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紫陽花ノ恋  作者: マヤノ
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 強く抱きしめられて眠りについたせいか身体が痛い。目を覚ませばもう立花はいなかったけれど、身体についた香りに顔をしかめた。強烈なものではないことに安心しながら、ほんのかすかでも慣れない香りをまとっている事実は、心を波立たせる。


 あの女性の香水だ。彼氏からの移り香が、浮気相手の香水ってどうなの。


 シャワーをさっと浴びて、香りを落とした。気合いを入れて、鏡を見れば首筋に噛み跡がついている。昨日、痛みが走ったことを思い出して軽く舌打ちを零した。


「最悪っ」


 しっかりと首筋についた跡は愛情の証なんかじゃない。立花の性格を考えれば、ただの独占欲だ。


 自分からは相手を切り捨てるくせに、他人から自分を切り捨てられるのを嫌う。我儘で勝手な自己中。


「……絆創膏、目立つかな」


 絆創膏を貼って、髪の毛で少しでも隠せないかアレンジを加える。


 できることなら休みたい。噛み跡が薄くなるまで自宅に引きこもりたいくらいだ。


 一発くらい殴りたいのに相手がいない。昨日だって、結局流されて寝てしまった。健全な添い寝とはいえ、相手の警戒心をうやむやの内に同じベッドで眠りにつかせるなんてさすがは立花優雅、女性の扱いがうまい。


「ん、ギリギリ大丈夫な感じ。次に会ったら殴る」


 変な感心を持ちながら、立花を殴る計画をしっかり立てる。鏡を何度も確認し、納得できる形に髪型を整えると家を出た。





 噛み跡がついていることをつい気にしてしまう。バレないように願いながら、仕事を進めていく。


 心臓に悪い。さっと家に帰りたい。てきぱきと仕事を片付けつつ、今日は絶対に残業しないと決めた。


 やっと訪れた帰宅時間。安心感に包まれながら、帰り支度を終わらせる。なんとか一日の仕事が終了したことにほっと息をついて、椅子から立ち上がった。


「あ、理沙ー。今日みんなで飲み会どう?」


 職場の友人が放った言葉に、ひくりと頬が引きつる。


「え、飲み会? 今日?」


 飲み会は嫌いじゃないけれど、タイミングが悪すぎる。噛み跡を気にせず騒ぐなんて、私には無理だ。何かの拍子にバレたら、気まずい思いをするし、恥ずかしさで埋もれてしまいたくなる。


「そ、今日。なんと今日は我が社でモテる子たちも来るし、目の保養になるでしょ」


 声をかけるの大変だった、と笑うまゆみの言葉に「お疲れさま」と告げる。


「それ、飲み会じゃなくて合コンみたいだけど」


「ふふ、だって飲み会もとい親睦会よ。合コンみたいなやり取りは一応なし。まあ、建前上はね」


 私のつっこみにまゆみは悪戯が成功した子供のように弾んだ声で説明してくれた。


 合コンとして誘えば来てくれない人も、ただの飲み会と言えば来てくれる。やり取りだってなしにしているが、うまく立ち回れば情報を集められる。お酒の席だから多少の酔ったふり、ボディタッチなどもあり。女性が苦手というイケメンに、女性が側にいることを慣れてもらうことも目的の一つ。などなど、説明が続いていく。


 とりあえず、まゆみの言いたいことはわかった。


 飲み会ではなく、立派な合コンだ。相手にそれを悟らせずに、うまく飲み会に誘うまゆみの力量はすごい。理解できるけれど、真似したら失敗する自信がある。


「ね、理沙も行こう?」


「ごめん、今日は……」


「付き合い悪いなあ。あ、そうか彼氏いるんだっけ。もしかして、嫉妬されちゃうとか?」


「そういうわけじゃないけど」


「照れないで正直に答えていいんだって。そっか、彼氏いるから建前は飲み会でも、合コンはだめだよね。仕方ない」


 納得するまゆみに反論する気がしぼんでいく。誤解しているけれど、飲み会に出席しなくていいのなら“彼氏の嫉妬”という理由でいい。


「また今度誘ってね。今日はもう私は帰るから」


「もちろん! あ、出席しないのはいいけど、今度理沙の彼氏見せてね」


「え?」


「待ち受けとか、写メとかでいいからお願い」


 楽しみ、と満面の笑みを浮かべるまゆみの姿に嫌な予感がする。


「もしかして一枚もないの!? それはだめじゃない? 彼氏いるんでしょ?」


 撮りたいと言えば撮らせてくれるだろう。甘やかすのがうまい立花は、頼めば笑顔で応えてくれる。


 でも、いつか別れる可能性が高い立花の写真を持つ気が起きなかった。簡単に相手を切り捨てる浮気者との繋がりを多く作りたくない。仲良くなれば、きっと別れる時に泣いてしまう。彼氏である立花優雅に恋愛感情を抱きたくない。切り捨てられても受け入れられる今の心境に満足しているのだ。


「あんまり写真好きじゃないみたいだから、無理に撮るのも悪くて」


 本当に誰かを好きになったことが私にはある。


 叶わない初恋だった。


 たくさん泣いた。悲しくて、彼女になれないことがわかってからは泣き続けた。初恋の相手である部活の先輩が写った写真は全部捨てた。部活のみんなが写った集合写真も捨てた。だから、写真を撮りたくないのだ。苦い気持ちを噛みしめながら、私はまゆみに謝った。


「ごめんね、無理に撮って嫌われたくないから」


 嘘をついて私は苦笑する。そうすれば、まゆみは顔をしかめて睨んできた。


「ケチ、見たいから頼んでよ。それとも見せたくないくらい不細工なの? 私たち友達でしょ、見せてよ」


 どうしてそんなに見たがるのだろう。私の彼氏がどんな人物なのか関係ないのに、なぜそこまで気にするのだろう。


 友人だったのに、友人ではなくなった相手を思い出す。自分の彼氏と私の彼氏を見比べて嫉妬した人がいた。立花の写真を食い入るように見つめて、立花を好きになった子がいた。見た目で人を好きになるのが悪いことだとは思わないけれど、壊れていく友情を止められないことが悲しかった。


 立花のせいでごたごたに巻き込まれるのはいやだ。できるだけ巻き込まれる回数は減らしたい。無関係の他人ならまだしも、仲良くしたことのある人物と恋愛問題で対立するのは面倒だ。


「不細工だから見せれないの。だから、ごめんね」


 不細工どころか綺麗な顔をしている彼氏だけど、不細工ということにしておこう。浮気を繰り返す立花の心は綺麗なんかじゃないから、嘘ではない。言い訳はできた、大丈夫。


 もう一度謝罪をして、鞄を手に私は帰宅を急ぐ。会社の入口に着くと、頭を抱えたくなった。


 先ほどまで小雨だったから走って帰る予定だった。しかし、いつの間にか大粒の雨がアスファルトを強く叩くようになっている。手にした鞄を頭の上に掲げ、入口から走り出そうとすれば声をかけられた。後ろを振り返れば、荒い息を整える宮部くんがいた。

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