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紫陽花ノ恋  作者: マヤノ
14/20

十三

 食堂から離れ、休憩室に移動した私は宮部くんの上着についたお味噌汁を洗い流した。残り、二口分くらいだったからましだけど、汚れてしまった上着はもう使えないだろう。


「なんで先輩は、下園さんと一緒にご飯食べていたんですか」


 宮部くんが溜息を吐く。


「あの人、いい噂ないですよ。知らなくて騙される人もいるみたいですけど、先輩は知っているでしょ」


「うーん、成り行きかな。さっき縁は切れたけれど、友人みたいなものだったし。恋愛では困った相手だよ。でも、面白い話を聞けたり、美味しい場所に行けたり、悪くはなかったかな」


「いつか悪い相手に騙されますよ。いくらいいところがあっても、マイナスばかりじゃ意味ないです」


「そう? ちょっとした経験だよ。自分じゃ絶対しないからね。……他から見たらどうしようもない相手と付き合うのは、彼で慣れたし」


 ぽつりと最後に付け足して、宮部くんの上着をハンカチで軽く叩いていく。味噌汁を落とすために濡れた部分を絞りはしたけれど、あまりきつく絞っては生地をだめにしてしまう。


 できるだけハンカチで乾かした後に、ビニール袋に入れた。これは、責任を持って私が持って帰ろう。綺麗にしてから返さないと申し訳ない。


 ビニール袋は宮部くんの昼食が入っていたものを使わせてもらった。あいかわらず、コンビニお弁当やパンばかりの宮部くんの食事は不健康だ。


「そういえば、宮部くんはまたコンビニばかりなの? 不健康だよ」


 教育係をしていた間、たまにお弁当をあげていた時のことを思い出す。ストレス解消でおかずを作りすぎた時には、ついでに宮部くんの分を作っていた。


 おかずのお裾分けを簡単にできる距離に友人がいないのが残念だ。そしたら、宮部くんにはあげていなかっただろう。よく教育係にしてはお節介かなと悩みまくっていたし。


 もちろん、宮部くんは会社に来る途中にコンビニに寄ると聞いていたから、お弁当を作りすぎた日にはメールを送っていた。お腹に入らなかったら大問題だもの。


「……はあ、俺の昼食について今は置いて、きちんと人の質問に答えてください」


 お弁当の購入を忘れ、お腹が空いたと潰れてやる気がなくなっていたことのある宮部くんである。気にしない方が無理だ。後で宮部くんの昼食については質問しよう。


「なんでって、偶然だよ。成り行きって言ったでしょ。一緒に食べる約束していなかったし」


「先輩って無防備というか、間抜けとまではいきませんけど不注意ですよ」


「まゆみのことなら、あんな展開になるとは思ってなかったから仕方ないでしょ。そういえば、なんで宮部くんはタイミングよく来たの? 最近、微妙に私のことを避けていたのに」


「それは、その、わざと見せつけるみたいな形で目撃したものがショックで」


「え、まさか……忘れて、今すぐに!」


 あの雨の日、走り去った人影は宮部くんだったとわかってどうにも気まずい。視界は雨でだいぶ遮られていただろうけど、すごく恥ずかしい。顔に熱がじわじわと集まっていく。


 だから、外でキスなんてしたくないのだ。いつもはあまり外でしない立花の気まぐれな口付けを思い出し、心の中で文句を言いまくった。


「――まあ、先輩のことを諦めたわけじゃないですけど」


 まだ好き、と直接言われてはいないのに、宮部くんの想いが伝わってくる。自惚れではなく、私は彼に好かれているんだろう。


 ぽつりと呟いた宮部くんを見上げ、私は不思議に思う。可愛げがない私を好きになってくれる理由がわらからない。


「タイミングがよかったのは、下園さんが最近なんだか新しい獲物を見つけたって噂があったからです」


「そんな噂あったの?」


「ありましたよ、もう少し噂には気を配るべきです。それで、なんていうか下園さんの目線、先輩の方にいくんですよ。だから心配になって、気にしていたんです」


 全然気付かなかった。それにしても、宮部くんは私と会話する回数が減っていたけれど、気にしてくれていたんだ。


 なんていうか、嬉しい。家族以外の人に心配してもらえるのは、幸せなことだと思う。立花にはない気配りだと思う。


 まあ、立花の場合はわかりにくい気遣いをしてくるから、後になって気付くことが多い。遠回しなものには慣れている分、まっすぐな気配りにはどう反応を返すべきかちょっと迷う。


「ありがとう」


「いえ、俺が好きでしていることなので。ああ、でも……できたらもっと格好良く助けたかったですね」


 残念そうに息を吐いた宮部くんは、上着の入ったビニール袋を見つめた。


 まゆみは嫌がらせとして、相手に水をかけたことがあるそうだ。それは知らなかった。私もできたらお味噌汁より水がよかったな。そういえば、水を飲み終わっていたから、お味噌汁を替わりにかけてきたのだろうか。


 とにかく、彼女は何か問題行動を起こすだろうと考え、宮部くんは警戒していたらしい。確かにまゆみは次の獲物を決めたら――その獲物が恋人持ちならば、迷惑な行動に出ることが多々ある。


「タイミング計っていたの?」


 助けてもらったから、文句を言える立場じゃないが、少しじと目になってしまう。


「計っていたというか、いやな予感がして上着をとっさに投げたんですよ。思い返したら、なんだか格好良くないなあって」


 恥ずかしそうに頭を掻く彼の姿は可愛らしい。格好良さを目指している宮部くんに「可愛いね」と言ったら、不機嫌な表情を浮かべるかもしれない。


「場合によってはすごくダサいですよね。タイミングが合わなかったら、なにしているんだろう、この人みたいな空気が流れるだろうから。それに、先輩にお味噌汁がかかるのを防げないですし」


「すごいタイミングね」


「投げることを躊躇ったり、どうするべきか考えたりしたら間に合わなかったと思います。奇跡ですね。本当は、こう腕を引いて後ろに(かば)うとか、抱きしめて救うみたいな……そういう格好良い形で現れたかったんですけど」


「なにそれ」


 手を動かしながら、もっと格好良い助け方があったんだと説明する姿が面白かった。つい、くすくすと笑ってしまう。


「ドラマに憧れているの?」


「憧れませんか? 俺は親の影響もありますが好きですよ」


「私も好きだけど、憧れはないかな。ありえないなって思いながら、あったらいいね、くらいの気持ち」


 自分にドラマみたいな出来事が起こることを夢見ていない。年を重ねるごとに、自分の身に起きて欲しいなんて思いは消えてしまった。


 いつの間にかドラマを見て、こんなことが実際に自分に起きたら――なんて想像を膨らませることがなくなったのだ。


「上着、クリーニングに出してから返すから。他にお礼として私ができそうなことならするよ」


「なら、図々しいお願いで悪いんですが、お弁当ください。明日だけでもいいので」


「お弁当? いいけど、明日だけで大丈夫?」


「大丈夫です。むしろ、今の関係でずっと作ってもらうわけにはいかないので」


「今日のご飯は?」


「え?」


「昼食は?」


「最近はパスタに飽きたので、カップラーメンです。後はチョコを少し」


 再度、私が問いかければ宮部くんは答えてくれた。きっと、野菜が少ない昼食をよく食べているのだろう。前と同じように、昼食にお菓子を食べて終わりという不健康な状況じゃないことにほっとする。

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