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尖んがりジプシーの航路  作者: 下市にまな
第五章 九州決戦編
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博多

急ぎで探し出した新天地の住居は、JRの線路沿いに建つ完成したばかりの3階建マンションの最上階である。

博多駅からのアクセスも良い南福岡駅が最寄駅になるが下町情緒の溢れる良い街と感じた。

1階フロアには人柄の良さそうな家主家族が生活しており、親切に迎え入れてくれた事もあって、優里はすっかりこの住居が気に入ったようである。


『じゃあ、夕方の6時に天神で待ち合わせって事で!』

 優里は引越しの荷物を整理しながら、張りのある声でそう言うと櫂を送り出した。

九州支社への初出勤となるこの日は挨拶程度の要件しか無かったが、井川が優里も一緒に夕食に誘ってくれていた事もあり、優里も井川との久しぶりの再会を楽しみにしているのだ。

 櫂は博多駅構内で九州支社が即売会を開催中であるという事から、優里よりも一足先に其方を覗いてから支社のある天神に向かうという段取りを組んで、第一歩を踏み出す事にしたのである・・・・・・


《九州メンバーとの初顔合わせになるんや、どんな奴達が居るんか楽しみで疼くで~》

櫂は慣れない街を薄笑いを浮かべながら、まだ見ぬメンバーが居る博多駅へと先を急いだ。


『・・どうぞ・・』

 蒸し暑さが際立つ博多駅中央コンコース内で、先程から櫂の視線の先で配券業務に勤しむ女性営業マンの声は周囲の雑踏に吸い込まれてしまい、数十センチも離れない距離に近づいた櫂にすら聞き取るのが困難であった。

『何て言った?』

 展示会場に向かって真っ直ぐに近づいてきた割腹の良い男性に大声で問われて、女性営業マンは眉を下げて困惑した様子である。

『だから、何て言ってるのか聞こえんかったんや・・・そんな眉毛を下げた顔で大きな声なんか出えへんで・・まずは無理矢理にでも笑うんや・・ほれっ!笑え!』

 男性は見た目は柄が悪そうではあるが、悪意のない満面の笑顔を向けて何度も笑えと催促した。

それでも女性営業マンは、何者か判らない男性に不信感を拭えない様子である

『しゃあない奴やな~・・そしたらこの鞄を暫く預かってくれる?』

 男性は自分の鞄を押し付けると、事もあろうか女性営業マンが手にしていた配券束を素早く奪い取ってしまった。

『えっ? ちょっと・・困ります・・』

 女性営業マンはますます困惑を深めるが、男性はそれを無視して再び笑顔を向けた。

『ぼさ~っと見てないで、ちゃんと盗んでくれよ』

 男性はそう言うと、雑踏をスイスイとくぐり抜けて数メートル離れた場所に移動してしまった。


女性営業マンは暫く呆然と様子を見ていたが男性は雑踏を眺めたまま動く様子が無い・・・そこに年配の主婦と見られる観光客が近づいて来ると、男性は笑顔を浮かべて瞬時に動き始めた。

『は~いっ・・どうぞ! コウ・カタヤマ新作展ですよ~』

 咄嗟に差し出された配券に『きゃっ・・』と主婦は声を上げたが反射的に配券を手に取る。

それを皮切りに男性は向かって歩いてくる歩行者に手早く配券を漏らす事無く配ってゆくのだ。


《なんで?》

 女性営業マンが呆気に取られている間に男性はクルリと向きを変えたかと思うと、配券を眺めながら歩速を落とすOLの前方に回り込んで声を掛け始めた。

『そこに印刷してある絵が最新作でね・・今日は飾ってますよ、その絵!、興味があるなら通り過ぎるだけでも、チラ見でも良いから見てみて下さい・・感動するよ~』

 おどけているのか、ふざけているのか判断しづらいが、さも楽しそうな男性の説明にOLは困惑しながらも笑顔が浮かんできているように見える。

『今日は急いでますから』

 当然ながらOLからは断り文句が飛び出したが、男性は表情を変えない。

『そうか~・・そしたらチラ見の最速コースで展示会場内をくぐり抜けましょうか?、ゆっくり見るのは又今度って事で・・でも最新作は次にはもう無いでしょうから~、 じゃあ、出来るだけゆっくりの最速コースでお願いしますね~』

 OLの前方に立って説明していた男性の言葉に、OLの笑顔が先程よりも更に大きくなってゆくのが分かる・・・

『本当に最速で見て良いんですか?』

『当たり前ですよ~! でも興味が大きくなったら少しくらいは長居して下さいよ~』

 OLはクスリと笑ってから、男性にエスコートされて自然と会場入口に吸い寄せられるように歩を進めて入場してしまった。


《なにが起きたの?》

 女性営業マンは唖然としたまま男性の鞄を抱えていたが、会場内から顔を出した男性は大声で手招きした。

『阿呆か! 早よ接客に付かんか! 平和な奴やな・・』

 笑顔の男性に急かされて、反射的に会場内へと向かいながら女性営業マンは混乱している。


 混乱していたのは女性営業マンだけではない、突然に乱入してきた得体の知れない男性に、会場内の営業メンバーも混乱していたのである。

《誰っ?》

  先程まで来場客を他所に無駄話に没頭していた営業メンバーは一瞬にして静まり返った。

男性はそんなメンバーを尻目に、駆け戻った女性営業マンから自分の鞄を奪い取ると

『ほれっ! 失敗しても良えから、当たって砕けて来い!』 と、軽く女性営業マンの頭を叩いた。


《誰?・・誰?・・・》 

 困惑するメンバー達を尻目に、なんと男性は受付テーブルにドカリと座ってしまったではないか。

『あの~・・失礼ですが・・・・もしかして・・・』

 先程まで偉そうな態度で会場内を闊歩していた、ド派手な年配女性営業マンが恐る恐る尋ねる。

『ああ~!』

 男性は先程までの笑顔とは打って変わった不機嫌な表情でそう言うと、鞄の中から飴玉を取り出して即座にボリボリと噛み砕き始めた。

『やっぱり! 森田次長ですよね!・・お疲れ様です・・ すいませんっ・・気付かなくって!』

 ど派手営業マンの甲高い声に、会場内の営業マンもゾロゾロと受付に集まって来ては大声で挨拶をする。

『お前達・・阿呆か?・・そんな大声で挨拶して来場者がどう感じるんや?・・・状況判断で優先事項を間違うなよ!・・・今は営業が最優先やろうが・・・・まあ良えわ、暫く此処からお前達の力を見させてもらうから、遠慮なく必死で営業してくれ!』

 櫂はそう言うと、メンバーを追い払うように手をブンブンと降って散会しろと指示を出した。


《おいおい・・薄っぺらい礼儀礼節だけが染み込んでるけど・・・》

 櫂はあたふたと視線を気にしながら脂汗を額に浮かべて営業を始めたメンバーを眺めながら、数え切れない数の飴玉を噛み砕いた。


悲惨と言っても良い状況・・・櫂にはそう映っている・・・・

営業のイロハは先輩営業マン達から伝達されたのであろうが、どう見ても聞き齧り程度の力量である。

そんな先輩営業マンも職場に見切りをつけ、残された古株メンバーが威厳だけを振りかざしているだけ。

それに加えて断りへの耐性がかなり希薄と見受けられる

勿論、営業の正義など感じる感性は存在する余地も無いであろう・・


《エラいこっちゃで九州支社は・・・・腑抜けの集まりやないか・・》

 櫂の表情は平静を保ったままであったが、想像を遥かに超える腐敗ぶりに驚愕するしかなかった。


《取り乱しても仕方ないわ・・・まずは突破口になる奴を選別しよう》

 最後の飴玉を口に放り込むと、櫂はバックヤードに姿を消した。


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