十七
会社では、まゆみからのちょっかいが面倒だった。いい加減、飽きればいいのにしつこい。立花のことを教えたら終わるのだろう。それでも、彼のことを教えるつもりはない。
今日は久しぶりに親友と会える。都合がつかないから、無理だと言っていたのに、スケジュールが空いたらしい。
テラス席にはすでにしおりが座っていた。肩口で切り揃えられた茶髪は、昔よりも少し色が明るい。
「理沙、久しぶり」
「久しぶり。しおりの予定、空いたんだ」
「まあね、彼氏は残業中」
そっと手を動かし、携帯に触れるしおりは残念そうに呟く。彼女が先に頼んでくれていたカプチーノを一口飲む。食事を注文する気にはならなかった。
「……うそ」
「何が?」
「残業中って嘘でしょ」
隠し事が下手なのだ。動きがどこかぎこちなかったり、はしゃいでいても何かに触れたり――それは彼女が嘘をついている時の癖。
指摘されても治らない癖を見つけた。親友だから、ちょっとした動作でわかる。しおりの嘘が下手だと思うのは、仲の良い人たちだけだ。
「どうして無理して会うの?」
「んー、頼まれ事かな。まあ、私が会いたかったっていうのも理由だけどね」
今からでも彼氏に会いに行けばいい。そう言おうとした私を遮るように、軽やかにしおりは言葉を口にする。
勝てないなあ。
懐かしくて、笑みが零れた。私の言葉にうまく被せるタイミングも、口調のテンポも変わらない。
「で、何を悩んでいるの? 教えて」
「……しおりに頼んだの、立花でしょ」
「まあまあ、いいでしょ。大丈夫、女同士の秘密だから、立花には言わないしね?」
「元から立花は訊かないんじゃないの?」
私から言わなければ、無理に聞き出さない。遠回りして他人から勝手に聞き出すこともない。
「やだ、理解してる。さすがは彼女」
それで? と私の悩みを聞き出す気満々のしおりに首を振った。
「別に、ちょっとした厄介事」
「ふうん、立花関連でまた迷惑していると。まさか立花とこんなに長く理沙が付き合うなんてね」
厄介事と立花関連が簡単に結びつけられる。間違ってはいないけれど、立花がちょっと不憫に思えた。
自業自得な面もあるが、彼を満たしてあげられない私にも問題がある。他の人の場所に行かないように愛情を注いであげられないし、手綱をしっかり握ることができないのだから。
「別れないか、しおりはもう訊かないんだ」
ほとんどの人が同じことを尋ねる。耳にタコができそうなほど、繰り返しいろんな人に、さまざまな場面で言われた。
「今はもうしないかな。立花のこと嫌いだって理沙が言うなら、一分一秒でも早く別れるように忠告するけど」
「嫌いじゃないよ」
「で、好きでもないと?」
「好きだよ、立花のこと。嫌いでも好きでもない、普通なら付き合わないもの」
好きかどうか判断できなかった。でも、よく考えたら私は彼といる時間は安心するし、好きだと実感することが多いとわかったのだ。
嫌いな相手と一緒にはいないし、好きでもない人と付き合わない。普通の人なら、ただの知り合いか友人の位置いるだろう。
そう、彼氏である立花は好きの範囲にいるのだ。恋愛かどうかは置いておく。今はただ、好きということだけが確かなこと。
「なんか複雑。まあ、二人が複雑な関係だから仕方ないのかもね」
肩をすくめるしおりは、ぐっと拳を握りしめた。
「ああ、それとね。訊かない理由はもう一つあるの。理沙を変に泣かせないように、お願いしたから。仕方なしに泣く以外は却下よ、却下。彼氏なんだからね」
「殴ったの!?」
一体いつそんな会話を二人はしたのだろうか。彼女の拳が輝いて見える。しおりがそこら辺の男性より格好良く見えた。
「一発くらいどうってこないでしょ。あれは私にとって、初めての全力だった。今もまだ、あの本気の一発は更新されてないから」
私も立花に文句を言ったり、叩いたりすることはあるけれど、全力の本気はない。
それにしても、今もまだ更新されていない本気の攻撃を立花にした。それは親友として私のことをすごく心配してくれていたことがわかる。
立花の女性関連を心配しつつ、私の好きにさせてくれるしおりの優しさが嬉しくて、抱きつきたくなる。持つべきものは親友だ。
「あ、そうだ。立花ってなんの仕事しているの? ちょっとみんなで予想したことがあるんだけど、本人が答えを教えてくれなくて」
話題はころりと変わった。置いてけぼりになった気持ちを味わいながら、私は首を傾げた。
「知らないの?」
「教えてもらっているのは嘘の可能性が高いから。私以外の同級生から、立花の友人とかの答え合わせをしたら、答えが同じ人もいるけど別の職業を教えてもらった人もいるの」
……立花、何をやっているの。
彼女さんたちには絶対内緒か、完璧に嘘。でも、彼らに嘘をつく理由として思い当たるのは一つ。もしかして、彼らの反応で遊んでいる?
「立花に教えてもらう前の私の予想はホスト。かなり似合うでしょ」
確かに似合う。スーツを着て、夜の世界に生きる。女性のあしらいは余裕でこなすし、甘い言葉を囁くのはうまいだろう。見た目もいいから、ナンバーワンにでもなってそうだ。
「で、他にはヒモ、医者、警察官、いろいろと立花に似合う職業。それから一度は見たい格好かな。女の子はミーハーだから。予想がつかないっていうのもあったけど……理沙は知ってる?」
予想にヒモが出てくる立花が残念で仕方ない。お金持ちの人に養ってもらう彼を想像して……見た目的にはありだけど、似合わない。無理だ、立花はそんな束縛を嫌う気がする。
立花がさっさと別れたミーハー度の高い彼女さんは、彼にモデルをしてもらいたがった。立花はモデル、アイドルになるためにいる。もったいない。そう喚いていたっけ。
結局、自分がそういう職業の人と付き合っている、と周りに自慢したかったのだろう。
あのミーハー彼女さん以外にも、あれこれ勝手に押しつける人がいたな。まあ、立花もそういうのを見極める力をつけて、面倒な人と付き合うことはなくなっていった。
立花も彼女さんに嘘の職業を教えるなら、相手に合わせてあげればいいのに――あ、だめか。相手が望む職業なら、職場についての追及がすごそう。
まあ、ほとんどの彼女さんは職場についてより、いかに自分が愛されているか。どれだけ容姿を褒めてもらえるか。自分のことが重要事項かもしれない。仕事と彼女なら、彼女と選んで欲しいのが乙女心らしいから。
「出世街道を進んでいるみたいだけど、途中で辞めるかも。契約をして助けに行く方が楽って言っていたから、今は人脈を作る段階なのかな?」
「は、え?」
戸惑うしおりを見て、付け足した。
「私に教えてくれているのが合っているかわからないし、確認なんてしてないからどうかな。それに、途中で方向転換する可能性もあるけど」
「いやいやいや、理沙に嘘を教えないでしょ。え、ちょっと待って。立花って会社に勤めてるの? 普通の会社に?」
「そうなるのかな」
「ぶっ、あははは! 似合わない。なにそれ、見たい。うわあ、それは予想外!」
ばんばんっ、と白いテーブルをしおりが叩く。実際、立花の職業は私も予想外だけど、そんなに爆笑することだろうか。
彼女の笑いが止まるまで、私はのんびりと八階からの夜景を眺めることにした。
人工の光が眩しく溢れる地上、星はあるけれど光が弱く見える。三日月が空に浮かんで、千切れた雲が流れていく。
揺れるテーブルからカプチーノが零れないように、コップ持ち上げてゆっくり飲んだ。
ひいひい、と軽く悲鳴のような笑い声にしおりは移行し始める。テーブルを叩くのをやっと止めてくれた。いつまで待てばいいんだろう。帰ろうかな。
「げほ、うん。落ち着いた。帰らないでね、理沙。まだ職業を教えてもらってない」
「職業……まあ、資格は情報セキュリティなんとか? 独立を考えたら、法律の資格の方がいい気がしてくるけど、私にはわからないかな。自分で決めたらとことん突き進むから」
私だったら口出しするつもりはない。立花にはあれが似合う、これが似合う――無理に願いを押しつけて、その職業に就いて欲しいとは思わないのだ。
なりたいものがあるなら、頑張って欲しい。私に手伝えるなら、手伝うつもりだけれどできることはないかもしれない。だって、立花は私より頭いいもの。
「へえ、フリーランスにでもなりそう。似合うかもね」
「フリーランス?」
なにそれ。フリーだから自由っていうこと……自由な職業。本人がなるかわからないけど、立花に似合いそう。
「自分の才能や技能を相手に提供して、お仕事をこなす人たちのこと。実力と人脈とかが必要だろうから大変だろうけど」
「なるほど。けど、私から勧めることはないかな。それにしても、そういう仕事があるって初めて知った」
「私も知り合いがなっていなかったら、知らない名称だから」
あれ、なんの話をするためにしおりと会話しているんだろう。彼女と会って話したかったことがなんだったのかわからなくなる。
不思議に思いながら、しおりと会話していくと、最近のもやもやするいやなことを忘れられた。
途中でベイクドチーズケーキとカプチーノを追加注文。たった一杯のカプチーノで長居するのは失礼だし、好みの味だった。豆を販売しているみたいだから、帰りに見てみようかな。




