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尖んがりジプシーの航路  作者: 下市にまな
第五章 九州決戦編
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前に

河上は目敏く会場の変化を察知すると、即座に自分の傍らに越口を呼び寄せて待機させた


『河上本部長、どうしたんですか?』

 呼び戻された越口は怪訝な表情で河上に尋ねる

『お前にこれを見せる為に同行させたんや・・しっかり焼き付けるんやぞ』

『何を・・ですか?』

『こんな未熟な営業力でも商談の島が増え始めたのは何故や・・・今のワールドアートが一笑に伏して、古いと嘲笑うであろう心に訴える商談の島や・・・よく見ておけ・・森田が懐刀を抜く・・・・お前が営業指導担当ならこの営業の根幹を焼き付けるんや!』

 作家の登場時間も近づき確かに商談数は増え始めているが、越口には河上の言葉の意味が理解出来ない

もっと効率良くタイミングを見計らって上司を来場者に紹介し、会社から容認されている値引きを提示すれば簡単に成約を取れるとしか考えられない。

自分が営業指導担当者として、この九州支社にアドバイスをするならば迷う事無くそう言うであろう。

おまけにサイン会に訪れた既存顧客に対しては、笑顔で迎え入れた後は商談らしい商談もせずに野放しに放置したままも同然である・・・ここで零れ落としている数字だけでもかなりの金額になる筈なのだ・・・・越口は半ば呆れた表情のまま会場の様子を眺めた



『・・・どうなってるの!』

 思わず驚愕する心理が声になる

『これが、チーム営業や・・・しかも新規来場者にしか売っとらん・・よく観察してみろ・・既存顧客には新人社員を充てがって邪険に扱わん様に練習台にしてやがる』

『えっ?・・はい・・』 

 通常であれば既存顧客は必ずトップセールスから順番に振り分けるものである・・それが確実に数字を残すセオリーの筈であるが、此処ではそれが真逆である。

『それだけやない・・指示も出さんのに新人がファミリー客の子供を商談から引き離して子守を始めとるわ・・こういう機転はな・・常に己の頭で物事を考えさせる環境に置いてやらんと育たんのや!』

 時代錯誤の愚直な営業集団が目の前で痛快に繰り広げる成約劇に越口は驚愕した


『どうして、この集団が達成率を切る事に・・・』

 又もや心の声が漏れ出てしまう

『お前、お洒落気分で経済新聞を持ち歩いてるんか・・・この九州はショッピングモールの閉鎖も後を絶たん程に冷え込んだ商圏や・・非正規雇用を選択するしかない若者が溢れ、将来への不安に消費は減少する一方・・分かるか、他の役職者で森田のやっている事を熟せる奴など居らんわい!』

 河上は多少の苛立ちを滲ませた口調で越口に言い放った

『確かに・・・凄い!・・』

 越口は次から次へと商談を渡り歩いては成約を量産する櫂の決定率に驚嘆する様に呟いた

『今のままではワールドアートに未来は無い・・・人を喰いものにして成長する営業会社の末路はそんなものや・・・お前も直ぐには理解出来んやろうがな・・あいつを見て何かを感じてくれ・・』

 宥める様な口調ではあるが、越口はその河上の言葉に動揺する自分がいると自覚していた。



サイン会は無事成功に終わったが、それでも月間の達成率に僅かに届かなかった悔しさが込み上げてくる・・・櫂はそれを表情には出さなかったが、今の越口にはその悔しさが想像出来る。

『おい、越口・・今日一日の率直な意見を森田に言うてやれ・・』

 搬出作業に追われる社員をバックに表情を変えないまま挨拶に来た櫂を見ながら河上は言った。

近付いてくる櫂に何故か反射的に越口は立ち上がってしまう

『・・私は・・正直驚きました・・・森田次長の営業力は驚異的です・・でも、それを生かすにはアプローチ社員の商談の回転率が・・・・』

 無理矢理に意見を絞り出そうとしても、簡単に言葉が出てくる筈も無い

『うん・・その通りやな~、アドバイスありがとう!』

 櫂は即答した後で握手を差し出した。


『櫂、儂は明日には越口と大阪に戻る・・・ATHまでには形に成りそうか?』

『必ず戦力として参戦します・・・勝ちに行く事しか考えていませんから・・』

『大丈夫かよ・・このひよっ子軍団で?』

『はい、このメンバーだから大丈夫と信じられるんです・・』

 河上は最後に小さな笑みを返して会場を後にしたが、それは妙に寂しげな表情だと櫂は感じた



翌日に数週間振りの休暇を取った櫂は、井筒からの電話で河上にワールドグループ本社への転勤辞令が出た事を知らされたが、今回の九州訪問は河上流の別れの挨拶だったという事なのか・・

本社の北浜会長の直参社員である河上が本来の部署に戻るのは不思議ではない、中山のワールドアート創設の番頭役として力添えの為に会長の意向に従って今までワールドアートを支えて来たのだ。


櫂は裸足のままベランダに出た

自宅に戻った櫂に対して、優里は一切の会話を拒んだ。

唯一の安息の場で、自分の存在を無視されるこの行為には櫂も精神的に打ちのめされたが、それも原因は自分である。


重苦しい室内から逃げ出す様に櫂はタバコに火を点けた・・

優里と血の繋がる父親が居ると言っても、今は実家と呼べる関係では無い・・・・・妹の優華も遥か遠い大阪の地で簡単に会う事も出来ない

母親を敬愛して生きてきた優里が、今、頼れるのは櫂の存在だけなのだ! その櫂が仕事に追われ、留守を続けるのだから不満が出るのは仕方がない

鬱憤を吐き出すたびに別れを簡単に口に出す優里の心情は理解し難いが、母親の後ろ姿を追う優里にとって離婚は特段に重くも感じぬ行為なのかも知れない・・・

九州に転勤してから考え事をする度に、ここからの変哲もない風景を眺めてはタバコを吸った

 《この景色は嫌いやな・・どうしても悩み事が多くなる・・》


河上が北浜の元に戻ったと言う事実・・・


《河上本部長が今の窓際業務への不服を北浜会長に訴えての事か? 違うな・・あの人はそう言う事を絶対にしない・・・って事は・・・北浜会長の意思で呼び戻したと言う事になるな・・・》

 櫂は吸い込んだ煙を勢いよく吐き出してから空を見上げた


《ワールドアート事業部はいずれ切り離される・・・経営内容は河上本部長を通じて北浜会長に筒抜けや・・蜥蜴の尻尾切りが始まる!》

 公私共に難題が山積されたこの状況に叫び出したくなる


『チッチュ・・で~っしゃがきます・・・ごちゅ~いします・・』

 突然の声に我に返ると、玲央が櫂の出張土産で買って帰った電車模型を持って、いつの間にかベランダの格子から足をぶらぶらと出しながら此方を見て笑っている。

『あのな、電車が来たらご注意するのは自分だけやないぞ・・車掌さんはみんなにもご注意するんや』


《光が無いと挫けそうやったけど・・こんな近くに居るやないか! 父ちゃんはお前が胸を張れる闘いをするぞ! 前に!・・後悔を残さん様に前に進むんや!  今は絶対に投げ出したらアカン!》


上には上が居る・・櫂が島流しに追いやられた様に、いずれワールドアートも本社グループから追いやられる日が来るであろう

櫂は終焉を予感しながらも、最後まで折れずに闘い抜くと決心した。


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