! 雰囲気に踊らされる事と、目的を持って自分で踊る事は違う! 勝つぞと空回りする事と、勝つ為の行動を冷静に取る事は違う! 今のお前等は、ちょっとその感覚が研ぎ澄まされてない・・・だから落ち着け・・』
ニンマリと笑う櫂の表情を見て、少しずつメンバーが自分を取り戻し始める
『そうですよね・・・九州メンバーに顧客の割り振りは関係無かですよ・・』
石本が呟く
『私はいつも以上の営業を目指しますが、いつも以下には絶対にならんですよ』
回転の早い赤柳にも櫂の言葉の意味が伝わったらしい
『成る程~ 私達らしさを失わずにって事ですね』
岩井が頷くと、東村もうんうんと頷いた。
『そう言う事や! 俺達は鈍臭い九州支社の営業を淡々とやるだけ! 初めて足を運んでくれる来場者に伝えるべき事を伝え、絵のある生活の感動を伝えるんや・・楽しく、笑顔で、小さなYESを丁寧に積み重ねる。 システムも何も無い・・・値幅や優遇で釣る事も無い・・鈍臭い営業集団や・・』
櫂はゆっくりとメンバー全員と目を合わせる
『分かっとりますよ・・・私が九州の営業力ば見せちゃりますけん!』
本間の口調がいつものリズムに戻る
『お前等・・・ゴメンな・・』
『何で謝るとですか! 意味が分かりません!』
石本が慌てて櫂に問いかける
『そんなもん、俺が究極の天邪鬼やからに決まってるやろ! 俺が他のチーム長みたいにヘコヘコ出来る奴なら、今頃はお前等もシステム売りに乗っかれてるやないか!』
『誰もそんな売り方をしたいとは思うとりません! 私達が逆に問題提起してやりますけん・・・これが本当の営業やと言うてやりますけん!』
赤柳が立ち上がって声量をあげる
櫂は待ってましたとばかりに、舌を出して小憎たらしい表情で笑った
『ああっ、次長! 私達を誘導したとでしょ!』
椎名が顔を紅潮させて立ち上がった
『お前等もまだまだやな~ まあ、これで充分に戦えるメンバーやと再認識出来て安心したわ! それにな・・・・・俺には勝利に自信が持てる理由があるんや!』
『自信が持てる理由?』
山木が首を傾げる
『そうや・・・俺と九州のメンバーはな・・数が違うんや! だからこそ浮き足立たずに、いつも通りのお前達で闘い抜け!』
『数って、何の数ですか?』
石本の質問に、メンバー全員が櫂を注目する
『決まってるやないか・・くぐり抜けて来た修羅場の数や! 他エリアに貶されようが、最後尾で無視されようが、足掻く事は止めんかったやろ! 来場者が少なかろうが、お爺ちゃん、お婆ちゃん相手に笑顔を見せ続けたやろ! 仲間が脱落しても、泣き言を殺して次の日から笑顔で営業に出て来たやろ! 横に座ってるのは、それを一緒にくぐり抜けた仲間やぞ! 結束力で負ける事は無い! 営業力で負ける事はもっと無いぞ!』
この櫂の言葉で九州メンバーの心の片隅に媚びり着いた招かれ気分、部外者気分は一気に吹き飛んだ
『巻き起こしちゃるけん、陽子ちゃん旋風を!』
いつもの本間が先陣を切る
『そこは九州旋風と言わんといけんでしょうが!』
すかさず椎名がそれを追いかける
今・・九州支社の闘いの火蓋が切られたのである