祠
「・・・・・・はぁ、はぁ・・・・・・どうなってるんだよ・・・・・・ッ!?」
アラタの足は、まるで自分のものではないかのように、ただあの病院へ向かっている。
顔を引きつらせて飛び出したまでは良いものの、病院への道が分からない。それでも、彼の足は動きを止めない。
抵抗しようとすると、頭に激痛が走る。だから、ただ走る。
――そして、ふと気付く。
そう、彼には母親が居たのだ。
父親も居た。
普通のことだ。だが、記憶の無い俺に何故、親の顔が分かった? それに何故、帰り道を知っている?
俺は、記憶が無かったはずだ。目覚めた時に、そんな事も思い出そうとはした。だが、確かにそんな事は脳内に記録されていなかった。
それが何故、今。
しばらく声も出なかった。
「・・・・・・母さん」
訳が分からなくなり、ぼろぼろとアラタは涙を流す。
別にこんな捻くれ男の涙なんか誰も見たくないだろう。そう自嘲まじりに思うのがまた空しくて、さらに涙が出てくる。
「・・・・・・はっ・・・・・・ぅ・・・・・・っ」
何の言い訳のつもりか、声だけは抑えた。だが、彼の口から漏れ聞こえる悲しげな泣き声は、誰も居ない通りに空しく響いた。
しばらく、自分が泣くに任せた。それでも、まだ足は動いている。
――こんなんじゃ、何かに怯えて、逃げているようだ。アラタはそう思った。
ふと、彼の視界が揺らいだ。
彼は叫び声をあげ、その場に倒れ込んだ。
また猛烈な頭痛と吐き気で息をするのも苦しいほどになった。
激しい動悸がして、アラタはそこに蹲った。割れたアスファルトに涙と共に汗が滲む。
「おい・・・・・・今度はなんだよ・・・・・・」
しばらくそこに蹲ると、病室の時のように、すぐに痛みは治まった。
不気味で不気味で、アラタはもうずっとその場に座って居たかったが、何かがアラタを急かした。
――早く行け、アラタ。そうしないとお前が後悔することになるぞ。
脳内で再生された声は、確かに自分のものだった。
――全てを見てきた自分の声だった。
「だから、何、なんだよ・・・・・・ッ!?」
でも、――いや、だからこそ、やはりとても不気味なもので、アラタはなんとしても抵抗しようとしたが、見えない何かが乗り移って(今度はそれを感じた)、殻のアラタを動かしているかのように、己の意思とは関係なく、体が勝手に立ち上がり、先ほどまでとは反対の方向へ走り出した。
「おい、何処に行くんだよ・・・・・・?」
ふと、彼の体が急に軽くなったのを感じた。まるで、背中から羽が生えているような感じ。でも、きっとそれは真っ黒な羽なんだろう。彼はそう思った。――こんなに考えは捻くれているんだ。白い羽なんか生えてたらきっとお笑い種だ。
足の回転速度が次第に速くなっていく。風を切ると白く光って見えるようだ。目から光が出てくる。それがなんとなく「選ばれた者」のように感じて、謎の高揚感が高まる。飲み込みが早いのはきっとアラタの性分だろう。
これは、少し前に知った「主人公展開」の一つだろうか・・・・・・。
しかし、何故そんな捻くれ男をこの運命は選んだのか。彼は疑問に思う。
「お前・・・・・・どうして俺なんか選んだんだ・・・・・・?」
謎はきっとどこかで明かされるんだろう。俺が主人公の物語が、謎が謎のままでおわるなんて絶対に嫌だ。彼はそう思った。
――俺なんかより、よっぽどふさわしい奴なんか他に掃いて捨てるほど居るだろうに。彼の疑問はそこにある。もう三年前の話だが、学年トップの成績で、しかもイケメンという女子から見たら「最高」な男子を俺は知っている。いまごろどうしているだろうか。もしかしたら、あいつもこんなことに巻き込まれているかもしれない。きっとあいつなら俺よりうまくやるんだろうな。彼は自嘲混じりに呟く。最近こんな事を思うことが多いのは何故だろうか。しかし、俺の知っている「主人公展開」はあんな完璧な奴を選んだことが無い。いつも、引きこもりニート、オタク、コミュショー、もしくは若い男をあれは選ぶ。
「・・・・・・じゃあ、俺は引きニート、オタク、コミショーのどれかなのか・・・・・・?」
そう思うと、なんだか悲しくなってくる。無念だ、無念すぎる。何やってるんだ過去の俺。それにしても、俺の脳は変なことばかり覚えてるな、と彼は思う。物語の進行のために作者が辻褄を合わせているんだったらまあ分かるけどな。いや、考えたら駄目な気がする。そういう気しかしない。彼の脳内はそんなメタな事を思いつく。だから、俺は捻くれ物なんだな、なんて言い飽きた台詞を何度も言うのは、彼が自分が誰かにずっと監視されているのを知っているから。いや、実際にそんな事はあるはずがない。ただ、常に視線を感じる。家に居ても、どこかで「監視されている」ような気持ちになる。だから、こんなに飲み込みが早いのだ。
「・・・・・・だとしたら、これからもっと凄いことに俺は巻き込まれていくのか・・・・・・?」
心臓が一際大きくドクンと鳴る。きっと、何かを肯定しているんだろう。彼の脳内はすぐに理解した。
「はっ・・・・・・不安だな・・・・・・」
そういいながらも、彼は笑う。今までのように腐って人生を終えるより、よっぽど良いじゃねえか。どうせなら、普通ではありえないような最後を飾りたい。
彼は、自分の人生に飽きていた。
ふと、笑いから覚めた。
「――俺、結局引きこもりだったんだな。」
こんな考え方するから、引きこもりになるんだ。彼は、記憶がなくなる前の自分にそう吐き捨てる。
今度は、――これももう何度目だろうか、自嘲の笑みがフッと浮かんだ。
――抵抗しても無駄。こいつの行きたいところに連れてってもらおう。
もう、作用した運命なら、しょうがない。せいぜい、暴れさせてもらおう。
ふと、彼は気付く。彼は、自分の意思で走っていた。これから何処に向かうのか、彼は知っていた。これからどんな運命が待ち受けているのかも、うっすらと知っていた。
――ただ、彼がそれを無意識に拒絶しているだけで。
***
走り続けて二十分ほどたったように思われる。
すでに息は切れていたが、アラタの足は休むことなく走り続ける。そろそろ体力が尽きようとしていた。
さらに悪いことに、途中から激しい雨が降り出した。
全身を打ち付ける冷たい水滴は容赦なく彼の体力を奪う。彼の体はすでに悲鳴を上げている。震えながらも彼は狂ったように笑う。大丈夫、こんな突飛な運命に出会った俺なら、こんな事で死なないから。
――そんな根拠の無い理由だった。
だが、それは本当のことのようで、それから三十分ほど経った時彼の体が目指していた場所に着いた。
それは、鬱蒼とした森の中腹に位置する小さな祠だった。
「なんだ、ここ」
まるで酒の酔いからさめるように、彼の頭は雨粒で急激に冷やされていった。
ふと、空間が揺らいだように感じた。空間が縮み、また引き伸ばされ、そして一人の長身の女性が現れた。
艶めく長い金髪の髪に緑の目、病的なほどに白いからだにほっそりとした手、反対にふっくらとした桜色の唇。体は細いのに胸は大きく、腰はきゅっと締まっている。今、髪は雨粒の宝石で飾り立てられ、緑の目は妖しげに輝く。ひっそりと微笑む顔は妖美な空気を醸し出していた。純白の質素で腰のところでキュッと細くなるな膝丈のワンピースは彼女の素晴らしいスタイルを強調し、ヒールの高い黒い皮のブーツが彼女の身長をさらに高く、すらっとして見せる。胸元に光る目と同じ色のエメラルドのペンダントがよく似合う。もし彼女を作った神か天使が居れば、「ついやりすぎた」と誤魔化すだろう。だが、その顔は「ぐへへ」と笑い、よだれを垂らしている。彼には簡単に想像がついた。
こんな女性は地球上の何処を探しても一人か二人が関の山だろう。いや、もしかしたら一人も居ないかも知れない。
「・・・・・・琥珀さん」
「・・・・・・やっと、着きましたね。遅かったほどですよ」
その様子では、ずっとここに居たのだろう。彼は少なからず罪悪感を覚えたが、彼女が微笑むのでそんな感情は一気に吹き飛んでしまった。また心臓がドクンと鳴る。
彼女は祠のほうを向く。
「では、行きましょうか」琥珀は振り返りざま言う。
何処へ、とは問わない。彼は静かに肯く。
琥珀は、静かに祠の前にひざをつき、目を閉じた。
「・・・・・・主を連れて参りました。開門の許可を」
辺りは静寂に包まれた。まだ、雨は降っている。
水が滴る音がした。
琥珀の体からは金色の淡い光が糸のように出ている。
ふいに、辺りが白い光で包まれた。
白い光の中、琥珀は、アラタの目の前を静かに歩いている。彼女の足が地面につく度に、水滴の音がぴちゃん、と頭の中で響く。
ふと、彼女が振り返ってアラタに手を差し伸べた。
「私の手を、絶対に離さないでください」
アラタは、顔を真っ赤にしつつ、彼女の手をとった。あんな雨の中に居たのに、彼女の手はやんわりと暖かかった。
しばらくアラタは静寂の中、琥珀の手に引かれるままに歩いた。
彼が歩いても水滴の音はしない。もしかして、彼女は人間ではないのだろうか。信じられないが彼女は人妖の類ではないのだろうか。
躊躇いがちに彼は問うた。
「あの・・・・・・琥珀さん?」
琥珀は振り向きもしなければ、返事もしない。
「琥珀さんって、もしかして人妖だったりします?」
しばし反応はない。不味かったかな、と思いつつ、彼は返事を待つ。
一際大きな水滴音と共に、彼女は口を開いた。
「面白いことを言いますね。まぁ、あながち間違っては居ませんよ。そんな感じです」
「へぇ・・・・・・そうなんですね」
別に怖いとは思わなかった。彼女は俺なんかにもよくしてくれる。人妖だったとしても、それはきっととても優しい人妖だ、と彼は思った。
「怖いですか?」と、彼女は問う。不安がっている様子は無く、ただただ疑問に思っているだけの問いだ。
「いいえ。・・・・・・もし人妖でもとても優しい人妖だと思います・・・・・・」我ながら、とても恥ずかしい台詞だ、と彼の顔は赤くなる。
だが、彼女は微笑む。
「そういってくださるとは。アラタさんはとてもお優しいんですね」
「あっ・・・・・・いえ、そんな事は・・・・・・っ」慌てて取り繕う。
彼女は笑う。
「いえいえ、貴方はとてもお優しい方です」
こんな美女に「お優しい方」と言われるなんて、と彼は少々舞い上がった。きっと三年前の優等生も羨むことだろう。そう思うと誇らしくなり、彼はさらに舞い上がった。
「・・・・・・そろそろ着きますよ」彼女が言う。
結構早かったな、と思いつつ、彼はその言葉にうなずく。
「・・・・・・はい」
また、いっそう辺りが白く光る。アラタはそのまぶしさにぎゅっと目を閉じる。
だが、すぐに暗くなった。
「お待たせしました。ここが、東京都地下都市です」
――目を開けると、そこはものすごく広大な、ファンタジー世界のような夜の街だった。




