第十七話 花火の前まで
「やっほー!栄太郎くん!」
「綾小路!?」
石垣に寄りかかっていた俺の頬を、楽しそうにツンツン付く浴衣を着た綾小路の姿がそこにあった。
菜月が喧嘩腰に口を開く。
「お前……よく櫻葉に気軽に話しかけれんな。どの面下げてきてんだよ」
「やだなぁ菜月さん。たまたま見かけたから話しかけただけだって。ほら」
綾小路が振り向くと、綾小路の後ろに居た春咲さんの更に後ろから、見慣れた連中がゾロゾロとやってくる。
その内の一人が、何かに気づくや否や全速力でこちらに近寄って来た。
「はっるさっきさーん!!」
「きゃ、きゃあ!!真宮さん!?」
「久しぶり!一週間振りくらいかな?今日も可愛いね〜春咲さん、うりうりうりうり」
真宮は春咲さンを抱き締め、頭を撫で撫で、頬をスリスリ、春咲さんの体中をくまなく触るように、腕を体に絡みつけていた。
おのれ真宮、うらやま……いやいや、けしからん!!
その様子を見ていた俺の隣にいる菜月が、眉を寄せながら真宮の方を睨みつけている。おお、真骨頂。凍てつく瞳。
「おいてめぇ、真宮。なにわたしのマイラブリーエンジェルひなったんに手ぇ出してんだ?あぁん!?」
「んだ菜月、あたしは春咲さんと一番に連絡先を交換したんだぞ。一番だ一番、春咲さんの初めてをあたしが貰ったんだよ。つまり春咲さんはあたしのもんだ。手ぇ出してんのはそっちだろ、あぁん!?」
「へ、変な表現は辞めてください!!」
「櫻葉っち、市山っち。おっすおっす」
俺と拓は呼ばれた方へ視線を向けると、こちらも浴衣姿の井出が話しかけて来ていた。浴衣を着崩し過ぎていて、胸板が顕にあっている。チャラいんだよなぁ。
拓が井出の挨拶に応じた。
「よう……うぅ」
「おいおい、どうした市山っち!」
「食いすぎで腹が痛てぇ……」
「ど、どんだけ食ったんだよ市山っち……」
はは……井出の心配されるって相当だぞ。拓……。
さてと、綾小路に真宮に井出……このメンバーっつーことは……。
俺は拓の背中をさする井出の隣に、苦笑いでやってくる男を見た。決して口にはしたくはないが、水色の爽やかな印象を与えてくる浴衣がよく似合う。ワックスで前髪をかきあげ、浴衣と同じ色の巾着袋を肩に回した十文字が、俺に挨拶がわりに手を上げてくる。
「やぁ」
「う、うす。学校ぶりか?」
「あぁ。……うん?」
俺と会話をしながら辺りを一瞥していた十文字は、素っ頓狂な声を出した。俺は首をかしげた。
「どうした?」
「いや……春咲さん、眼鏡外してるんだね」
「そうだな。まぁ浴衣でおめかししてる訳だし、別に変な事じゃないだろ。コンタクトでも付けてんじゃないか?」
なんの気もなくそんなことを言った俺を、十文字は意外そうな顔で見てきた。
なんだ?
「……知らないの?」
「なにを?」
「いや、知らないならいいんだ。それより、四人はこらから花火の席を取るつもりかい?」
「あぁ。早く行かないといい席取れねーし。お前らも行くなら急げよ」
「いや。僕らは席は取ってある」
「ん?他に一緒に来てる奴らがいんのか?」
「違う、違う!そうじゃなくてね」
どこから湧いてきたのか、綾小路が俺と十文字の会話を遮るように割って入ってくる。
可愛らしく人差し指をピンと立てた綾小路は、得意気な顔で説明してくれた。
「愛花ちゃんのお父さんが市議会議員なの。この大ノ宮神社のお祭りを開催にも関わってて、特別に席を用意してもらってるんだ」
「ふふふ……仲間に入れてやってもいいぞ?櫻葉」
いつの間にか俺を中心に他七人は集まっており、真宮が煽るかのように言ってきた。確かに真宮が父親に俺達のことを話して、俺達も特等席で人混みを気にせず花火を見れるってんなら、誘いに乗ることに越したことはないけど……
俺は横目で春咲さんを見る。やはり春咲さんは未だに十文字の事が苦手なのか、伏し目がちで俺の後ろに隠れた。
ま、しゃあねぇか。
「悪いな真宮。せっかく誘ってもらったとこ悪いけど、お前の親父さんに迷惑かける訳にもいかねぇし、俺達はいいよ」
「そう?多分親父は気にしないと思うけど、議員の癖に案外気さくな奴だし」
それは議員に対する偏見だ。……いや、それにしても……
「あぁ……いや、えっと……」
真宮も決して根は悪い奴ではない。今の言葉は俺達を逃がさない為に言ったのでは無く、ただ純粋にこれから席を取る俺達に気を回してくれているのだろう。
クイクイ、と袖を引っ張られる。
「どうした?春咲さん」
「あ、あの、私は大丈夫ですよ?せっかくのお誘いですし、お言葉に甘えませんか?……櫻葉くん達がいるなら、私は大丈夫です」
はにかみながら言う春咲さんを見て、俺も軽く笑みを浮かべながら頷いた。確認取るように菜月と拓を一瞥すると、二人とも軽く頷く。
俺は真宮に向き直った。
「じゃぁお言葉に甘えさせてもらうよ。悪いな」
「はいはい」
真宮は巾着袋からスマホを取り出し、電話をかける。
「あ、親父〜?」
春咲さんを指さして
「友達一人と〜」
俺、拓、菜月を順番に指さして
「そのおまけ三人追加〜」
おまけって……。
……まずい……!!
いや予感を察した俺と拓は菜月の腕を片方ずつ掴んだ。案の定菜月は真宮に飛び掛る勢いで俺達を振りほどこうとする。
「てめぇ!真宮ぁ!!誰がおまけだってぇ!!?いちいちムシャクシャする事を言うなよなぁ!!」
「おおお、落ち着け陣子!!ドゥドゥドゥ!」
「離せ拓!!わたしは猛獣じゃない!!」
「菜月、イライラすんなって!!美容の大敵、美容の大敵!!」
「イライラしてない!!ムシャクシャしてるって言ったろ!!」
「「同じじゃねぇか!!?」」
再び袖がクイクイ引っ張られる。俺は相手の顔を見ずに、振り返りながら言った。
「なんだ、春咲さん……って、綾小路か……」
「ふひひ。春咲さんだと思った?……あのさ、花火の時間まで、ちょっと二人で夏祭り回らない?」
「……え?」
「ほら、私達が付き合い始めたのって、去年の九月でしょ?来年になったら一緒に夏祭り行こうって約束したじゃん。それの埋め合わせ」
綾小路は俺の甚平の袖をキュッと掴みながら、俺の目を見て言った。
綾小路のクリクリした二つの黒目には、冷や汗をかきながら立ち尽くす俺の姿がある。
あの目だ。俺は綾小路がこの目をしている時、何を考えているのかが分からない。その瞳に捉えているものだけに執着し、それ以外のものは元々存在しないかのように扱う目。
そして、今綾小路のその瞳に映っているのは、俺だ。
綾小路がゆっくりと俺の腕を引っ張ると、無意識的に足がその方向へ動いた。そして……
ガッと、綾小路が掴んでいる袖と反対側の腕が、抱き込まれるように掴まれた。
綾小路の瞳は、俺の腕を掴んだ人物へと映る。そして、綾小路は言った。
「春咲さん。栄太郎くんを離して欲しいんだけど」
「……っ!!」
春咲さんの俺の腕を掴む力がより強くなる。震えた声で反論した。
「だ、駄目です。櫻葉くんと綾小路さんを二人には出来ません……」
「どうして……「櫻葉くんが苦しむからです!」
綾小路の声を遮るように、春咲さんが声を上げた。
当の綾小路は『ふぅん』と興味無さげな声を出し、春咲に向き直った。ニコッと社交的な笑みを浮かべる。
「だいじょーぶ。この前のファミレスみたいなことはしない。約束するよ」
「……っ!し、信用出来ません」
「『信用出来ない』、か。私も春咲さんに信用して貰おうなんて。思ってないよ。ただ、今は栄太郎くんと話したいだけ」
「も、もう二人は恋人じゃないじゃないですか……!」
「そうだね。でも、だからなに?春咲さんは栄太郎くんの恋人?違うよね?私が栄太郎くんと一緒に居ることを、春咲さんに止める権利なんてないよ?……それとも、私と栄太郎くんが一緒にいる事が、そんなに不満……?栄太郎くんを私に取られたくない?栄太郎くんをそばに置いておきたい?栄太郎くんに、そばにいて欲しいの?」
「ち、ちが……私は!!」
「もうその辺にしとけよ」
俺は二人の肩を掴んで、二人を引き離した。春咲さんと綾小路は一度驚いた顔をするが、綾小路は笑いながら言った。
「ごめんね、春咲さん」
「い、いえ……こちらこそ、ご、ごめんなさい……」
『ふふ』と笑った綾小路は、再び目の焦点を俺に合わせる。
「それで、栄太郎くんはどうかな?花火までの間、ちょっとだけ二人でお祭り回らない?」
俯く春咲さんに視線をずらし、綾小路に向き直る。
「分かった。少しだけなら」
「え、エータロー!?」
俺が断ると思っていたのか、拓の素っ頓狂な声が聞こえる。春咲さんも顔を上げて、表情が強ばった。今にも泣きだしそうな目で見つめられると、少しだけ心が痛くなってしまう。だから俺は……
「おら」
「ふにゃ!」
ベシっと、春咲さんの顕になった額にデコピンを入れた。
春咲さんは額を両手で抑えて、目をぐるぐる回しながら俺に言う。
「な、なにを……」
「なぁに泣きそうになってんだよ。ただ綾小路と少しだけ見て回ってくるだけだ」
「で、でも、でも……、私は櫻葉くんが……」
「大丈夫」
春咲さんの声に被さるように、俺は少しだけ声を張りながら言った。
左手で春咲さんの頭を触り、ワッシャワッシャと撫でた。
「うわわ……さ、櫻葉くん?」
「もう前までの俺じゃない」
「え?」
春咲さんから視線を、拓と菜月に向ける。二人は軽く頷き、それに返すように、俺もニヤリと笑った。そこに言葉は要らない。
「この前みたいに、女の子の前で泣きべそかいてた俺じゃない。泣いてるだけじゃ駄目なんだ、落ち込んでるだけじゃ駄目なんだ、ちゃんと向き合わなくちゃならない」
「櫻葉くん……」
「花火までには戻ってくるよ。四人で一緒に見よう。拓、春咲さんの事頼んだぞ」
「がってんしょうち」
そして俺は春咲さんの頭から手を離すと、両手を握って振り返る。
立っているのはショートカットの女の子。小動物みたいに可愛くて、よく笑う子で、どこか抜けてて、時折何を考えているのか分からない、俺の《元カノ》。
花火の観覧所へ移動する人なのか、少しだけ人気のなかった休憩所も、重いどよめきを帯びていた。
俺は大きく息を吐き出し、笑った。
「久しぶりのデートといこうじゃないか。綾小路」
綾小路もニコリと笑った。