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血液潜在 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 うう、力が入らない……こーちゃん、ちょっと手を貸してくんない?

 ありがとう。いや〜、困ったねえ。今でも指先が震えちゃってるよ。もうしばらく時間がかかりそうだ。

 こーちゃんもなかった? こう血に関する話を聞いただけで、身体中から力が抜けて、いすすら自力で引くことができなくなるって状態? これがウワサに聞く、「血液恐怖症」って奴なのかな。

 鼻血とか、自分で出すものだったら大丈夫なんだけど、人のものだったり、イメージするものだったりした瞬間、もう駄目だね。血を見ると気絶しちゃうって人の気持ち、分かるかも知れない。

 恐怖を抱く対象は、人それぞれ。なぜ自分がそれを苦手とするか、知っているのは遺伝子だけってケースもあるだろうね。

 僕も昔、それに関する話を耳に挟んだんだ。もしかしたら、血に関するものが苦手になった原因かもだけど……聞きたいんだったら話すよ。

 その代わり、力が抜けちゃったら、また手を貸して欲しいかな。


「瀉血」というものを、こーちゃんは知っているかい? 悪い血を外に出すことによって、健康を保とうという治療。聞くに、ヨーロッパでは古くから行われてきた方法で、日本でも天皇に実施したという例が、「日本書紀」に記されている。以降、本州では、この治療法がほそぼそと続けられて来たのだとか。

 そして、長年研究を続けている人の中には「本当に血を抜くだけでいいのか? 抜いた血そのものから探らねばならないのでは」と考える人もいたらしい。

 

 平安時代。息子に家督を譲り、ゆったりと隠居生活を送っていた、いち貴族の老人も、「血」というものの本性に迫ろうとしていた。

 当時の医療は、まだまだ悪霊払いのための祈祷が有力な手段と見られていて、薬を調ずる医師と呼ばれる存在は、厳しい教育課程と修了試験の合格を経た、わずか数十名程度しかいなかったという。その医師たちにしても、比較的症状が軽めのけがや頭痛、腹痛程度でしか、必要とされないこともあったとか。

 老人は自分のツテを頼りに、医者たちの家に泊まりこんだりして、けが人の血を集めて回り、家に持ち帰っては実験の道具として扱っていたんだ。


 老人は血を加熱して乾かすことを試みたようだ。

 調味料の塩は、かつて海水を煮込むことによって調達したと聞いている。すなわち、塩は海水に溶け込み、隠れみのにしていたと考えられた。

 ならば、血の中に潜んでいるものをあぶりだすとしても、加熱が最も適しているのではないか、と彼は考えたんだ。

 しかし、ことは容易には運ばなかった。土鍋に入れて、そのまま煮込んでみたものの、血は抜けるというより、むしろ粘り気を帯び始めて、茶色や灰色に姿を変え、鍋の側面に張り付いていくんだ。

 血液中のタンパク質が「アク」となって残ったわけなのだが、老人はその中に生き物の姿を見出すことはできなかった。

 そして考える。もしや口の開いている部分から、見えぬままに逃げ散ってしまったのではないか、と。


 次に老人は、鍋の口をしっかりとふたで塞ぎ、加熱をした。彼なりに逃げ場を塞いだつもりだったんだ。

 しかし、血液は先の実験と同じ。いや、それ以上に、しぶとく鍋肌にしがみつきつつ、黒々と色を変えていた。洗っても落ちず、鍋の表面を削るより他に、元の鍋の姿を取り戻すことはできなかったという。

 ただ熱するだけではダメだ、と老人は考えた。

 血に潜んでいると思しきものは、どこかに姿を消してしまう。かといって、さじを用いていくらすくってみても、それが見えてくることはない。

 隠れ潜む覆いとなっている血液。これを除く必要があるのだ。

 いないと断じることは、いつでもできる。だが、いると信じるならば、まだできることはある。試せることを試してみるべきだ。隠居した我が身に、時間はたっぷりあるのだから。

 老人は若い頃から、自分の考えを曲げたことがない。信じれば、誰の忠言も耳を貸さない頑固ぶりだった。年を取ってから、その性格はますます顕著になり、あくまで加熱にこだわり続けたらしいんだ。

 

 様々な血に挑み続ける老人は、更に短い時間の加熱で、血液を飛ばすことはできないか、と考えた。時間をかけた加熱によって、血の中に潜む者が逃げてしまうのなら、逃げる暇を与えなければいい。

 理想は一瞬で血液を消滅させることだが、現実にはあり得ない。せめてできる限りの時間の短縮。早く血を沸かせることだった。

 火起こし道具は、財を注いで用意した最高級。使う鍋もすでに、これ以上削れば穴が空くという、極薄のもの。そうなれば、あとは周りの環境だった。

 国中を練り歩いた彼は、やがて血がかすかに早く、変化し始める場所を発見する。


 それは高い山の中だった。

 老人はこれまで平地において、様々に場所を変えながらも、極力、同じ加熱環境を保ってきた。結果として、どこでも血が変化し始める時間はほとんど変わらない、ということを発見したんだ。

 ならば、山の中ならば。そう考えた彼は霊峰とあがめられる山のひとつに、修験者のいでたちで登り、本来ならば火気を遠慮される、山のいただき近くで、ひそかに加熱実験を行ったところ、今までの記録に比べて、わずかに早く血が変化し始めたのだ。

 彼はこの発見を、大いに喜んだという。かの血の変化を、潜む者の逃げ支度と解釈するようになっていた彼は、この現象を、血の中に潜むものが霊山の空気にあてられ、焦っているのだと判断したらしい。そしてこれは、自分の仮説である、血の中に潜むものの存在を裏付けるものに相違ない、とも。


 こいつらをあぶり出すには、熱と霊力が必要。

 もっと高い場所。かつ、更に霊験あらたかである場所でならば、あるいは……。

 そう考える老人は、霊峰に登ること数知れずと聞こえた僧侶、「末代まつだい」上人のことを思い浮かべた。彼はすでに、この日の本における最大の霊峰、富士山へ何度も登ったと言われている。

 ――行こう、富士の山へ。血を沸かそう。

 彼は道具と決意に身を包むと、人の目を避けるようにして、富士山へと向かったという。

 

 年老いた身体に、慣れない山道は非常にこたえたが、彼は息も絶え絶えに富士山頂へとたどり着いたらしい。夏に入ったばかりということもあって、道々には雪が残っているところもあった。

 あらかじめ血を、鍋にふたしながら持参していたが、いざ開いてみると、すでに凍りかけていて、温めたとしても元の姿を取り戻すまでに時間がかかるのは明白だった。潜むものに逃げられてしまう。

 やむを得ないか、と彼は先に火をつけて別の鍋を暖めると、自分の懐から小刀を取り出し、親指の腹へその刃を押し当てる。ぐいっと力を入れ、彼がわずかに顔をゆがめると、できた傷からポタポタと血が流れ出した。

 鍋の中へ数滴。己の血が底に溜まったのを見届けた後、親指に血止めのための布を巻く彼。すでに地面へ広げておいた記録のための扇子と、筆を手に取り、鍋の中身をのぞく。

 最大の霊峰である、富士のいただき。研究を重ねて整えた道具と、出たばかりの血液。これなら望んだ結果が出るかも、と息苦しさを感じながら、じっと鍋を見つめる彼。

 そのわずかな変化も見逃すまいと、鍋と火の手に集中する彼へ、不意に声がかけられた。


「良いものを作っているではないか」


 気づくと、自分の目の前に、修験者の格好をした大男が立っていた。今に至るまで登ってくる気配などみじんもなかったのにと、彼は突然現れた男に、思わず息をのむ。


「それをよこせば、うぬに地上における栄誉を授けてやろう。どうだ?」


 耳に入るだけで、逃げ出したくなるくらいの重々しい声。だが、研究に打ち込んできた老人はひるまなかった。


「もうこのために、多くの時間を費やしたのだ。あきらめてはくれぬか? わしは自分の身命を賭した実験の結果を、見届けねばならぬ」


「ほう」と修験者は面白そうに笑うと、どかりと老人の向かいにあぐらをかいた。その目はまっすぐに老人を見据えている。


「だが、わしには結果が見えている。お主はたぐいまれなる存在。なれば、お主の中からでしものは、お主のうちへと還っていく。そうならぬよう、提案したのだが……望むのであれば是非もなし。お主の定めを生きるがいい」


 言われるまでもなかった。老人は今までの実験で、血が変化し始めた時間が近づいているのを確認する。

 ほどなく、鍋の中から聞きなれない音がし始めた。ぐらぐらと鍋が揺れて、中で何かが暴れているかのよう。

 とうとう現れたか、と老人は嬉々として鍋を覗き込む。修験者の彼もにやついていたが、腕を組んで見守るばかりで、動く様子を見せない。

 老人が鍋の中で見たもの。それは、糸のように細く長い体を持つ蛇だった。白い体の先に、南天の実を思わせる双眸が張り付いている、何とも奇妙な姿。今にも目の重さで、身体が折れてしまいそうだったとか。

 やがて蛇は首をもたげて、老人を見上げる。すると蛇は老人めがけてとびかかり、老人に身をかわす余裕はなく、視界いっぱいに蛇の赤い目が広がって……。


 気がつくと、老人は山頂に倒れていた。

 鍋と着火器具がなくなっている。あの修験者の姿も。

 天を見るに、もう陽は西へ動き始めている。あの蛇の正体に思いを巡らしながら、荷物をまとめ始める彼は、ふと記録用扇子に見覚えがない文字が書き込まれているのに気付いた。


「あの蛇の姿は覚えた。うぬからはもう奪えまい。だから、うぬの子らから奪う」


 扇子の端には、大きな雀のような足跡が残されていたらしいよ。


 この登頂の疲れもあってか、下山より数日後、老人は永い眠りについた。彼の一族は数百年後まで続くが、その代の子供たちのうち、必ず一人は夭折してしまったらしいんだ。



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