~顔のない男~ 2/2
穂波は、叔父に体調が悪いことを話し、その日の学校を休むこととした。
叔父は穂波の体調の悪さを察して休むことも伝えたが、穂波は負い目を感じて首を振った。
「穂波さん。何かあったら、絶対に俺に連絡するんだぞ」
叔父は責めるように、咎めるように言った。穂波は頷く。
「ありがとうございます。分かってる。大丈夫だから」
一人になった後、穂波は、布団を頭から被って震えていた。
「お母さん・・・・・・お母さん・・・・・・お母さん・・・・・・」
穂波は、母親を呼びながら、だが、まどろみの海に落ちる。
・・・
穂波がいるのはまた、いつもの白い部屋。
穂波は、自分が眠ってしまったことを理解した。
やはり、ベッドで寝ているのは、顔のない男だ。
「・・・・・・」
顔のない男が穂波の顔を見た。そのベッドの傍らには、黒くて丸い何かが添えられていた。それは、人間の頭だった。
「・・・・・・・・・・・・探偵さん・・・・・・」
穂波は嘔吐した。
顔のない男は、体を起こした。
穂波の頭をよぎるのは、現実に布団に書かれていた血文字。『お前は残虐に殺してやる』。
穂波は、吐しゃ物で汚れた手を拭いながら、部屋の出口に駆け出す。
顔のない男は素早かった。普段の、まるでゾンビ映画のようなのっそりとした動きではない。まるで害虫のように俊敏に動く。男が何かを叫んでいるが、穂波には理解できない。
部屋の出口を出たとき、母の声がした。
「穂波!」
グイッ!と右手を引っぱられる感触。その力強い感触にしびれと、安堵を覚える。
そうだ、いつも通りだ。母だ。これで、やっと解放される。この恐ろしい夢から。
「お母さん!」
「違う!」
キスギの声だ。頭だけのキスギが、顔のない男の腕の中で叫んでいる。
「君のお母さんは3年前に死んでいる。そいつは・・・・・・そいつがシデムシだ!」
「え」
穂波は掴まれた手首を見る。そしてその先を。
穂波の手をつかんでいる女は、ギチギチギチと、歯を鳴らす。ぎょろりとした目は穂波を見て、笑った。
「僕を投げつけてくれ!」
顔のない男が頷く。
「よく聞け荒城穂波!この怪人は僕では倒すことは不可能だ!もっと君の夢に繋がった人でなければ!」
顔のない男が振り上げて、投げる。
「僕が今から君を無理やりに起こす!だから、君は彼を探してくれ!君ならわかるはずだ!彼がどこにいるかを!」
キスギの頭は怪人シデムシに激突した。
穂波は目を覚ました。右腕は、強く締め付けられて動かない。
「うう」
穂波は起き上がった。母の仏壇前で手を合わせてからよろよろと靴を探した。
意識が一瞬消える。
『次に眠ったらお前は最期だ』
耳元から、ギチギチとあざ笑うかのような声。
穂波は眠気を振り払って家を出た。
『君は彼を探してくれ!君ならわかるはずだ!彼がどこにいるかを!』
彼とは、顔のない男のことだろう。
顔のない男は、穂波を今まで守ってくれていた。
顔のない男は、当たり前すぎて思い出せない顔だった。
顔のない男は、あの部屋で何をしている?
顔のない男は、誰だ?
顔のない男は、どこにいる?
どこへいく?・・・・・・病院だ!
彼女は知っていた。その病院は、一緒に暮らす叔父には秘密で、何度も行こうかと迷った場所だ。
「父さん!」
その病室は、殺風景な白い部屋だった。窓からは青空と隣のビルの屋上が見えている。
「・・・・・・ああ。穂波、間に合ったか」
弱弱しい声だ。
穂波の父は、酒に溺れた愚かな男だった。そして酒の毒で死を待つばかりだ。
「痩せたね。父さん」
「お前は大きくなった」
「まだ、子供だよ。だから、父親に助けをねだりに来たわ」
「いいや。それくらいはさせておくれ」
穂波は、その当たり前すぎる父の顔を見た。痩せて、穏やかに笑う父を。
「負けだよ。怪人」
キスギが笑っている。上着もズボンも悪趣味な黄色のままだ。軽薄そうな姿かたちだが、笑い方は、押し殺すような、嗜虐的なものだった。
そこは、病院の部屋だった。ベッドと、椅子と。
今、穂波はベッドの傍らの椅子に座っていて、父はベッドで寝ている。――現実と同じく。
違うのは、黄色ジャケットのキスギと、看護婦の姿をした怪人シデムシがいることだ。
ベッドの上の父は、おそらく現実では不可能であろうが、ゆっくりと立ち上がる。天井に頭が付くほどの大きさだ。
「そういえば、父さんは、これほどの大きさだっけ」
高校生になった穂波が思う、幼少に見た父の背中だ。凛々しく恐ろしい。それでいて、今は頼もしい巨人のような父親。
「ギギギ!」
シデムシは狼狽えながらドアに駆け寄る。
「おっと、それはルール違反だ」
キスギがドアをの前に立ちふさがった。
父は巨大な拳を振りあげた。
その拳が、怯えるように背を向けて駆けだしたシデムシをバラバラに砕いた。
穂波は、しばらくしてから目覚めた。
「寝てしまったようだね」
「うん。ありがとう」
父が笑った。外はもう夕焼けだった。娘も笑う。
二人は夕焼け空を見た。
しばらくして、穂波は椅子を引いた。
「そろそろ、帰るわ。叔父さんが心配する」
父親は、目を瞑った。
「元気でいなさい」
「うん。父さんも」
こうして、荒城穂波の、顔のない男にまつわる奇妙な夢の話は終わった。
「ところで、君を助けた報酬なんだけどね・・・・・・」
白昼夢だろう。耳元で、そんな軽薄な声が響いた。
「え?荒城さん、バイト始めたの?どこ?どこどこ?」
耳ざとい友人がにこやかに笑う。彼女は、だが本当は穂波が悪い夢から解放されたことが嬉しいのだ。
穂波も笑う。結局、彼女がいなかったら今頃、穂波がどうなっていたかわからない。
「ふふふ。夢で困ったら何でも言ってね!」
「あ、それって!もしかして!」
興味津々といった顔で友人が身を乗り出した。
「そう」
穂波は笑う。
彼女は、アルバイトに雇われることにした。その、勤め先は――
「来生探偵社」
前後編って、いいよね。
こう、「ヒキ」ってワクワクしてしまうよね。
というわけで、長い話でもないのに前後編です。
いいっすよね「ヒキ」って!