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前略。特殊能力者のボスになりました。  作者: くるみパン
第一章
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出会い

 ――ふと、微かな潮の香がした。


 外の世界は、とても蒸し暑かった。

 嫌な夢から目が覚めると、まず飛び込んできたのは真っ白な天井だった。

 染み一つ無く、本当に何も無い白い天井だった。

 ・・・・・・そこは見知らぬ病室だった。

「何だ・・・・・・ここ・・・・・・

 俺・・・・・・なんでここ、に・・・・・・」

 病気になった覚えもないし、怪我をした覚えも無い。

 ここはなんという病院だろう。

 いや、どこか見たことがある気がする。

 この視点で、ぼうっと天井の白い四角を眺めていた気がする。 

 その後は覚えていない。

「何処でだったかな・・・・・・」

 少年は、頭を押さえた。

「・・・・・・まず外に出ないからな」

 自嘲混じりに呟いてみる。

 ――では、三年以上前か?

 十五歳のころ、彼は彼の幼馴染の小坂香に恋をして、(ちなみに初恋)――いやもともとそこまで彼は勇気も度胸も無いが、それでも勇気を振り絞って告白した。

 結果、大層気色悪がられた上に絶縁宣言をされた。

 以後、学校に行く度に視線を感じ、それが自分をあざ笑っているような気がして、時にはあからさまに嘲笑され、耐えられなくなり、それからずっと学校には行っていない。同じ体験をお持ちの方が居れば、彼の気持ちも少しは分かってくれるだろう。

 一応、「これもしかしてまともな職に就けないんじゃないの?」と、在宅型通信高校で自宅学習をしていたが、フラれたショックで気力がわかなかったせいか、当時そこそこ良かった成績もかなり下がっていまや成績はBが貰えたら奇跡、ぐらいに成り下がっていた。

 そんな毎日が続き、もともと家があまり裕福ではなかったため、自宅学習も金の無駄遣いになり、止めざるを得なくなった。

 今では、ただ部屋にこもって一日中うつろな目をして石のように動くことなく日々を送っている。・・・・・・きっとこれからもそうだろう、と本人は感じていた。

 ・・・・・・怪我ではない。では、何故?

 ベッドから這い出て、周囲を見渡す。

 ふと、彼の耳に蝉の音が聞こえてきた。ベッド脇の机には、テレビや誰が用意したのか、見知らぬ着替えが綺麗に畳んで置いてある。その隣に透明な花瓶があって、真っ白なユリの花がいくつか挿してあった。水はまだたっぷりある。

 卓上タイプのカレンダーを見つけ、彼はのぞきこんだ。今日の日付は分からないが、カレンダーは、八月になっていた。

 病室には、今彼が座っているのともう一つ、窓際にカーテンでさえぎられたベッドがあった。

 何だか、見覚えのある気がして、身震いをした。

 不審に思ってカーテンへ手を伸ばす。

 瞬間、酷い目眩と吐き気が彼を襲い、彼はその場に倒れ込んだ。

 どうやらなにも食べていなかったようで、ただただ胃液を吐き出すしかない。吐き出し終わってもまだ腹はしくしくと鈍い痛みが走る。

 しばらくその場に固まって、痛みが弱まるのを待った。

 痛みが弱まってから、自ら作った胃液の水溜りに手をつき、立ち上がる。

「なんだったんだよ・・・・・・」

 こんな状態だ。病気なら、もしかしたら有り得るかも知れないが、さすがに何の記憶もなしに倒れる、なんていうのも突飛な話だ。まず、何故ここに来たのか。

 ・・・・・・何の記憶も無い?

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・ぁ」

 記憶の中をまさぐっても、あるのはこの病院の天井のように虚無の白だった。

 本当に、彼はなにも思い出せなかった。

「いや・・・・・・さっき何か言ってただろ・・・・・・」

 先ほど言った言葉を思い返すことしばし。

「・・・・・・もちづき、あらた。こざか、かおり・・・・・・」

 思い出せたのはこれだけだ。

 多分、最初のが男性で二番目が女性の名前だ。

「じゃあ・・・・・・俺はもしかして、『もちづきあらた』って言うのか?」

 どんな漢字を書くのだろう。それさえも思い出せなかった。

 何故、記憶は他の全てを犠牲にして、この名前を守ったのだろうか。

 何か、理由があったのだろうか。それさえも分からない。

 逆にほとんどなにも思い出せないので悲しくは無いが、やはり空しい気持ちになる。


「・・・・・・目が、覚めましたか」

 ふと、声が聞こえて、閉まったカーテンの向こうを見つめた。

 透き通っていて、とても綺麗な声だった。

 白く、細い指がカーテンを捲り、声の主が現れた。

 病的なほどに白い顔に緑の目、金色の髪が目を引くが、声と同じくとても綺麗な女性だった。小さく微笑む顔もどことなくか弱さを感じて、こちらが心配になるほどだ。

 まったく気配が無かった。一瞬死んでいるとさえ思ったほどに。

「えっと・・・・・・」

 彼が口ごもると、彼女は優しく微笑み、気になりますか、と髪の毛をつまんだ。

「これ、生まれつきなんですよ」

 確かにそれは気になった。だが、彼が知りたかったのは別のことだ。

「えっと、日本人ですよね・・・・・・?」

「えぇ。そうですよ」

 日本人で生まれつき、という事は何かの病気なのだろうか。どこかでそんな病気を聞いた事のある気がする。目立ったりして、嫌な思いをしないのだろうか?

 躊躇いがちに彼は問う。

「・・・・・・染めたり、しないんですか? ・・・・・・目は、無理ですけど・・・・・・」

 さすがに初対面の相手、しかも女性に「貴女幽霊ですか?」なんて言えない。

 彼女はしばらく目をしばたいた。

「えぇ・・・・・・まぁ、綺麗なので」

 それから笑って、目だって視力は抜群に良いんですよ、という。

「失礼、でしたか・・・・・・?」

 心配になって聞いてみる。女性というのは繊細なものだ。変なことを言うと嫌われかねない。記憶喪失になってもさすがにそこは知っている彼だった。すると、彼女は今までになく大笑いした。と言っても、普通の女子高生がするみたいに下品なものではなく、どことなく品を感じさせる笑い方だった。

「そんな事はありませんよ。よく聞かれますし。綺麗でしょって、逆にこっちが 自慢するくらいですから」

 ユーモアのある女性だ、と彼は感じた。

「あ・・・・・・」

「どうかされました?」

「・・・・・・俺、何でここに来たんでしょうか・・・・・・つまり、記憶が無いんです・・・・・・ほとんど」

 彼女は、まぁ、と小さく呟いて、頭を小さく掻いた。

「・・・・・・貴方は、交通事故に遭ってここに来たって聞きましたよ」

 交通事故。そんなものに遭った覚えは無い。でも、それなら記憶喪失になった納得がいく。どこか打ち所が悪かった。そんな理由だろうか。彼は勝手に納得した。でも、目が覚めたときには、記憶のほとんどがまだ残っていただろ。それに、家族はどうしたのか。あの見知らぬ着替えは何だろう。

 彼女がどうしてここに居るのかも聞きたかったが、それは何だか聞いてはいけないことのように思えて、彼はあえて聞かないことにした。

 彼女は、小さく微笑んだ。その笑顔がなんとも妖美で、でも悲しそうで、心臓が大きくドクンと鳴った。

「記憶・・・・・・そのうち、分かるんじゃないですか」


「――・・・・・・現在は順調に回復しています。運がよければ日曜日には退院で きるかも知れませんね」

 何が回復したのだろうか。

 目覚めたときから、体に痛みも無ければ不自由などない。疑問に思って口をあけたが、なぜか声が出なかった。結局、口を開け閉めさせるだけで終わった。

 代わりに彼は別のことを聞いてみた。

「・・・・・・今日は何日で何曜日ですか?」今度はちゃんと声が出た。

「え? ・・・・・・二日の木曜日ですよ?」

 不思議な顔をして医者にそういわれて、訳が分からぬまま、病室に戻った。

 記憶喪失になるほどの交通事故を起こしておいて、あと三日で帰れるなんて、変な話だ、と思う。

 俺は、――こんな馬鹿な俺でも、明らかに何かがおかしい、と感じていた。


 病室に帰るまでに一通りいろんな場所を見てまわったが、俺とあの人以外は誰も居ないようだった。

 なんだか、寒気がしてきて、俺は腕をさすった。

 窓から漏れる光の中で読書をしていた彼女はさきほどより格段に美しく見えた。しばらく、そのまま彼女を眺めていたが、彼女のほうから声をかけてきた。

「お帰りなさい」

「本・・・・・・お好きなんですか?」

「えぇ、まぁ」

 彼女はページを捲る。

「ファンタジーが好きなんです。物語の主人公が、まるで自分のように冒険して いくのはとても見ていてわくわくするので」

「それ・・・・・・俺も分かります」

 そういってからはっとする。俺は少なくともファンタジー小説を好んで読んだなんて話、身に覚えが無い。

「そういえば・・・・・・」

「ハぃっ?」

 いきなり聞かれて、変な声が出た。

 彼女はくすくすと笑う。そんな姿もかなり品がある。もしかしてどこかのお嬢様だったりするのだろうか。

「お名前、聞いてませんでしたね。何て言うんですか?」

「・・・・・・俺は・・・・・・あらた。もちづきあらた。多分、ですけど」

 彼女は首を傾げた。長い髪の間から、ほっそりと白いうなじが見えたりして、少々ドキリとする。

「もちづきあらた・・・・・・どんな漢字を書くんですか?」

 多分、という言葉を疑問に思わなかったのか、彼女は平然と聞いてきた。

「・・・・・・分からない」

 彼女はどんな顔をするだろう。なんだか不安で彼女と目を合わせることが出来なかった。

 しばらくして、彼女が笑う声が聞こえて顔を上げた。

「では、親しみをこめて、『アラタさん』とお呼びしますね」

 あはは、と俺は笑う。良かった。この人は俺みたいな奴でも優しく接してくれる。

 ――良いですよ、貴女の名前は?

「私の名前は・・・・・・


 琥珀。高里琥珀(たかさとこはく)


 彼女の名前は、高い、里、琥珀。どこか綺麗な名前だった。琥珀なんて、あまり見ない名前だが、彼女がそういうと何でもありだな、とアラタは思う。

 それから、呼び名として普通にコハクさんを却下され、じゃあユーモア溢れる呼び名にしようとコハックーを却下され、では、と少々ふざけて言った琥珀殿も勿論却下された結果。

「・・・・・・では、琥珀さんで」

「・・・・・・仕方ありませんね」

 結局琥珀さんで落ち着いた。

 初対面の人を呼び捨てにするのは初めての経験なので、名前を呼ぶたびになんだかモヤモヤする。

 そこらへんをちゃんと配慮してくれた。こういう配慮のある女性は友人としても恋人としても大切にしておきたい存在らしい。俺は彼女とは格が違いすぎるので、恋人は無理かも知れないが、このムード的に友人くらいにはなれるかもしれない。そう彼は密かに期待していた。

「緊張してるんですか?」

 バレていた。

「えぇ・・・・・・まぁ」

 しばらく沈黙は続き、アラタが口を開いた。

「女性にこういうことを聞くのは失礼かも知れませんが・・・・・・コハクさんは、何歳なんですか?」

「言ってなかったですか?

 ・・・・・・十一月で二十二になります」

「へぇ・・・・・・思ってたのよりちょっと若かったな・・・・・・」

「そう、ですか?」

「俺は二十だと思ってたんですけど」

「そこまでかわらないじゃないですか」

 琥珀はパシッと彼の背中を軽く叩いた。

「新さんは何歳なんです?」

「俺は、・・・・・・」

 彼は言葉に詰まった。俺は、今何歳なんだ?

「へぇ~。十八歳ですか?」

 とたんに息が詰まった。

「アラタさん?」

「・・・・・・っ!」

「どうか、されましたか?」

「・・・・・・いいえ・・・・・・十八歳です」

 何故、分かったんですか?

 とう問いたかったが、またしても声が出なかった。


 結局、琥珀とは友人らしいムードはつかめたものの、その後日曜日に退院してしまったので、彼女とは会う機会も無くなってしまった。

 迎えも来ず、彼は一人で家まで帰った。

「・・・・・・無念だ・・・・・・」

 その時、彼は何故、見知らぬ病院からの帰り道を知っているのか。それすらを疑問に思わなかった。

 ――思ってはいけない気がした。

 家に着いたときには日が傾き、気持ち悪いほどに紅い夕日が辺りを照らしていた。

 家に着き、彼は鍵が無いことを思い出す。

 一応、ドアを引いてみる。

 すると軽く軋み、ドアが開いた。

 そのままリビングに行くと、彼の家族は皆何も無かったかのように平然と生活していた。

「あの・・・・・・母さん?」

 母親は夕食前のテーブル拭きをしていた。バラエティー番組を見ているのか、父親の笑い声が聞こえてきた。それに少々気をとられつつ、新は深く息を吸い込み、言った。

「なに、新」

 躊躇ったが、言うしかない。

「あのさ、俺が入院したの、母さんは知ってたの?」

 母親は、しばしなにも言わなかった。顔を見れば、明らかに今言ったことを理解していないのが分かった。

 心臓が高鳴る。

「何言ってるの。あんた、ずっと家に居たじゃない」

「え・・・・・・?」

 一瞬理解できなかった。しばらく、母が言ったことの意味を噛みしめ、そして愕然とした。

 ――だって、さっきまで俺はあの病院にいたんだ。

 新はドアを勢いよく開け、病院へ向かって走り出した。

 母が叫ぶ声が聞こえたが、そんなものを聞いてはいられない。

 目が覚めたときから、この状況を怪しんではいたのだ。振り返れば、不審なことのほうが多いほどだ。

 この際琥珀さんさえ怪しくなってくるが、彼女に聞けば何か分かるかも知れない。

 そう思うと、なおさら足は速くなった。

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