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尖んがりジプシーの航路  作者: 下市にまな
第五章 九州決戦編
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あの日

 櫂が天神駅に到着した時には午後6時を少々過ぎてしまっていた。

『もう~、遅れると思ったわ!』

 優里は、その言葉と裏腹に晴れやかな笑顔を向けてそう言った。


九州支社はビジネスビルでも一際立派な天神ダブルビル内に事務所を構えており、新しい土地に慣れない2人にも直ぐに辿り着く事が出来る程にメジャーな建造物である。


《何ちゅう立派なビルなんや・・・低迷している支社にしては豪華過ぎるんと違うか? まあ、ワールドアートの運営思考なら見栄が先行するから不思議は無いか~》

 櫂は天神ダブルビル正面入口から、そびえ建つ重厚感ある建物を見上げた。


『やっと来たか・・・・・二人共・・・元気にしてたか?』

 唐突に2人の後方から懐かしい声で語りかけてきたのは井川である

微笑を浮かべる表情は井川新設部隊として共に活動していた当時と全く変化を感じない。

『井川部長~、ご無沙汰してま~す』

 間の抜けた優里の挨拶に、変わりは無さそうだと笑顔を大きくしながら、井川は後方に控える3名の社員の紹介を始めた。

『事務員の・・・伊月と樋田や・・・・』

 最初に井川に紹介された女性事務員の2名は大人しい性格なのであろう

『宜しくお願いします・・』と口を揃えて笑顔を浮かべると、恥ずかしそうに頬を赤く紅潮させた。

『こいつは・・・今日面談したばかりの新人や・・名前は・・・・・えっと~・・』

『あのう・・・石本英樹です! 何だか分かりませんが一緒に来いと言われまして・・・』

 石本と名乗った若い男性社員は眼鏡越しに緩んだ視線を櫂に向けてから笑顔で井川の言葉を引き継いだ。


《ふ~ん・・惚けたフリしてるけど、コイツは物怖じして無いやないか・・それにしても、自分が面談した社員の名前位は覚えておいてやってくれよな・・・》

『3人共、宜しくな!  解らん事だらけやから助けてくれよ!』

 櫂が笑顔で返答する

『宜しくな!・・じゃなくて~・・・これから宜しくお願いしますって言わないと~』

 優里がチャチャを入れる様子を見て緊張が解れたのか一同に笑顔が浮かぶ。

『ほな・・・飯に行こうか・・・・樋田、案内してくれ・・』

 井川の言葉で一同は、樋田が予約を入れておいた居酒屋に移動する事となった。



 『九州支社を立て直す時期や・・・森田の力を・・存分に発揮してくれ!』

 井川は乾杯の発生の後でグイっとグラスに注がれたビールを飲み干した。


意欲だけが先走りする棘だらけで世間知らずの若者を、辛抱強く育成してくれたのは井川である・・・

櫂は今でも最初の指導者が井川で良かったと疑う事は無い・・・

ライバルに恵まれ、切磋琢磨を自由奔放に謳歌出来たのも井川の先を見越した観察眼があればこその結果だ。

それだけでは無い・・・九州支社には櫂がワールドアートに入社するきっかけを与えてくれた桝村も居る。


『どうしたん?・・こんなタイミングでツンツン森田が出現してるよ?』

 優里の言葉で我に返ると一同の視線が櫂に集まっている

『ツンツン森田? ですか・・』

 伊月が不思議そうな表情で首を傾げる

『うん、一つの事を考え始めるとね~ どんどん雰囲気が悪くなって周囲が見えなくなるの・・勝ち負けが関わると更にツンツンが加速するから、ツンツン森田って言われてた~』

『言われてはいないやろ! 言うてたんは優里だけやないか!』

『皆は言わんかっただけよ~、そっとしておいてくれたって事・・・ねえ井川部長!』

 優里はケラケラと笑うと井川に助け舟を求めた

『そうやな・・・・森田は究極の負けず嫌いやな・・・・覚えてるか、俺とのボーリング試合?』

 井川は懐かしそうな口調で櫂を見た。


《・・ボーリング試合・・・・そうや、言われればそんな事があった・・・・》

 林葉と優里の好調な営業成績に反して、櫂は小さなスランプに陥った事があった。

井川新設部隊がチームトップを走り続け、破竹の勢いを持って急成長していた時期の話である。

負けてなるものかと、黙々と接客を続けるが焦りが先行し始めると結果は更に遠のくもので、その日の櫂は複数の成績結果を残す林葉と優里を横目に、単価の低い小さな作品しか売れていなかった。

《くそう!》 表情や口調から自分の心情を漏らすまいと注意を払ってはいたが、そんな櫂に井川は唐突に声を掛けてきた。

『森田・・・今日はホテルに帰った後で・・・・俺と一緒に来い・・・』

 ネチネチと励ましの言葉を掛けられると余計に苛立ちが増しそうだと思いながら、その日の営業を終えてホテルからタクシーに乗り込んで井川に同行した櫂が辿り着いたのは寂れたボーリング場であった。

『お前・・・ボーリングは出来るか?・・・』

 ヘビースモーカーの井川が咥えタバコで問いかけてくる

『はあ・・俺、得意ですけど・・』

 又もや棘のある言葉が先行する。


櫂の育った田舎には娯楽施設など殆ど無かったが、町の外れには今にも廃業してしまいそうな古びたボーリング場があり、そこは粋がった中学生の溜まり場になっていた。

櫂もご多分に漏れず、溜まり場にちょくちょく顔を覗かせてはゲームに没頭して腕を磨いたものである。

『よし・・・今日は俺と・・・勝負するか・・・』

 井川はワイシャツの袖を捲り上げながら櫂を見た


《何や、ボーリングの為に俺は連れ廻されてるんか? まあ、下手に慰められるよりは良えけど・・・俺に勝つつもりか?》

『本気でいきますよ・・』

 櫂も不敵な表情でワイシャツの袖を捲り上げた。


結果は散々たるものである・・・

何度挑んでも井川は淡々とスペアとストライクを重ねる。

『俺達の世代はな・・・ボーリング・・・強いんや・・』

『もう1試合、お願いします!』

 気付けば最後の試合で櫂が勝利するまでに20ゲーム以上を重ねていた。


『手が痺れるな・・・・・帰ろか・・・』

 瓶入りのコーラを飲み干して井川は笑った。

それだけである・・井川からは遠回しにも櫂の営業に対しての言及は無かった。

只、不思議と櫂の苛立ちと小さなスランプは翌日には消え失せてしまっていたのである。



『あんまし覚えてないですかね・・』

 恥かしそうに櫂は井川を見たが、井川もそれに微笑で答えた。

『え~! 聞きたいです~・・ボーリングの話し・・』

 樋田が残念そうに漏らした言葉に一同も賛同した。

『その内に思い出したら話すわ・・・おい、メガネ君・・しっかり食えよ!』

 櫂は早々に話を逸らした。

『メガネ君って!・・・石本ですって!・・皆さん憶えて下さいよ~』

 石本はふてくされた口調を上手く崩しながら躍けて答えた。

『お前が一人前になれば嫌でも名前は知れ渡るもんや・・それまではメガネ君や!』

 櫂がケラケラと笑う

『そんな~・・』

 石本は落胆を演じたがこれも上手くおどけを交えた口調である

《ここにも居るやないか・・小さい原石を見つけたで!・・》

 櫂は小さな高揚感を持って確信した。


『石本さん・・・あっ違う、メガネ君・・どうぞ~』

 優里が微笑みながら石本のグラスにビールを注いだのを見て、更に一同に笑いの輪が拡がった。


《井川部長・桝村次長と力を合わせれば、必ず九州は復活のチャンスを見出す事が出来る筈や!

 狂った経営方針に警告を発するのは九州支社からやぞ!・・今こそ、全力で恩返しをする時や!』


 櫂は決意を新たにすると共に、漠然とした自分のタイムリミットも感じていた

 《井川部長率いる九州支社を軌道に乗せられれば、俺はもうワールドアートを・・・・》


過去の様々なあの日が今日に繋がっているのは、紛れもない事実である・・・・そして今日も未来に繋がるあの日になるのである


《今日出会った樋田・伊月だけや無い・・博多駅のメンバー・・いや、支社の全メンバーと今からスタートを切る石本・・全員で最高のあの日を積み重ねるんや・・》


 櫂は隣に座って屈託ない笑顔で笑っている優里を見ながら、一緒に九州の地であの日を重ねられる喜びを噛み締めた。



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