1 迂闊2
(有情がなくなる少し前のことである)
梅雨時の蒸し暑い午後、N市民病院から出てきた有情はいきなりボイスレコーダーを持った女とカメラを下げた男に呼び止められた。
「ここの病院の先生ですか?」
「いいえ、違いますよ」
有情はにこやかに即答した。
「有情、有情正成先生ですよね?」
「いいえ、違います。人違いをされていませんか?」
「手にお持ちの名札にそう書いてありますが」
「それが何か?」
「なぜ違うとおっしゃるのですか?」
「見ず知らずの人に誰何されて事実を答える必要性が希薄だからです」
にこやかな表情を変えることもなくそう言い放った。
「失礼しました。こういうものです」
そう言って女は素直に名刺を差し出した。名刺には週刊エアロという新聞社系の雑誌の名前と蓮水莉子という名前が印刷してあった。
「先生は移植医療に関してどのようにお考えですか?」
「それは皮膚移植のことですか?」
「いえ、そうではなくたとえば腎移植などの臓器移植のことです」
「私は皮膚科医としてここにきています。臓器移植に関しては、まぁ言えば、門外漢です。答えるにしてもネット検索で出てくるようなことしかお答えできませんよ」
「それでも結構ですから何か一言いただけませんか?」
蓮水がしつこく食い下がってくるので仕方なく有情は、自分が知っているのは死体腎移植や脳死者からの心や腎移植がずいぶん前にできるようになったことや、最近では免疫抑制剤のいいのができて昔よりも生着率が高くなったことなど、当たり障りのないことを答えた。
「臓器売買に関してはどう思われますか?」
蓮水はさらに突っ込んだ質問をしてきた。
「それについては全くわかりません。そういったことがあるというのは漫画で見たり、噂で聞いたりしたことはありますが、実際に行われているかどうかまでは知りません」
ここまで聞いてこられると有情もこの蓮水という女が何かの情報を掴んでいるとしか思えなかった。そうなると情報源の特定、蓮水がなぜその情報源に近づけたか、そして何の目的でこのようなグレーゾーンではあるもののニッチな取材をしているのかを知る必要があった。また、この取材が有情だけをターゲットにしたものか、あるいは単に市井の病院の医師全体を相手にしたものかを見極めなければならなかった。ただ、遍く医師をターゲットにしているのなら就業時間近くにした方が効率的に思えた。いずれにせよ有情はこの場を早く離れたくて仕方なかった。
そのとき同行のカメラマンが有情にカメラを向けようとした。有情は咄嗟に顔を背け横顔を両手で覆った。背けた顔の先に研修医の加賀と昼食を終えたのであろうと思われる三木奈央の姿が目に入った。有情はその女性看護師に向かって公には極めて不適切な発言を投げかけた。
「おい、奈央。この蓮水さんいう雑誌の記者さんが移植医療について聞きたいらしいわ。お前、オペ室の看護婦やったら俺よりも詳しやろから、聞かれたこと説明したってくれや。それと加賀先生も大学出てまだ間ないはずやから、俺より現状知ってるやろ。協力したってや」
「なんやの、先生。いきなり。せやけど先生が「お前」なんて言うの珍しな。奈央もそないな存在にしたいいうことか?れなさんに恨まれるんは嫌やで。それとも何か、れなさんには黙って話進めよいうんか?確か、一施設ひとりの大原則て先生から聞いたことあるで。れなさんは異業種の人やし、先生とやったら奈央は大歓迎やで」
「こら、ボイスレコーダー回っとんねんから、いらんことベラベラ喋るな。加賀先生も困っとるやないか」
蓮水が口を挟んだ。
「先ほどカメラマンが失礼なことをした時にボイスレコーダーは止めていますのでご心配ありませんよ。それより仲がよろしいようですが、お二人はどういったご関係なのですか?」
「私たちの関係はオペ看とたまに手術をする皮膚科医でそれ以上でも以下でもありません」
有情が答えた。
「先生、大事なこと忘れてるで」
「なんや?」
「ほらあれ」
三木は駐車場の隅に並んで停まっている小さな車を指して言った。
「私たちはミニの愛好家でもあります」
「あぁ、それで」
蓮水はその件に関しては意外と素直に引き下がった。
有情はしばらく他の四人の様子を見ていたが、三木も加賀も有情と同じような答えをしていたのでその場を辞去した。病院の駐車場を出て近所の有料駐車場に車を停め、先ほどインタビューを受けたあたりに戻ってきた。蓮水とカメラマンの二人は乗ってきた車の中におり、それ以上取材を続ける様子はなかった。夕方、買い物のついでに、念の為、もう一度病院に戻ってみたが、その時にはすでに二人の乗ってきた車は駐車場になかった。ますます取材は有情を対象にしたものの可能性が高まり、有情はその日の夜、主税に連絡を入れておいた。
主税も記者たちの様子を訝しみ
「簡単に調査しとく」
といった。
二日後、主税から蓮水莉子についての報告書を送ったというラインがあった。どうせ冗長な文章で書かれているのであろうと思い、有情は主税に直接電話した。
「おう、主税か。どうせ長い文送ってきてるんやろ。で、結果から言うてどないやねん?」
「限りなく黒に近いグレーやな。誰から漏れたかはまだ調査中や。せやけど今後会うときは十分注意してくれ。この件に関しては考えがあるから、一旦こっちに引き取らせてくれ」
「えらいたいそうやな。概要を教えてくれ」
「蓮水莉子はもともと親会社の毎朝新聞の社会部におった記者や。何年か前にしつこすぎる取材と事実関係の曖昧な記事を載せて、議員さんの家族から苦情が来て、エアロに飛ばされたんや。もともとは報道部志望やったらしい。議員さんいうても市会議員やねんけど、家族にも執拗に食い下がって娘さんが自殺騒ぎを起こして、事態を重うみた毎朝新聞がエアロに行かせたらしい。今でも毎朝の報道部に行きたがってるらしゅうてスクープを狙うとるようや。お父さん、なんかちょっとでも相手が気にしそうなこと言うたか?」
「いや、常識的なことしか言うてない。奈央が俺に対して人前で若干馴れ馴れしかったぐらいで、奈央も常識的なことしか言うてなかった」
「奈央が何言うたんや?」
「それは取材で聞かれたことと全く関係ない話で、私生活に関することや」
「まぁ、それは今の蓮水莉子にとってあんまり興味のない話やからええやろ。今後はそないなことも慎んでくれ。それと蓮水莉子を取材旅行に連れ出すから来月一日だけ外来休んでくれ」
「わかった。取材旅行て、どこ行くんや?」
「どこでもええんやけど、F国にしよ思うてる」
「なんでそんなとこに行くんや。F国で仕事なんかしたことないやないか」
「実際の仕事場まで見せる必要ないやろ。ファミリーが会うて、話聞かす時間と場所があればそれでええ。もともと全部話すつもりはない。こっちが聞き出すのがメインや」
「今は冬であんまり楽しめんぞ」
「今回はファミリートリップやない。そこそこ楽しめて成果が得られればそれでええ」
「れなも連れてってええか?」
「お父さんがどうしても言うんやったらかまんけど、れなさん来るいうたらすみれちゃんが来るやろ。中学生には刺激が強いんやないか?」
「何するつもりや?」
「端的に言えばその記者を籠絡する。今回は兄貴にきてもらう」
「利太に?あいつにそんな機微ないやろ?」
「兄貴は謀の上手な人間やない。これは記者さんの個人的な趣味の問題や」
「なんやねんそれ?」
「報告書の最後のところだけでええから目ぇ通しといてくれ」
「わかった。日程が決まったら早めに連絡してくれよ。俺にも都合があるからな」
「多分、二、三日うちに連絡できると思う」
「おう、待ってるわ。その時には計画の全体がある程度わかるようにしといてくれよ」
お互いほなまたなどといって電話を切った。
一応、報告書に目を通そうとパソコンの前に座り、主税からのメールの添付ファイルを確認するといつものように生育歴や学歴、職歴などが記載されており、最後のところに趣味としてジム通い、ハイキング、ジョギング、無類のマッチョ好き、と記されていた。




