渇望
漲る闘争心は車に例えると燃料である・・・・
だが、その燃料を効率良く燃焼させるには内燃機関の歯車が噛み合わなければ車は前に進まない。
本会場への来場者は本間に優先的に回されているが、本間のトークは軋んだ機械音の様に来場者の不快感を煽り、逃げ帰るように来場者は本会場を足早に立ち去ってゆく。
そんな本間を他所に、自分達の成長を実感しながらエスコート客を着実に増産してゆく椛田・石本・岩井の接客は、回を重ねる毎に来場者との距離を縮めている
『次こそ見ときんさい!』
本間は体に篭もり始めた熱を誤魔化す様に額の汗を拭った
『お前な・・・一寸、タバコでも吸いに行こか! パチンコに溺れとるおっさんみたいに焼糞と空回りのお祭り状態やぞ・・』
櫂は本間の頭を軽く叩いてから笑顔で手招きした。
『タバコば吸うとる場合やなかですよ・・・大丈夫です!』
恥ずかしさで更に熱が上昇するのが分かる
『阿呆! どう考えてもタバコば吸う状況ばってんですっちゃやろ~が!』
櫂は冗談交じりに言うと、早く来いとばかりに先程よりも大袈裟に手招きを繰り返した。
《おいおい! 次長はこんな状況で会場を離れるんかいね!》
石本は何度目かのエスコートによって、ようやく辿り着いた本会場での座り商談で本格的な割賦表を使っての佳境に突入しようかという山場を迎えていたのだ。
気のせいか会場を離れる櫂が、小さく振り返りながら石本にニヤリと笑顔を向けたように見える
《頼るなと言う事かいね・・・谷底に放り込むってパターンっちゃ! 売上なんか無視しとるとしか思えんけんが、このままじゃ終わらんもんね!》
万策尽きかけてはいるが、石本はひょうひょうと来場者に笑顔を向けて再び商談に集中した。
エスコート客に対して観覧会場で対応する椛田と岩井は、櫂が本間を引き連れて喫煙場のあるバックヤードに入ってゆくのを見かけたが、保護者のように初日からの3日間を後方から見守り続けていた櫂が現場を離れても大きな動揺を感じる事は無くなっていると感じていた。
それよりも櫂が現場に戻るまでに自分の出来る範囲を拡大して驚かせてみたいと言う気持ちのほうが強くなっている。
椛田と岩井の表情をチラリと確認した櫂は笑顔のまま振り返らず姿を消した。
『まだ始まったばかりですけん!』
本間はタバコの煙を吐きながら周囲で喫煙する花タウン従業員の目も気にせずに息巻いた
『そうやな』
櫂は短く返答するだけで相変わらず笑顔のまま旨そうにタバコを吸い込んだ。
『私が必ず山木・納元チームに勝つ数字を残しますけん!』
『おうっ』
櫂はゆっくりと煙を吐き出しながら、気の抜けた返答を返すだけである
『本気で思うとらんでしょう? 次長は信じとらんばい!』
語気が荒くなる本間に遠慮するように花タウン従業員達は喫煙場を立ち去ってゆく
『信じとるで』
櫂はポツリと答えるが、それ以降は2人だけになった喫煙場に沈黙が訪れる
随分と長い沈黙に感じるが、本間の持つタバコは然程も短くなってはいない・・・本間は水の張られたバケツに自分のタバコを放り込むと俯いたまま櫂に問いかけた
『一体この3日間であん子達に何を教えたとですか・・・まるで別人に感じます』
『教えるも何も・・あいつ達はまだそんなレベルまで行っとらんぞ・・お前もな・・俺が伝えたのは基本だけ・・基礎の無いところに家は建たんやろ?』
『何で私には教えてくれんとですか?』
拗ねた子供のような口調で本間が訴える
『言うたやろ、 俺がお前の本気を感じる時が来たら惜しみなく教えるわって』
タバコをバケツに放り込みながら答える櫂を見て本間が気付きの表情を浮かべる。
『気付いたか? 心を素直に開いてくれんかったら俺が伝える事なんか染み込まへんのや・・』
『教えて欲しいです! 私も営業マンとして成長したかです!』
本間の表情は素直に成長を渇望する子供そのものである。
全てはこの瞬間に向けられたものであったと言っても過言では無い・・・
素直に成長を欲する強い意思!
櫂は本間のそんな単純さが、強烈な成長に繋がると大きな期待を持っていたのである。
体に染み込んだ先輩体質・・勘違いと思い上がりの鼻をへし折ってからでなければ、本間が本来持つ強さを引き立たせる事など不可能だと判断していたのだ。
『ガッツリと詰め込んでいくけど、お前は付いて来れるか?』
『意地でも付いて行きます! 本気モードの陽子ちゃんで!』
渇いた土に水が染み込むように・・・・
櫂は本間の表情を見ながら、自分自身も渇いていなければならないと戒めていた。
潤いや満足は新たな発見や気付きを拒む大敵なのだ・・・
《どう考えても、九州はカラッカラに渇ききってるけどな・・》
『よしっ! 会場に戻るぞ・・・そろそろ石本が商談客に逃げられて泣いてるわ! 何故や、どうしてや・・と、心を渇かして答えを探し廻っとる頃や!』