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尖んがりジプシーの航路  作者: 下市にまな
第五章 九州決戦編
119/160

視界

 花タウン佐賀店での催事は既に3日目に突入していたが、未だに成約件数は0のままである

『2件か、わかった・・・もっとペースを上げて成約を追わんと別働隊に抜かされるぞ!』

 櫂は携帯電話越しではあるが、笑顔を振りまきながら夕方最後の定時報告を寄越した山木に答えた

『山木チームは2件だったんですか?・・このままじゃヤバかとですよ! もう3日目も終わろうとしとるのに私達はまだ数字を残せとらんのですから!』

 携帯電話での櫂と山木の会話に耳を澄ませていた本間は焦る気持ちを抑えられずに声量を上げる。

『何で? まだ会期は週末を含めて3日も残ってるやないか・・』

櫂の惚けた返答に本間の焦りは余計に助長されるが、それもその筈である。

花タウン佐賀店の3日間での本会場平均来場者数は5名にも満たないのだ・・

本間自身も決して営業の手を抜いた接客をしてきた訳ではない、買い物袋を持った年齢層の高い主婦や、暇つぶしに会場に訪れた定年退職後の年配男性を相手にトークを試みるが、それらはことごとく相手に響かず、精神的な疲労が蓄積するばかりであった。


《少ない客数に、しかもあの客層ったい! 誰が売れるんかいね!》

主任としての数字を櫂から要求され、それに答えられないままの自分・・・

心の奥から聞こえてくる言い訳がどんどん大きくなっている事に本間自身も気付いてはいるが、今の本間にはそれを払拭させる程の精神コントロール能力は無い。


『大丈夫ですよ本間さん、観覧会場は日に日に来場者が増えてますけん! 年配客が多か事は確かですが明日にはどうにか出来そうですから!』

 本間に向けられる石本の表情には、単なる法螺では無いという自信が読み取れる。

『そうですよ、本間さんには私達が本会場での営業に辿り着くまでに少しでも数字を残して貰わんと』

やけに自信に溢れる椛田が挑発的な言葉で笑顔を向けてくる

『あんたら・・わかっとるんね! 楽しく話すだけでは成績にはならんのやけん!』

ストレートな本間は苛立ちを隠そうともせずに2人に反論した。


『おう、確かにそろそろ数字を残しとかなヤバイな・・・本間が他チームに勝ちたいと考えてる気持ちの強さはよ~く理解出来たで! せやけどな、楽しく話すだけでは数字にならんと言う所だけは間違いやわ~、 楽しく話す事からしか成約への道は始まらへんのやから・・そうやろ岩井!』

 櫂が傍らの岩井に問いかける。

『はい、楽しんで頂く為に、明日も私は楽しみます!』

 いつもの岩井であれば眉毛を下げて小さな声で同調するだけであるが、この日の岩井は本間の予想に反して満面の笑顔とハキハキとした口調で櫂からの質問に答えて見せた。


《あんたら・・気でも狂ってしもうたと?・・深夜まで次長の部屋で営業指導ば受けちょるんは知っとうけんが・・たったの3日間であんたらみたいなじゃりん子が変われる訳なかろう?》

 本間にはこの3日間でのメンバーの急激な変貌が違和感でしかないのだ。


『よ~し! 残りの3日間で山木・納元の鼻をへし折るか・・俺は明日からは配券にも観覧会場にも姿を見せんからな! 残りの壁は自分で壊して本会場へ来い!』

『いよいよ次長が営業されるんですね!』

 櫂の言葉に本間が色めき立って言葉を返す

『い~や・・そこまでするつもりは無いけど? 俺が営業しなくても明日辺りはこいつらの誰かが営業まで辿り着く・・俺は援護射撃だけで充分やぞ・・』

 櫂は言い終えると閉店準備の指示を出した。


《この人は私が期待している程の人物では無いって事なんかいね? ひょっとして、本当は営業力なんか無いのに大法螺を吹いてるだけやなかろうか? じゃりん子は騙せても私の目は誤魔化せんけんね・・化けの皮ば剥がれる日も近いっちゃ!》

 心で悪態をつき始める本間を見透かしたように、櫂は上機嫌な笑顔を本間に向けていた。



『次長は何を考えとるんか分からんですよ・・ええ・・でも、勝負は負けませんから! 覚悟ばしちょって下さいよ!』

 ホテルでのチームミーティングを終えた本間は、フロントロビーのソファーに埋もれながら、携帯電話の相手に不機嫌な口調で答えた。


『本間さんは営業勉強会ば参加せんとですか?  昨日からは岩井も参加しとりますよ・・』

 通話を終えた本間に徐に声を掛けてきたのは、コンビニ袋に大量の飲料水を買い込んだ石本である。

『数字は私が残しちゃるけん、あんたらは先生に楽しく教えてもろうたら良え! 私一人でも山木チーム・納元チームに勝ってやるけんね!』


《おそらく電話の相手は山木課長やね・・》

 石本は目の前に座る本間に対しても心理を探っている自分を可笑しく感じながら言葉を返した。

『確かに先生の授業は楽しかですよ、自由参加やけんこれ以上は誘いません・・本間さんが山木課長に勝つならば、僕は本間さんにこの会場で勝ってみようと思います』

『あんた! 新人の分際で大口叩くね・・法螺まで教わっとるんかいね!』

 本間は語気を強めて石本に噛み付こうとしたが、石本はメガネの奥の緩んだ視線で惚けた表情を作ったまま言葉を返した。

『そろそろ部屋に帰らんと、次長が苛立ちますけん・・あの人、ヘラヘラしとるかと思うたら急にせっかちになったりで・・読めないっちゃ』

 生意気な新人社員は最後にニッコリと笑うと急ぎ足で姿を消した。


《大法螺を吹いてられるのも今日までやけん!》

 本間はタバコに火を点けていつも以上に大きく煙を吸い込んだ。



石本は緊張している自分が重要だと考えている・・・・とてつもない期待感が心の中に渦巻いているからだ。

冷静にならなければ、櫂から学んだ事に・・そして自分が経験の中から学んだ事に溺れてしまいそうで怖い・・

初日は挫折の繰り返しであったが、適材適所で繰り出される櫂からのヒントに疲労も忘れて課題に没頭出来た。


客の心理を見続けろ、脳味噌をフル回転させろと言われ続けながら石本は気付き始めた。

《この人は僕達の心理を見続けている・・脳味噌をフル回転させたまま次の一手を考えている・・こういう事なのだ! 客に対しても同じように全力で神経を注ぎ込む・・知識と心理を読む力・・そして先を読んで次の一手を繰り出してゆく・・》


 2日目・・櫂は営業トークのテクニックを小出しに伝え始めた

同調・先回り・押し引き・・・・・・細かすぎて全てを吸収するのは容易ではないが、接客が終わる度に納得させられるだけの指摘を与えられた。

一緒に悪戦苦闘する椛田も岩井も、情報量の多さに脳の熱が上昇していると感じていた筈である。

ここまでほとんど睡眠らしい睡眠は取れていないが、生理的な睡眠欲を上回る自分の成長への実感が次に与えられる営業の奥深さを求める事を止めない。


 そして今日・・自分の中でパズルのピースが組み上がり始める音が聞こえてきた・・

インプットされたと言うよりは、体験の中で体に刷り込まれたと言ったほうが適しているのかも知れない・・

とにかく霧を掻き分けていた様な客への接し方から、トークと言う形態に言葉が変化していた・・・・そうだ、視界は突然に開けたのだ!


《こんなに急に?》

 後一歩のところで本会場への切符を手に入れかけた石本が感じたのは、落胆ではなく高揚感であった。

『メガネ君! そこで完成やと思ってるんやったら足元をすくわれるぞ!』

 即座に見透かした櫂の言葉が降りかかる。

『はい、油断はしませんけん』

 櫂との会話に言葉数も必要無くなってきていた。



『どうなんですか? 数字の進捗は?』

 櫂と石本の会話を遮るように登場したのは白髪頭の年配店長であった

『店長~、お疲れ様です!・・今のところはまだ売上はありません!』

 櫂は愛想よく笑顔を見せながら大声で答えた

『売上はありませんって!・・君ね~責任を持って数字を残すと言ってたのは法螺かいね!』

 店長は機嫌を害した表情を隠そうともせずに櫂を見返す。

『勿論、責任は果たしますよ・・こんな立派な店舗まで準備してもろたんやから』

 あっけらかんとした櫂の返答は、店長の怒りに油を注いでいるようで、傍らで見守る石本は胆の冷える思いで見守るしかなかった。

『あんたの大口が法螺やったら今後の付き合いも考えんといけんな!』

『勿論、仰る通りです! と、言う事はですよ・・・お約束の数字を達成した暁にも今後のお付き合いを考えていただく余地があるって事ですよね!』


《あちゃちゃちゃ~!・・この人むちゃくちゃったい!》

 一触即発ムードの2人に石本は目を覆いたい気分である


『いいでしょう! 私も君の口車に乗ったんやけん見届けさせて貰います』

 店長は憤慨したように吐き捨ててその場を去った。


『やばくないですか・・あんな事まで店長さんに言わせてしまって・・・』

 流石に石本も心配になる

『メガネ君・・・法螺吹きでも大口でも、そんなもん好きに言わせとけば良えねん・・そう思ってくれてたほうが、期待を上回った時のインパクトは大きいやろ~が!』

『本気でいくつもりですか? 500万の数字目標・・』

『本気じゃなければこの3日間は何や? お前達に山程の失敗を経験させたのは何の為や? 失敗して考えて、苦しむ経験を積んだ事の無い奴が人の心理を読めるか? 営業に天才なんか居らんのや・・3日間の成績0は当たり前の結果やで、只の準備期間や!  それで残りの3日間で達成数字クリアも当たり前の結果や! プライドを掛けた全力ゾーンやぞ!』


櫂はガキ大将のような表情で石本に言い聞かせたが、それは店長との一連の騒動を目撃していた椛田・岩井にもしっかりと届いていた。




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