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尖んがりジプシーの航路  作者: 下市にまな
第五章 九州決戦編
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 花タウン佐賀店会期初日、緊張するなと言うほうが無理な話である・・・・

朝礼に集う別働隊メンバーは張り詰めた表情で櫂の言葉を待った

『お~い、お前達さ~ 今から戦争にでも送り出されると思ってるんか? 確かに俺が成長を見込んで選抜したメンバーではあるけどな~ 本間は必要以上に鼻息が荒いし、椛田はマッチ棒みたいにコチコチやし~ メガネ君は緊張でメガネが曇る寸前で、岩井は出会って以降最強に眉毛が下がってる~』

 櫂はやれやれと肩を落とすと、暫く腕組みをして考え込む仕草のまま俯いた。


『あのな・・心配せんでも全国の誰~も、お前達の数字なんか期待してないから・・初日までにやるべき事はやったんや、そしたら初日以降にやるべき事は笑顔で来場者を楽しませてやる事だけやろ・・今日来場して下さるお客様はお前達の緊張なんか関係無いんやから意識はお客さんだけに向けろ』

『それでも山木チーム・納元チームの数字には勝ちたかです』

 本間は本音を隠さずに言い放つ

『心配せんでも客さえ入れば勝てる・・俺が居るんや・・お前達はそれぞれ、先ずは自分がクリアすべき課題に向き合う事に勝利しろ! チーム間の競い合いを対象にするのはまだまだ先の話や・・真っ白から、よ~いドンや・・・』

『真っ白から・・』

 椛田の表情が引き締まる

『そうや、少しの成長も喜べば良え・・積み重ねるんや! 止まらんとな・・それを楽しんだ者勝ちやぞ!』


《そうだ、言われた通りだ! 出来るまで試す・・そして考えるの繰り返し・・全力で繰り返せと、昨日のミーティング後に呼び出されて言われたばかりではないか・・》

椛田の表情に覚悟が宿った事が確認出来る・・・櫂は一気に指示を出し始めた。

『柱の設置は俺とメガネで15分以内に完了させる、本間は受付待機、椛田は作戦通り2本柱前、岩井は入口看板柱前にて配券・・嫌、違うな・・営業開始や!』

『はいっ!』

 ようやく張りのある返答が返ってきた

『自分のお父ちゃん、お母ちゃん、兄弟姉妹に絵の良さを理解して貰いたい、本気でそんな気持ちを持て! 売ろうなんて考えなくていいぞ・・・家族には遠慮も緊張も要らんやろ? 楽しませてやってくれ!』


《私の第一段階・・楽しみと興味を持って貰う事・・》

 椛田は昨日にホテルの部屋に呼び出されて与えられた課題を想い返していた。

櫂が鞄に入れて会場から持ち帰っていた画集を押し付けて言ったのは、お前の第一段階は知識武装・・・

徹夜してでも取り扱い作家と、その作品についての知識を叩き込めと言う事だけである。

驚いた事に、櫂と同部屋の石本もこっそり画集を持ち帰っており、椛田と櫂の会話に黙って耳を澄ませてはそれをノートに書き込んでいた。


真剣に知識を頭に叩き込む作業は入社以降、初めての行為であったが、自分の知っている作家・作品の知識がいかに薄いものであったかを痛感しながらの作業であった。

《こんな基本的な努力すら気付かないままだったなんて・・・時間を無駄に捨ててきた・・》

流されるままに周囲の環境に甘んじていた自分が恥ずかしく、同時に知識が増えてゆく自分に対しての期待が膨らんでゆくのを感じる。

意図せず頭に入った情報と、自分が知りたいと欲して手に入れる情報の深さには雲泥の差があると気付く・・・・


《早く次のステップに進みたい!》

無表情になりがちな自分の口角を無理矢理に上げながら椛田は意を決した。

『あんたどうしたんね? 気色の悪か表情で笑うてからに・・』

 本間がすかさずチャチャを入れるが、気にもならないのが心地良い


《時間を取り返す!・・・必ず抜かしてみせるけんね・・》

 椛田はニッコリと本間に笑い返すと会場を飛び出した。


 今回の櫂が取った戦略は別働隊の想像を超えた奇想天外なものであった。

花タウン店長との独断交渉の末に、なんとテナントの抜けた専門店街の空店舗を1つ確保してしまったのである。

空店舗と言ってもスペース的には充分な大きさを備えており、搬入を終えて作品を並べた本会場と比較しても遜色は無いスペースと思われる。

位置的にも1階から2階へと続く上りエスカレーターを降りた真正面という好立地となり、こちらの空きテナントスペースを本会場として使用したほうが良いのではないかと本間が提案した程である。


『ここは営業の場としては使用しない・・選別した作品を2本柱に数点だけ展示するが、来場者が不要なプレッシャーを感じずに自由に観覧出来るスペースにするんや・・椅子も自由に使ってもらって・・・テーブルは会場の真ん中に一つだけ・・画集と本会場への案内となる配券だけを置いておく』

『そんな事して何の意味があるとですか?』

 本間が聞き返すが、櫂の意図を理解出来ないのは他のメンバーも同じである

『営業マンは観覧スペースの外で待機しとけ・・・そこからが今回の課題へのチャレンジや!』

『課題?』

 メンバーはこの時点でもやはり理解に苦しんでいる様子である

『観覧スペースに足を踏み入れる営業マンは2名まで・・観覧に訪れた来場者がどんな客層であろうが此処ですべき事は一つだけ・・・持てる知識を惜しまず、絵の楽しみをひたすら伝えるんや。 本当に楽しそうな表情を引き出し、心の篭ったありがとうを言って帰って貰えれば課題クリア!』

『はあ?』

 いよいよメンバーが混乱し始める

『要するにお前達は美術館の学芸員のように豊富な知識で来場者の興味を深めるんや・・絵を売ろうなんて色気があれば一瞬で来場者は心を閉ざすぞ!』

『その後はどうするとですか?』

 堪らず石本が問いかける

『その後は笑顔でさよならして終わりやけど?・・今のお前達がそこまで到達出来るかな?』

『営業にならんとやなかですか~』

 鼻息の荒い本間の声が大きくなる

『何処で誰と対峙しようが今のお前達なんか営業になんかならんわ・・1日目は俺の言った事に徹するんや・・そうでないと2日目は迎えさせんぞ! 但し、エース主任の本間様だけは本会場で数字を残す事に徹すれば良い・・山木・納元チームに負けたくなければ会期前半は本間が数字を残すしか勝つ方法は無いな』

『わ、私一人の数字ですって!』

『役職者の仕事やないか! か弱い部下が成長しようと闘ってる間はカバーしてやらんとな・・心配すんな、後ろには俺が控えてる・・・本間は当てにならんぞと思ったら俺が一人で売るから』

 単純な本間はこの言葉だけで闘士が燃え上がった様子で、分かりましたと更に鼻息を荒くした。


『僕達はそんなゆっくりペースの成長で本当に良かですかね・・』

 石本が、あまりにも明白な素人扱いに焦りを抑えられずに呟いた

『やってみれば分かるやろ・・・初日の課題が営業の根幹と言っても良い! 知識武装したなら伝えられないと意味が無い・・その次のステップは理論武装・・営業トークのノウハウやな・・これも相手に察知されずに自然に使い熟さなければ意味が無い・・ゆっくりペースじゃ無い! 重要やからこそ時間を大きく割り振っているんや・・嫌と言う程相手の心理を察知しろ・・常にフル回転で脳味噌を使うんやぞ! 本当に興味を持って頂けたと思った時だけ、本会場の新作を観ませんかと誘導してやってくれ』


《なる程~、完全に育成会場として考えとるって事やんね・・・ならば全力で乗っかった者から成長への道を進んで行けるって事になる・・こりゃあ、一日一日が濃ゆい内容になると覚悟ばせんといけん!》

 椛田も石本もすべき事が明確になった事で、今の自分の立ち位置を再認識した様子で頷いた


『観覧スペースが2名限定なら、一人は入口での配券業務って事ですか?』

 先程まで気配を消して話を聞き続けていた岩井が徐に質問した

『そうや、館内の客数を考えれば特に午前中は複数の配券要員を必要としない・・・メインの中央入口前に1名だけで充分や・・但し、客数自体が少ないんやから配り損じは大きな痛手やな・・初日の午前中は俺が岩井に配券のノウハウと、受け取る客の心理をレクチャーしてやる・・安心しろよ、配券を理解すれば観覧スペースなんか一気に飛び越えられるからな!』

『有難うございます!』

 岩井は入社以降始めて自分だけに向けられる指導に素直な喜びを表現した。

『それそれ! 今のその嬉しそうな顔を一日中キープしてくれ・・数え切れん位に失敗を繰り返す一日になるやろうからな・・お前の眉毛が下がったら俺の指導はそこで終了するからそのつもりでな・・即終了でガッカリさせるなよ』

『は、はい・・』

 返答する岩井にも課題が見え始めた様である


《この催事の全てが育成に連なるように考えられてるって事っちゃね・・次長が俺達の可能性を信じてくれてるのが解る・・ブルってる場合やなか!》



櫂がメイン中央入口に3枚の看板を貼り付けた三角柱を設置して会場に戻ると、本間が小さな手鏡を見ながら濃い目の化粧をチェックしている最中であった。

『なんだか森田次長が九州に来られてから、皆の態度が変わったとです・・』

『ふ~ん、どう変わったんや・・』 

 櫂に聞き返されて、本間は恥ずかしそうに手鏡をポーチに仕舞い込んでから答えた

『よく分からんとですが、特に椛田は生意気になったと感じます・・絶対に力で捩じ伏せてやりますけん、次長も見とって下さい!』

『おう、しっかり見とくわ!』

 櫂は吹き出しそうになるのを堪えながらそっけなく返答した


《お前は自分自身が変化し始めてるのに気付いてないんや・・自分が追い越したい相手と、そんな自分を追ってくる相手・・お前の成長には必須の要素や・・・もうそれを楽しんでるやないか》


櫂は自分の仕掛けた育成環境をフルに活用すべく岩井の待つ中央入口に向かって会場を後にした。




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