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尖んがりジプシーの航路  作者: 下市にまな
第一章 新人奮闘編
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 北館入口に戻ってからの櫂と林葉は配券業務をすぐには再開させずに、お互いの商談内容を報告し合った。

藤田が自力でエスコート客を会場まで案内しているので、一息のタイミングが出来たからである。

『奥さんは欲しがってたのに、私に何が足りなかったんやろう?』林葉は悔しそうに配券を握り締めた。

『俺は欲しがってた本人すら説得出来んかった・・』 櫂の表情にも悔しさが滲み出る。

お互いの報告を聞いたところで悔しさが先行してしまい、其々アドバイスなど出来る心理状態では無い。

負の心理を引き摺らず先ほどのエスコート作戦を即座に再開するのがプロたる行動であると頭では理解してはいるが、今の二人にはもう少しの時間が必要なのである。


『二人共初めての接客だったのに大奮闘してましたねっ』 突然の声に振り返るとピンクジャンパーを着た池谷が笑顔で立っていた。

『えっ? 池谷主任・・お疲れ様ですっ!』 林葉が慌てて挨拶し、 櫂もそれに続いて挨拶した

『ほら、わたし商談していたからまだご挨拶出来てなかったでしょう』 池谷は上品な口調でそう言うと笑顔を二人に向けた。

 《なんて腰の低い人なんや、想像してたトップセールスの雰囲気とは全然違う・・》

『二人共、ホント凄かったですよ~、私は直ぐに商談なんて出来なかったもの』

『でも結局は買ってもらえませんでした』林葉が答える

『接客する全ての人に買って戴ける事なんて無いんだから、それに二人はもうさっきの商談を次のお客様に役立てようと考えているんでしょう。』

『それは・・そうですが・・』 林葉は、やはり悔しいものは悔しいという表情で返答した。

『断られた数だけ、断られる理由があるはずでしょ、後はそれを負の気持ちで考えるか前進しようと考えるかしかないよ、偉そうに言っても私の場合もっと二人よりウジウジしていたから恥ずかしいけどね・・』

池谷は本当に恥ずかしそうにそう言った後、どんな断りがネックだったのと、トップセールスらしからぬ謙遜な態度で二人の話を丁寧に聞いてくれたのである。


『なる程、私の意見は参考程度と思って聴いて下さいね』そう前置きをしてから池谷はアドバイスを二人に話し始めた。

『まず林葉さんはネックになるご主人を説得して、ご主人から買いますというセリフを引き出そうとしたよね』

『はい、奥様は既に欲しいという気持ちをお持ちでしたから・・』

『そうね・・例えば私なら最初にご主人をNOと言えない状態にしてから、YESを簡単に引き出せる奥様から買いますというセリフを引き出すような流れを作ったかも知れないですね』

『どういう意味ですか?』 思わず櫂も身を乗り出してしまう。

『先回りで良いご主人を作っちゃうんです・・こんなに家族思いの素敵なご主人なんですから普段の奥様の頑張りを知らない訳が無いですよねってご主人に問いかけるの。 それでご主人が答える前にご主人の理想のセリフを私が奥様に言って聞かせるんです・・奥様が本当に大切にできる宝物だと思うなら買ってあげるよっ・・そうですよねご主人ってね・・』

『なる程、実際にご主人は話してないけど最高のご主人が話したようにですね・・・後は奥様が正直に答えるだけですよと、奥様YESを引き出す訳ですね』

林葉の表情がみるみる明るくなる。

『そう、後はこれを大小の波の様に繰り返して、徐々に最高のご主人がYESを心の中で出してくれてるよという状態を作ってゆくの』

『やっぱり最高です池谷主任!』 林葉の喜怒哀楽がマックスで復活してしまった。

『但し、購入して戴けたなら、ご主人へのフォローアップは入念にね』


『次は森田君だけど、欲しいという状態までその女性をご案内出来たんですよね』

『そうです、後は踏ん切りと言うか・・バンジージャンプの飛ぶ寸前みたいな気持ちを説得できませんでした』

『あはは、森田君って面白い表現するね』池谷は笑ってからこう続けた

『とにかく絵のある生活や大切な宝物のある生活をして欲しいと一生懸命に話したんだよね・・・ 森田君の熱い思いはとても素敵だと思うけど、私なら押すだけじゃなく引く事を取り入れながら説得するよ』

『引く?・・ですか・・』

『うん、例えば・・もし本当に必要ないと思われるのでしたら絵のある生活はお勧めしません、只この絵があれば・・と言う風に、気持ちに振り幅を持たせてあげるの。 森田君も押され続ければ押し返そうという心理になっちゃうでしょう?』

『そうか~、一生懸命すぎるトークがそのまま自分のゆとりの無さやったんや、 それで木村さんの心にも逃げ場所を与えてあげることが出来なかったんや・・』

『うん、でも森田君の強い気持ちは営業する上では凄く大切なものですよ、うまく接続詞を使って、只とか仮にとか、もしもとかね、押し引きの波も大小それぞれで使い分ければ良いと思いますよ』

『ありごとうございます! 勉強になりました』櫂の靄も見る見る晴れてゆく。

『拙いアドバイスだけど、お役に立てたのなら嬉しいです』 池谷は上品な笑顔で答えた。 

《やっぱりトップセールスの池谷さんは人間性も素敵な人や、 俺もいつか教えてもらった事を誰かに教えてあげられるようにならないとあかん!》

櫂は人の心理の繊細さやそれに対する営業の奥深さをしみじみと感じながらそう決意をしたのである。


 井川からのトランシーバーの問いかけで展示会場に呼び戻された櫂と林葉はバックヤードに入った。

既に人吉と秋爪も戻っており、そこで井川から研修終了を言い渡された。

『合計8日間の研修ではないんですか?』 人吉が驚いて聞き返す。

『当初はそうやな・・・もう小部屋で学ぶより・・お前らは現場のほうがええやろ・・ 2日後に心斎橋の【ギャラリー黒鳥】を手配したから・・3日間だけそこで人吉を頭にやってみろ』 それを聞いた人吉は激しく目をシバたかせて動揺したが、櫂と林葉はアイコンタクトの後ガッツポーズを出した。

『明日はその準備と・・夕方には搬入作業や・・・今回の展示作品の選定と備品の準備は人吉・秋爪が担当すればええ・・・・それと・・運搬会社の手配は明日の午後2時に手配済みや・・森田・林葉・藤田は研修室で搬入までに・・アプローチブックを作成しとけ・・』

『アプローチブック?』 林葉が聞き返す

『アプローチブックは営業マンが使用するツールで部屋に絵を飾っている写真や、お客様から頂いたお手紙、それとメインでよく使用する割賦表(分割払い表)等を入れて作ったファイルブックです』秋爪が井川に代わって説明した。

『明日は・・牧野課長チームも準備で会社に来るから・・そこで写真とかの材料は貰ったらええわ・・もう牧野には連絡を入れといたから・・・』

井川はそう告げるとバックヤードを後に展示会場内へと出て行ってしまった。

『チョット人吉さんしっかりして! シバシバが激しすぎるけど』 林葉が自分の目をシバつかせて人吉の肩を叩いてからかうが、人吉は心ここに在らずである。

『人吉さん、ギャラリー黒鳥ってどんなところですか?』櫂の大きな声に我に返った人吉が答える

『あっ、うん・・桝村課長を頭に新人の頃の荒堀・満島・加山・牧野課長陣が初めてトライアルした現場で、3日間の短い会期ではあったけど一枚も絵を売ることが出来なかった会場・・・というのは聞いたことがあるよ・・・』

『私、ギャラリー黒鳥の前は何度か通った事があります・・一階は潰れた喫茶店で・・その横の細くて急な階段を昇った2階だったと思います・・多分・・』

 秋爪は遠慮がちにそう言ったが、表情からは【ギャラリー黒鳥】の寂れ具合は充分に伝わってくる。


 始める前から失敗を想像しても何も得るものは無い、どうせなら当たって砕けろで進むべきだ。

結果が出せずに周囲からの評価が下がろうが構わない・・・評価にしがみ付けば全力で挑むエネルギーが無駄に無くなるだけである。

どんな場所でも明日の糧を拾い上げるチャンスはあるはずなのだ!


【イエスマンで終わらない独自性のあるメンバー】として選択された気質が顔を覗かせ始めていた。

櫂と林葉は目を合わせて期待を膨らませながら、明日の牧野チームとの接触を心待ちにすらしている気持ちを共有していた。


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