十四
「お菓子だけ昼食はきちんとやめた?」
「先輩が怖いですから、お菓子を食べる気しかなくても、おにぎりくらいは食べていますよ」
コンビニのケーキとヨーグルト、それからゼリーという昼食に、怒って注意した日を思い出す。「今日はご飯を食べられる気がしなかったんです」そう言っていた宮部くんの昼食は身体に悪いものだった。
それが少しでも改善されていてよかった。なぜかあの時は甘いものを好きだと認めず、塩味やごま味のスナック菓子を宮部くんはよく食べていた。どちらにせよ、お菓子好きである。
甘いものが好き、と開き直って認めている彼は、購入した甘いお菓子を手渡すと素直に受け取り、新商品なら味の感想を言ってくれるようになった。
仲良くなればなるほど、余計なお世話を焼いてしまう。可愛い後輩である宮部くんの体調が気になってしまうのは、研修期間の食生活の酷さが原因だ。
「なら、よかった。食事はきちんとしたものを食べないと体調崩しちゃうから。生活習慣病にならないようにね」
「気をつけます。先輩がいたら、大丈夫なんですけど」
「教育係の時にも言ったけれど、宮部くんは自分でも本当はなんとかなるでしょ? 気をつけることって難しい? お菓子だけの不健康は止められたんでしょう?」
「ご飯よりお菓子の方が好きなことは変わっていません。あまりにも格好つかないから、気をつけるようにはなりました」
「そう。お弁当は残したことないのに、宮部くんは不健康まっしぐらなこと言うわね」
ぐっ、と言葉に詰まった宮部くんは「ご飯が嫌いっていうわけじゃないですよ」ともごもご反論する。
「不健康な宮部くんにお弁当の差し入れくらい簡単なんだけど……もっと先輩を頼ってもいいよ? 大きなお願いをどーんとしても怒らないから」
他にお願いはないのだろうか?
プロでもなければ、手が込んでいるわけでもないお弁当を気に入ってもらえていたのなら嬉しい。でも、お礼としては足りない気がした。
「これはお願いじゃなくて、聞いてもらえたらそれで十分です。先輩の一日をください」
真剣な表情で宮部くんは、“先輩の一日”という言葉を大切そうに口にする。
「お願いとして聞いてもらうのはずるいと思うので、断ってもいいですよ」
予想外の言葉に返事をすぐには返せない。恋人である立花以外の男性と一緒に出かけたことなどなかった。彼氏がいるのに、彼氏以外と出かけていいものだろうか。
相手が友人なら迷わず頷ける。でも、宮部くんは友人じゃないから、迷ってしまう。一応、一言くらい立花に伝えた方がいいかもしれない。
そこまで考えて私は首を軽く振った。
別に立花と同じことをするわけじゃない。浮気でもなければ、やましい気持ちなんてないのだ。わざわざ立花に断りをいれる必要なんてない。
「一日ね、来週の土曜でよければ……」
予定がないことを記憶している範囲で確認する。後で忘れないようにスケジュール帳に記入しよう。ついでに今日、クリーニングに出せば一緒に出かける日に彼の上着を返せるからちょうどいい。
「本当ですか!」
宮部くんが瞳を輝かせる。嬉しそうな表情の彼を見ていると、なぜか尻尾をぱたぱた振る大型犬のイメージが浮かんだ。
昨日、まゆみに頼んでいた資料はきちんとできていた。そういう面で何か仕掛けてこないことにほっとする。
ただ、物がなくなるという問題が起きていた。お気に入りの筆記用具を置いているわけではないけれど、迷惑なことに変わりはない。
「佐川さん、大丈夫?」
「今度のターゲットって佐川さんなのね。片思いの相手ならまだしも、彼氏を狙われるって大変じゃない?」
職場の同僚が心配そうに声をかけてきた。同じ部署であるため、まゆみの行動はすぐに気付くのだろう。
「自分と友人? というか、多少は仲良くしてくれていた佐川さんにも容赦ないというか。下園さんのアレは迷惑よねぇ」
「佐川さんには助けられた人が多いんだもの。できることは任せてね」
心強い彼女たちの言葉に私は「ありがとう」と礼を告げる。
まゆみとこんな形になることを予測していたわけじゃないけれど、困っている時には私ができることをしていた。それが今度は自分を助けてくれる。
自分と関わりがなければ基本的に放置するけれど、直接目にした時は止めた。彼女が物を隠していたら、それを見つけて手渡したこともある。
注意も忠告も無視されてしまうから、まゆみに言葉で訴えるのは役に立たない。誰が口にしても意味がない。完璧には止めることのできない迷惑な女性なのだ。
「まあ、下園さんがセッティングする合コンはかなりランク上だし、彼女が幹事の飲み会はいいけどね」
「なんであんなにいい感じの見つけるのがうまいのかしら? まあ、下園さんは狙っている人物を紹介してないだろうけれど、ステータス高いのよね」
まゆみは飲み会のセッティングがうまい。そのため、苦手と思いながら彼女が幹事をしている飲み会を好きな人物は多いのだ。
「美味しい場所をよく知っているし、ちょうどいい値段なのよねー」
いいお店を知ることができるのは女性として嬉しいし、他人におすすめできる。いくら雑誌でお店が紹介されようと、そこが美味しいかわからない。雑誌に載らない隠れたお店もあるのだ。そういう情報をまゆみはたくさん持っている。
「ま、獲物に選ばれなければ平和よね。彼氏とか絶対教えたくないわ」
まゆみの情報は役に立つ。だから、彼女を利用するために適度な距離を持つ人が多い。仲が悪ければ誘われなくなってしまうため、ほどほどに対応するのだ。
女性は強か(したたか)というか、怖いと感じる面である。
まゆみの被害を受けないために、彼女が惹かれるような彼氏がいる人は隠し、関わらない形をとっている。彼氏を獲物として狙われなければ、被害はないのだ。
「そういえば佐川さんは彼氏、バレちゃったから狙われているの?」
「あ、それは気になる! 下園さんが敵意を持っているから、いい男だと思うけど」
「でも、佐川さんの彼氏は不細工って聞いたことあるけど」
「やだ、彼氏が不細工だなんて嘘かもしれないじゃない。もしくは美形の友人とか?」
同僚たちが手助けをしてくれる、それをわざわざ告げにきたのは狙われている獲物が気になるからだ。好奇心いっぱいの瞳が私に向けられる。
「ええと……」
立花とまゆみは似ているところがある。浮気をする立花、何股もするまゆみ。
似てはいるが、立花の場合は相手にする人物を手に入れるために周りに危害を加えたりしない。彼氏がいる人物に手を出さない。
遥かにまゆみよりましだが、見た目は美形だけど、浮気者ですと――素直に答えていいのだろうか。
「とりあえず、黙秘で」
極上といえる見た目の立花を知って、絶対に惹かれないと約束してもらえるか微妙だ。それから、まゆみに少しでも立花の情報が渡る可能性はなくしておきたい。
「下園さんには言わないから!」
「隠されると気になるんだけど、ヒントちょうだい」
人の口に戸は立てられない。噂は恐ろしいほどいつの間にか広がってしまうものだ。内緒にしておこう。他の人だって、自分の彼氏については黙秘しているのだから、文句を言われてもなんとかなるだろう。




