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紫陽花ノ恋  作者: マヤノ
16/20

十五

 当日に思いついて送ったわけじゃないけれど、前日になって急にメールを送られたら困るだろう。立花からのメールの返信は来なかった。きっと、彼の予定は埋まっている。


 昨日、メールを送ってから何度か見返した内容を軽く思い出す。返信不要と書きながら、立花からの返信が欲しかったなんて、どうかしている。


 初めての我儘は叶えられないかもしれない。


 帰宅して、ぼんやりテレビのチャンネルを切り替える。気になる番組はなにもない。司会者の話を聞き流しながら、ただ何もせずに時間が過ぎていくことがもったいなく感じる。


 ふいに玄関の扉が開く音がして、私は立ち上がった。まさか、という思いを抱えながら向かうと立花がいる。


「た、ちばな? なんで?」


 来ないと思っていた。一方的なお願いを叶えてもらえるなんて思ってもみなかったのだ。


 メールを送らなければよかった。くだらない我儘を書かなければよかった。そんなことを考えていた私は、何度か瞬きを繰り返した。


「理沙からのお願いなら叶えたいから。まあ、前触れもなくメールを送ってきたから驚いたけど」


 そう告げる立花を私は呆然と見つめる。約束しても破るのに、我儘を叶えようと動いてくれるなんて……。よくわからない人だ。


「叩かれたの? 立花が叩かれるなんて珍しい」


 近付いた彼の左頬が少し赤色になっていた。思いっきり叩かれたことのある私にはわかる。女性の平手打ちはけっこう痛い。綺麗に爪を整えて、伸ばしている人の手は凶器だ。


「……ちょっとね。もう別れるけど」


「そっか」


 私の約束を破り、彼女さんを優先していた立花。


 諦めていたはずなのに、どこかで諦めきれていなかったのだろうか。自分で思っているよりも、立花がここにいてくれることが嬉しかった。


「ほら、理沙。出かけよう」


 手を差し出す立花に頷いて、私は出かける準備を素早く終わらせた。





 メールでお願いしたことは、久しぶりに外食したいということ。なんとなく、立花と食事に出かけたくなったのだ。


 どこに行くのか決めていなかった私の手を繋ぎ、立花は「きっと気に入る」と告げて大通りから少しそれた道を進んでいく。


 到着したのは、小さなレストラン。暖色系のお店は、暖かみのある雰囲気に包まれている。


 木製の机や椅子に座ってメニュー表を開いた。手作りのピザを窯で焼き上げるらしく、おすすめとして載っている。


 なにを注文するのか決めるのが苦手な私は、つい値段を確認しながら、メニューをぱらぱら何度も見返した。どれも美味しそうだから、迷ってしまう。


「立花はもう決めた?」


 メニュー表から顔を上げれば、立花とばっちり目が合った。


「まあね」


 もう何を注文するか決めた彼は、楽しそうに私を見つめている。急かすことなく、笑顔を浮かべる彼はメニュー表をとんっと叩いた。


「俺が決めようか?」


「私が好きなもの、嫌いなもの教えたっけ?」


「理沙のことなら、わかるからね。心配しなくても嫌いなものは頼まないよ」


「それならお願い。ちょっと化粧室に行ってくるね」


 待たせたらいけないと外出時に手早く行った化粧を手直しする。丁寧に気をつけながら、時間をかけずにポーチから取り出した化粧で整えていく。


 別に手直しをしないといけないほど変ではないが、やっぱり彼といるとできるだけ綺麗に化粧をしておきたいという気持ちがある。


「もう頼んでくれたの? ありがとう」


 席に戻ってみれば、あとは料理を待つだけになっていた。私が席を離れている間にメニューは決まったのだろう。メニュー表はすでに下げられ、グラスに冷たい水が注がれている。彼がなんのメニューを頼んだのかは、届くまでわからない。


「そういえば、どうして急にお出かけのお誘いをしてくれたのか教えてもらえるかな?」


 理由なんて書かずに「立花と外食したい」と簡潔に書いたメールを思い出した。


「迷惑だった?」


 我儘を口にするのは相手を束縛することだ。考え過ぎだと親友は言ってくれたが、どうしても考え過ぎているとは思えなかった。


 立花と付き合う前、恋人を束縛するように我儘を口にしていた同級生がいた。自分のことを一番に優先して欲しくて、相手が離れていくのをいやがった彼女は、今はどうしているのだろう。


「珍しいなと思っただけだよ。理沙の我儘なら別にいやじゃない」


 嬉しい、そう伝える立花を見つめる。なんて返事を返すべきか、迷っていたら料理が届いた。


 立花には白身魚の香草焼き、私にはカルボナーラが運ばれた。食後のデザートは、私の好きなガトーショコラだ。彼女さんたちとうまく付き合って、流しているだけのことはある。彼の選んだ料理は、私が好きなものばかりで文句のつけようがない。


「本当に知っていたんだ……」


「もしかして、疑っていた? ひどいな、理沙には嘘をついてないのに」


 寂しそうな声に私は首を傾げた。嘘をついているか、いないか。そういうことを疑っていたわけじゃない。


 立花が私の前では、気を抜いていることは知っている。浮気についても無駄な言い訳をしていない彼ならば、変な隠し事は多分されていないだろう。


 浮気をしている人は少なからず、嘘をつく。本当のことを伝えることなく、言い訳ばかり重ねて逃げるのだ。


「立花のこと、信じているよ」


 立花は聞いたら答えてくれる。馬鹿みたいに素直に、隠したりしないその姿はいっそ清々しい。


 隠したり、言い訳をしたり、嘘ばかりつくなら、私は立花と恋人関係を流されるままにしていない。どこかでいやになって、自分から進んで切り捨てているだろう。


「信じているのなら、俺の言葉を疑わない?」


「何かあったの?」


 そっと軽く瞳を伏せた立花は、寂しそうに笑う。その姿に、ずきりと胸が痛くなる。寂しそうな顔は見たくないと思っていた。過去に見た様子と似ているから、動揺してしまう。


 どうして……たくさんの人に愛を囁き、愛されているのに、満たされていないの? 寂しいの? 悲しいの?


 束縛なんてされずに自由で、気まぐれな困った人。どうしようもない私の恋人――そう考えてきた人物像は何か間違っているのだろうか。


「…………っ」


 問いかけようとして口を開いたのに、私は何を言えばいいのかわからない。結局、言葉にならないまま唇を噛みしめた。


 何かが変わることに臆病で、傷つかないために知らないふりをしてしまう。そんな自分が私は嫌いだ。自身のことを可愛くないと何度思っただろう。


 恋人なのに、私は何もしてあげられない。相手は彼氏なのに、寂しそうな表情をすぐに消してあげられない。


 我儘なんて言わなければ、こんなことを考える時間はなかった。立花に寂しそうな表情を浮かばせることもなかった。八つ当たりのように、立花が彼女さんのところに行けばよかったと思ってしまう。


 なのに、二人きりで外食している今の時間が楽しい。出かけたことを後悔するのに、嬉しい気持ちがあるなんて変だ。


 ぐちゃぐちゃな気持ちになるのは、どうしてなんだろう。こんなに困惑するなんて、立花と付き合い始めたばかりの時みたいだ。うまく立ち回ることができなくて、慣れない恋人関係に困っていた。


 まゆみとの出来事が意外と私の心を揺らしたのだろう。彼女が誰かに似ているのだろうか。もしかしたら、精神的にきつかったのかもしれない。


 驚いて、困って、呆れて、疲れた。自覚はないけれど、時間を置いたからこそ今さらのように、まゆみとのやり取りが私の中に波紋を呼ぶ。


「理沙はどうして俺に我儘を言わないのかな?」


「わ、たし……」


 言葉が震える。

 頭が痛くなる。


 いつもみたいに軽く流せない。どうしよう、という言葉がたくさん浮かんで混乱する。なんて答えるのが正解なんだろうか。見つからない答えに焦って、息が詰まる。


 相手に甘えるような我儘なんて、思いつかない。同僚に聞いたことはあるけれど、自分の中にはその要素が欠落している。我儘を言わなくても、大丈夫な関係は問題あるのだろうか。相手に願う要望は、見当たらなかった。

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