ルーレット
「何だろう、こいつらは?」
春日と熊野の目は、先程から小さな玉に群がる生物に釘付けになっていた。
壁が見えないくらいに大きく真っ暗な部屋の真ん中に、数百人が遊べる程の巨大なルーレットテーブルが置かれている。
気心のしれた仲間だけで時々集まっては、この巨大ルーレットを使って賭けの真似事をして遊んでいるのだ。
108人の仲間が揃ったところで、ルーレットテーブルの真上にある電球が明るく輝き、ゲームの開始を知らせた。
皆が見守る中、ゆっくりと回転を始めたホイールに向かって、ディーラーがバレーボールくらいの玉を投げ込んだ。
玉はゆっくり回転しながらホイールの淵を周り始め、周りの仲間達から大きな歓声と拍手が沸き起こった。
これだけ大きなルーレットテーブルともなると、玉が停止するまでには相当な時間が掛かる上、賭けの対象となる数字も0から9999まである。
見守る仲間達は、テーブルの周りを歩きながら思い思いの数字にチップを賭けていく。
しばらくすると玉の動きは落ち着き、勢いのよかった回転も比較的ゆっくりになる。
と、目の前に来たボールを見て、熊野が驚いた様に言った。
「何かいるぞ」
「ホントだ」
熊野の隣にいた春日が応え、二人の目はボールに群がる生き物に釘付けになったという訳だ。
何百‥いや、何千という数の小さな生物達は、先が数本に分かれた左右一対の触手を持ち、バレーボールくらいの玉の上を数百匹単位の群れを形成しながら器用に動き回っていた。
他の仲間達がテーブルを離れて歓談する中、二人はホイールの上のボールの観察に夢中になっていた。
「なあ熊野、こいつら水が苦手らしいぜ」
ひとしきり玉を眺めていた春日は、生物達が玉の濡れた部分に近寄らない事に気付いた。
「へえ、ホントだ」
それを見た熊野も、不思議そうに言う。
表面に大小の凸凹があるところを見ると、この玉はかなりの年代物らしい。
前回のゲームの後で玉を洗った時に乾燥が甘かったのか、へこんだ部分には水が染み込んでいる。
生物達は水が染みたへこみを避けるように動き回っていた。
「なあ‥水、かけてみようぜ」
春日は他の仲間達に気付かれない位置で、手に持ったグラスの水を勢いよく玉にかけた。
どのくらい時間が経っただろう?
何事も無かった様に、ゆっくりと回転しながらホイールの淵を回っている玉の表面から、小さな生物達の姿は消えていた。
「な、綺麗になったろ?」
春日がおどけた様に言う。
「まあな、でも何だったのかな?」
熊野が答えた。
「何でもいいや、飯食おうぜ」
春日と熊野はルーレットテーブルを離れ、仲間の歓談に加わった。
しばらくすると、ホイールの淵を回る玉の表面に例の生物が二匹現れた。
どうやら、玉の凹みに隠れて難を逃れたらしい。
やがて二匹は、繰り返しくっついたり離れたりし始め、あっという間に生物達の数は何千匹にも膨れ上がった。
「うわッ、何だよこいつら」
ルーレットテーブルに戻った熊野が、元通りになった生物達を見て叫んだ。
「さっきより増えてら」
熊野の声につられて来た春日が玉を見ると、生物達は水をかける前の倍くらいに増えていた。
「気持ち悪りぃなあ」
玉に触るとルール違反で失格になる‥春日はホイールを回る玉の近くを叩いた。
その振動で生物達はバラバラとボールから落ち、また表面から姿を消した。
「ダメだぜ春日‥ほら」
しばらく玉を見ていた熊野が、春日の肘をつついて言った。
玉の表面には、いつの間にか二匹の生物が現れている。
「うわぁ、しぶといなあ」
春日は、いかにも気味が悪いという風に呟いた。
「こいつら何で?どこから湧いて‥」
「しッ!」
何か言いかけた熊野の言葉を春日が遮った。
玉の表面の二匹の生物がぴったりとくっつき、玉がホイールを一周した頃三匹に増える。
また二匹がくっつきホイールを一周して四匹に、次の一周で五匹、次は六匹‥玉が一周する度に一匹ずつ数が増えていく。
「おいおい‥何だよ」
春日が小さく言う。
「細胞分裂早過ぎないか?」
気味悪さを打ち消そうと熊野が冗談めかす。
生物が三匹に増えた後、玉がホイールを二十周した。
と、一気に生物の増える数が増加したかと思う間もなく、瞬く間に数千匹に膨れ上がった。
「気持ち悪りぃ‥増えたり減ったりし始めたぜ」
熊野が指差した。
生物達の群れ同士が近付くと、どちらかが消えて残った群れの数が増えている。
これを何度も繰り返すうちに、やがて大きな群れが二つ出来上がり、近くの小さな群れの多くは互いに近付く行為を止めた。
「気味悪りぃ‥もう放っとこうぜ」
春日と熊野は生物の観察を止め、また仲間の歓談の中に戻っていった。
ホイールの回転が鈍くなり、玉の動きが一段と遅くなった頃、ディーラーがルーレットテーブルに戻って告げた。
「さあ皆さん、いよいよですよ」
その声に、皆がルーレットテーブルの周りに集まって来た。
「お、そろそろ止まるぞ」
「うわ、2000過ぎたか‥外れだあ」
仲間達が騒ぎ立てる中、2012のポケットを過ぎた辺りで玉の動きが不規則になり始めた。
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各国のテレビでは、今まさに自転が止まらんとする我等が地球の様子を、アナウンサー達が悲壮な面持ちで告げている。
アジアの片隅の小さな国では、神社や寺に集まった人々が口々に祈りを上げていた。
「春日大社に神はいないのか!?」
「助けてくれ、熊野権現様あ!!」