第二話 陰キャとの出会い②
当たり前のことだが、俺達三人はいちご牛乳を買いに行っている間にチャイムが鳴ったので遅刻扱い。
春咲さんがパシリにされている分のいちご牛乳は、俺達三人で割り勘をして購入した。
別に春咲さんが付いてこなくても良かったのだけれど、俺達だけで行ってしまったら春咲さんは女子生徒二人の言う事を放棄した事になる。
最初の俺の説得も無駄だったことから、春咲さんはかなりあの二人に苦手意識を持っているのは間違いない。仮に俺達だけで行ってしまえば、春咲さんが俺達に媚びを売ったと糾弾されるだろう。
だからこそ一緒に行くという手段を取った。
三人で行けば遅刻したとしても罪悪感はそれなりに薄れるだろうしな。
なにより、朝のホームルームをしている担任の目の前で、俺と拓が春咲さんをパシリにした女子生二人に渡した時の奴らの反応……!
担任に春咲さんや俺達をパシリをした事がバレないか不安そうな顔は傑作だったぜ。
しかし、いちご牛乳ってのはあんまり美味いもんじゃねぇな。
俺と春咲さんは、チュウチュウといちご牛乳を飲み始めた。席は隣だが、特に話す内容もない。
なにしてんだろ、俺。
冷静になって考えてみれば、高校二年の六月。春咲さんがパシられてる事はもっと早く気づけたはずだ。なのに俺は今日の今日まで彼女がパシリにされている事を知らなかった。
いや、無意識に見て見ぬ振りをしていたのかもしれない。
俺はなに突然良い奴気どってんだよ……。
昼休み。俺の席で拓は弁当箱を広げた。
俺は楓の作った卵焼きを口に放り込む。ほのかに甘くて口当たりの良い柔らかさ……ううむ、また腕を上げたな。流石は我が妹。
「なぁエータロー」
「んだよ。卵焼きはやらんぞ。ちなみにミニトマトもだ。添えるだけだとしてもこれには楓の愛情が……」
「ちげぇよ。突然どうしたんだって聞こうと思ったんだ」
「はぁ?」
「春咲さん。別に今日特別パシられてた訳じゃないでしょ。面倒な事は見て見ぬ振りをするのが、俺達だろ?」
「お前も協力してくれたじゃねぇか」
「お前がやるって言うからな。断る理由がない」
拓はウィンナーを口に入れた。俺はほうれん草のおひたしを口に放り込み、シャキシャキという音と共に口を開く。
「普通に春咲さんをパシリにする奴らにムカついた。それだけだ」
「惚れたか?」
拓の小馬鹿にするような声。俺は鼻で笑った。
「バカ言うな。……ところで、当の春咲さんはどこいるんだろうな?」
「ん?」
「いや、席は隣だけどさ、春咲さん昼休みになるといつも居ないじゃん。どこで飯食ってんだろって」
「ははぁ〜ん」
「なんだよ」
こいつさっきからあらぬ勘違いをしてねぇか。さっきのさっきで関わった相手に少しくらい興味を持ったって不思議じゃないだろう。
「まぁ、由奈ちゃんとは全くと言っていいほど真逆のタイプだけどな」
「はぁ……」
「いや、悪かったって。そうだ、飯食ったら春咲さん捜索隊でもやるか?」
「ストーカーかよ……」
「探すだけだって。クラスの地味目の女の子が無人の教室で実は…みたいな展開があるかもしれねぇだろ?」
想像力豊かで十分よろしい。
『よしきた』と弁当箱をまとめ始めた拓は、次のコンマ一秒で『あっ!』と声を出した。
「どうした?」
「昼休み委員会の集まりがあるんだ!!わりぃ、お前一人で行ってくれ!」
「お前が行かないならやんねぇよ」
「行けよ。どうせ暇だろ?」
「どうせってなんだ、どうせって……」
「いいから、いいから!!ほら途中まで一緒に行こうぜ!」
俺は拓に背中を押され、教室から廊下へ足を踏み出した。廊下は教室より気温が高く、とてもじゃないが長居はしたくない。
まぁどうせ教室に戻っても拓が居ないんじゃ、しょうがないしな。
拓を会議室まで見送ると、俺は足を進ませた。
大ノ宮高校は基本的に屋上が開放されており、昼休みや放課後には自由に入ることが出来る。……が、屋上が開いているとなればやはり人は集まるものだ。
基本的に屋上はやかましく、アニメや漫画のように屋上で昼寝など出来ようにない。
屋上に到着したが、やはりただ騒がしいだけで辺りを見渡しても春咲さんの姿は無かった。
そもそも春咲さんは大人しい子だし、こんな所で食べないか。
俺が目を向けた先にあったのは、屋上の端にささやかに備え付けられている用具倉庫だった。
俺は何となく用具倉庫の後ろに回り、大きくスペースになっている場所に目を向けた。
「あ」
「……櫻葉……くん?」
いた。
用具倉庫の後ろ、制服のセーラー服の春咲さんは、正座した太ももの上に弁当箱を開いていた。
肩ほどまで伸びる真っ黒な綺麗な髪は、顔を隠しているのか目にかかる程長く、特徴的な丸眼鏡の中に突如として現れた俺に驚く春咲さんの瞳が見えた。
「お、おっす」
「おっす……です。えと……どうしたんですか?」
「あぁ……いや、えと……」
な、なんて答えればいいんだ?『君を探してたんだ!』露骨すぎる。
それに理由もなく人を探す理由もない。ストーカーだと間違えられるに決まってるじゃないか!
「えーと、いつも昼休みに教室にいないから、どこで食ってんのかなーって」
「なるほどです……んしょ……」
春咲さんはお尻を動かし、俺の座るスペースを空けてくれた。長居をするつもりは無かったが、取り敢えず春咲さんの隣に腰をかける。
春咲さんは空を見上げた。俺も少し遅れて空を眺めるが、特に鳥や飛行機が飛んでいる訳ではなかった。何見てんだ?
取り敢えずなんか話しかけてみるか……
「さっきは大丈夫だったか?」
「はい」
「いつもあんな感じなのか?」
「はい」
「困って……ないか?」
「はい」
「春咲さん恋人は?」
「いません。いたこともありません。ごめんなさい。付き合えません」
「なんも言ってねぇけど!!?」
何故か振られてしまったが、ちゃんと聞いてくれているようだった。
返答が全部同じ肯定だったからワンチャン無視されてんのかと思ったよ。
やめてよ。陰キャは自意識過剰な生き物なんだよ。『あれ?俺嫌われてる?』って簡単に思っちゃう生き物なんだよ。
女の子のトリセツを歌った曲があった気がしたけど、これは陰キャのトリセツも誰か歌ってくれねぇかな?
……いや誰が聞くねん、そんな根暗歌。
拓がいるならここで話題が続くのだろうけど、生憎二人きりだと俺には話す話題はない。俺はコミュ障なのだ。女子と二人きりで話せる内容など知らん。
……綾小路と付き合ってた頃は、どんな話をしてたっけ?
「櫻葉くん」
「ん?どうした?」
「さっきはありがとうございます。とってもとっても嬉しかった……です」
「お礼は何度も聞いたよ。もういいって」
「そうでした。ごめんなさい」
「いや謝らなくても……」
「そうですね……ごめんなさい」
「いやあの……謝られるとこっちが申し訳なるって言うか……」
「ごめんな……むにゅ」
また謝りそうだったので俺は春咲さんの柔らかいほっぺたを両手で挟んだ。
おぉ……めっちゃほっぺた柔けぇ。
『しゃくらばくん!』という唸り声が聞こえる。
「だから謝るなって。いいか?これが終わっても謝るなよ!?」
『ん〜、ん〜!』という可愛らしい声だけが聞こえる。何を言ってるかは全然分からない。
離してやろうとも思ったが、春咲さんのほっぺたの柔らかさに感動した俺は、横や縦に春咲さんのほっぺたを引っ張る。
『んんんんんんん!!んんんんんんんん〜!!』という声。春咲さんが何を言いたいか大体分かってきた。多分今のは『櫻葉くん、離してください〜!!』だ。
可愛らしいタコのような顔を見ていると、春咲さんが泣きだしそうになっていたので俺はすぐに離した。
「ひ、ひどいです……」
「悪かったって」
しばらくの沈黙。春咲さんは生姜焼きを口に放り込むと、弁当箱をまとめ始めた。俺は口を開く。
「いつも一人で食ってんのか?」
「はい」
「友達はいるんじゃなかったのか?」
「迷惑をかける訳にはいきませんから」
迷惑をかけるのが友達だろ。
俺はなんで……春咲さんにこんなにこだわってんだ……
今までは別にこの子の事なんて気にしたことなかった。いつも黙って勉強してて、休み時間には本を読んでて、昼休みには居なくなって屋上の用具倉庫の裏で昼飯を食ってる。
言ってしまえばただのボッチだ。俺が気にかけるような存在じゃあない。
「なぁ、少しめんどくさい話していいか?」
「え……えと、どうぞ」
遠慮気味にいう春咲さんを横目に、俺は口を動かし始める。
あれ?
「俺さ、一年の春休み前に彼女に振られたんだよ。知ってるだろ?今同じクラスの綾小路由奈。……あの子と付き合ってた。けど振られた、結構あっさりしててさ……『他に好きな人が出来ちゃった』だってさ……」
おい、何話してんだ俺。春咲さんに話す内容じゃねえだろ。
「結構ショックだったよ……。初めてできた恋人に振られるって……。本気で好きだった……本気で幸せにしようと思った……本気で、あの子の理想になろうとしてた」
おいやめろ。話すな。
「けど……綾小路の理想は俺じゃあなかった……あの子の理想は俺の知らない所で出来ていて、俺は理想にはなれなかった」
自嘲気味に空を見上げ、春咲さんが見ていた空に視線をずらす。
雲はひとつも見当たらず、俺はお天道様に自分の情けない顔を見せつけていた。
口だけが勝手に動き続ける。
「だっせえよなぁ!春休み前だぜ?もう三ヶ月近く経つのに、あの子と付き合ってた時間を忘れられない。写真も、思い出の品も、何も消せない……!!」
何故か涙が溢れてきた。
泣くな櫻葉栄太郎。女の子の前だぞ……。拓にも、楓にも涙なんて見せなかったろ。泣くな、泣くな、泣くな。
「もう綾小路が俺に笑いかけて来ないって思うと……胸が痛くて……っ!……今でも好きなんだ……。情けねぇなぁ……未練ありまくりじゃねぇか。強がって、無理して笑って……ほんと、馬鹿だよな……俺って……。くだらねぇよな。……うっ……うぅ……」
自分の前髪を勢いよく掴んで、俺は顔を伏せた。春咲さんに涙を見られたくなかった。
春咲さんは何も言わない。呆れているのかもしれない。顔を伏せている俺を嘲笑っているのかもしれない。
そんな想像が俺の脳内を駆け巡る。当たり前のことだ。突然訳の分からない話をされて、勝手に泣き出した奴に、同情する義理はない。けれど……
────春咲さんの、声が聞こえた。
「私は、凄いと思います」
「…え?」
春咲さんは自分の胸に手を置いて、遠慮気味に口を開いた。
「大切だからこそ忘れられないんだと思います。ほんとに好きだったから忘れられないんだと思います。思い出が大事だから、忘れられないんだと思います。そんなに人を想える櫻葉くんは、ホントに素敵な人だと思います」
見ると、春咲さんは躊躇いながらも俺の肩に手を置いてくれた。その手は制服越しでもとても暖かくて、柔らかくて、優しさを感じた。
春咲さんは淡々と続ける。
「そういう気持ちって、とっても大切だと思います。私は、そんな櫻葉くんを尊敬します。とっても……だから……」
「くっ……うぅ……ああ……ぐずっ……うぅ……!!」
大粒の涙が、幾つも俺の目からこぼれ落ちた。
何度袖で拭っても涙は止まらず、俺の瞳から溢れてくる。
「だから、涙を拭いてください。そんなに自分を責めないでください」
いつまで泣いていたかは分からない。
ただ、春咲さんが俺が泣き止むまで、俺の肩に手を置いていてくれた事は覚えている。
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キーンコーンカーンコーン
「予鈴ですね。大丈夫ですか?櫻葉くん」
「あ、あぁ。ありがとう。もう大丈夫」
「よ、よかったです」
れ、冷静になってみとすげー恥ずかしい。ほぼ初対面(?)の女の子の前で大泣きとか、しかもそれが彼女に振られた話ってどんなだよ。
「櫻葉くん、立てますか?」
春咲さんは俺に手を差し出してくれた。
「あぁ、ありがとう。うわ!!」
「きゃっ!!」
俺が春咲さんの手を掴むと、春咲さんはそのまま俺の方に倒れ込んで来た。
春咲さん!!力なさすぎ!!
そして……春咲さんは、俺に覆いかぶさるように倒れ込む。
ここここここ、これは世にいう床ドンと言うやつではないのか……!?
って……。まじ?
俺の横に落ちていたのは、春咲さんが掛けていた大きな丸眼鏡。
そして俺は、俺に覆いかぶさる女の子の顔に視線をずらす。
眼鏡の度のせいで小さく見えていたのか、綾小路に負けず劣らずの大きな瞳。
長いまつ毛に近くでよく見ると分かるきめ細やかな肌に、引き締まった口元。
長い前髪で隠されていた顔は、俺に覆いかぶさることで前に垂れ下がり、その顔を俺にあらわにしていた。
“美少女”と言えるであろう春咲日向の顔が、互いの吐息がかかる程まで近くにあった。
「ごめん……なさい。櫻葉くん」
「いや……こちらこそ……」
これはただの物語。
彼女に振られた少年、櫻葉栄太郎と
人と関わる事を恐れる少女、春咲日向が
互いの傷を見せ合い、互いの心の溝を埋め合い
互いを特別な存在と想いあうまでの……
ただの物語だ。