16 付喪神のサステイナビリティ(つくもがみのさすていなびりてぃ)
月曜日の千里中央は通勤帰りのサラリーマンたちで混雑していた。混雑の割に週初めともあってか、居酒屋などはさほど忙しそうではなかった。三木は初めお酒も飲めるカフェのようなところに連れて行こうとしたが、蓮水はできれば個室のある居酒屋がいいと言った。
「なんやの、おっさんやないねんから個室の居酒屋て」
蓮水は三木の反応が予測不能なために個室に固執した。三木が折れて小綺麗な個室付きの居酒屋に入った。二人は生ビールを注文し、蓮水はもうお酒を飲んでも大丈夫なのかと三木に確認し、三木が同意するとそれを一気に飲み干した。
「莉子ちゃん、ごめんな。こないだ電話で言うた通りやねん。元々はほんまに腎移植する予定やってんけど、流石にそれは出来んいうことになって。だってせやろ若い将来のある女の子にそんなこと出来んやん」
「今日はその件に関してはええわ。落ち着いて私の話聞いてくれる」
「なんや、改まって」
「あんな、有情先生が旅先のC国で亡くなったんよ」
「はっ、そんなわけない。C国に釣りに行くんは、毎年ではないけど、先生はいつも一人で行ってしばらく滞在して帰ってくる。今年は私が空港まで送って行ったんや。そんときも帰ってきたら射撃旅行に行こて言うてた」
「奈央ちゃん、私が奈央ちゃんにそんな嘘つくと思う?事情はどうあれ、もう私はファミリーのメンバーなんよ」
蓮水の目は真剣だった。
「C国のコテージは香澄さんの持ち物で安全やて聞いてるで。そこで誰かに殺されたんか?」
「そんなことはあらへん。病気で亡くなったん、心筋梗塞」
「病気か、そらどうしようもないなぁ。元々血圧が高かったんや、あの人。だいぶ前から血圧の薬飲んでたんは知ってる。私と初めて会うた頃からや。せやけどなんで莉子ちゃんの方が先に知ってるんや」
「一昨々日、奈央ちゃんに電話した日な、利太さんと主税さんがうちに来たんや。奈央ちゃんが有情先生のこと好きやいうのようわかってるから却って伝えにくい言うて」
「利太さんはあんまりよう知らんけど、主税さんはよう知ってる。そんな気遣いできるんやな」
「なんで奈央ちゃんは有情先生が好きになったん?多分、お父さんよりも年上やろ」
「うん、まぁせやな。父より十一歳上や。なんで言われても、そらわからんよ。莉子ちゃんかて利太さんと仲ようしてるけど、今はもうなんで好きか言われても答えられんやろな」
「私は利太さんの体形が好きやて言えるで」
「そらまぁ、そうかもしれん。せやけど利太さんの体型が今後、多少崩れたとしてもそれだけで嫌いになったりはせんはずや」
「まぁ、せやろな」
「たった数か月でもそうやねんで、先生と十年以上関わってる私が急にどこが好きかて聞かれても答えれるわけないがな」
「せやかて、なんか惹かれるもんはあったはずや」
「どうしても答えさせたいんか。前にも似たようなこと話したはずやで。莉子ちゃんにわかってもらえるかどうか微妙なんがな、私はずっと手術部におる。いろんな医者に手術中に手術機械を手渡すんや。その時に一瞬、機械を通してやけど、相手の手の感触が伝わってくる。それがなんや心に響くんや。私が半ば無理やり怪我した患者の縫合をお願いして、初めて先生に機械を渡した時からそうやねん。それからすぐにファミリーに誘われた。私は莉子ちゃんや佳奈子さんやれなさんと違て実働部隊や。せやから、先生と一緒に手術せないかん。それは自分自身が物騒な国に行かないかんいうことや。主税さんが研修を担当してくれてんけど、そらひどいもんやったで」
「何をさせられたん?」
「私がさせられたことはひどうはあったけど、まぁ、出来んでもないことや。その間に主税さんがしたことがあまりにもえげつないいうか、気色悪うてな」
「せやから何したんよ?」
「いや、食事の席で話すようなことやないし、今日は本来私が慰めてもらわなあかん日やしな。ただ、これだけは覚えときや、あの親子三人のうちまともなんは利太さんだけや。あとの二人は天才やけど、ど変態や。まぁ、その変態も一人になってもたけどな」
そこまで言うと三木は一瞬遠い目をしたが、すぐに真顔に戻り蓮見に伝えた。
「莉子ちゃん、ビール無くなってもたわ。頼んでくれる。それとなんか食べへん?私、仕事帰りやからちょっとお腹空いてきたわ」
「あ、うん。わかった」
そう言って蓮見はウエイターを呼ぶベルを押した。蓮見はこのとき、三木は有情の死を極めて冷静に受け止めており、利太や主税が言っていたようなとんでもないことするようには見えなかった。ビールと食べ物が運ばれてくる間に蓮見は三木に尋ねた。
「機械渡す時の感触ってどんなんなん?」
「そらさすがに説明でけへんわ。なんせ、心地ええんや。先生もそない言うとった。それで私の初めての人はこの人やて決めたん」
先にビールが届き二人は乾杯をしなおした。
蓮水は献杯と言ったが、三木はそれをやめさせた。
「あかんあかん、そんなんは先生は好きやない。乾杯でええんや」
「そうなん、ほな乾杯」
「うん、それでええ」
そのうち食事も運ばれてきて、それに合わせて二人は結構飲んだ。
「なぁ、莉子ちゃん。ちょっと前から気づいててんけど、先生て、なんていうか、ちょっと昔の言葉で言うと「持続可能な」関係を好んでた気がするねん」
「持続可能て?」
「まぁ、奥さんはずっと海外にいてはったけど、それでもれなさんとは香澄ちゃんが高校に入ってから十九年、奥さんとは三十四年、利太さんらのお母さんとは四十年近いはずや。私とは性的関係なしに十四年」
「えぇ、嘘やろ。いつもベタベタしてたやん」
「それはしてた。せやけど、そういう関係はなかったんや」
「嘘やろ、信じられへん」
「そうやねんから仕方ない。私、最初に先生と会うた時は結構太めやったんや。先生はその頃からずっと私と仲ようはしてくれてた。せやから最初は私が太ってるんがあんまり好きやないんかな思うてたんや。先生の奥さんやれなさんは太ってなかったからな。まぁ、れなさんはちょっと特殊ではあったけどな。いずれにせよ二人とも筋肉質で贅肉はほとんどついてなかったんや。せやから私も頑張ってダイエットしたんや。金銭的にもファミリーの仕事があるから余裕もできたし。もちろん、れなさんみたいにはなられへんし、奥さんは元々、骨細な人やったから、私は骨太やし、そないなることもできんかったけど。そうなると周りの私を見る目は変わった。でも、私にとって周りの目なんかはどうでも良かったんや。さすがに断りにくい誘いには乗ったけど、当然そんな人らとは関係は持たへんかった。そないしてもな、先生の態度は変わらんかったんや。先生はな、若い頃は知らんで、ああ見えても少なくとも私が知り合うてからは女の人と一時的な関係を持つことはなかった。そもそもそんな時間がなかったはずや。先生とれなさんの間に子供が居ってな、れなさんは仕事をやめんかった。比較的時間に余裕のある先生に保育園のお迎えから食事の用意まで全部任せたんや。さすがに先生も食事の用意までは手が回らんかったから、お手伝いさん雇うてな。犬も飼うてたし」
「奈央ちゃんはそんな関係を見てヤキモチ妬いたり、略奪したろとか思わんかったんか?」
「そら私かて年頃の女子や、羨ましいなとは思うたよ。せやけど、れなさんとの付き合いは先生と私が知り合う前からの話や。そればっかりはどうしようもあらへん。れなさんから先生奪うて、そんなんしようとしたら一番悲しむんは他ならん先生やないか。私にそんなことできるはずないやん」
三木は事実を淡々と語ったが、決して誰の悪口も言わなかった。蓮水にとって二千四十年になった今、三木のいうような関係は多少奇異に思えたが、三木自体が非常識な女性には見えなかった。
三木が続けた。
「先生が考えてる子供と大人の境目は多分、十六歳やと思うねん」
「なんでそう思うん?」
「そら十六歳やいうてももちろん親の庇護が必要な時はいくらでもあるとは思うで。それでも十四歳でお酒の味覚えて、十六歳で公的に性行為が認められてそれである程度大人の仲間入りするて考えてるんや」
「一体、何を基準にそんなふうに考えるん?」
「N国ではそうなんや。十四歳以上になったら保護者と一緒なら適量の飲酒は認められる。セックスのリーガルエイジは十六歳なんや」
「せやけどそれは日本ではどちらかといえばあんまり賢い子のすることではないで」
「先生の嫡出子はあくまでも香澄ちゃん一人や。利太さんと主税さんは別にしてやで。すみれちゃんは認知してない。基準がそこいくのは仕方ない」
「なんで話が子供のことになったんや?」
「いやな、今回、莉子ちゃんの事故でちょっと時期が遅なってしもたけど、先生はC国にもうちょい早い時期に行くんや。ほいでC国から帰ってきたら射撃旅行を兼ねて、大分に行って先生の同級生と一緒にご飯食べよ言うてたんや。今までファミリーのメンバーとやったり、二人だけで出かけたりしたことは何回もあってん。せやけど、そんなファミリー以外の人と出かけたことはなかってん。そいで、すみれちゃんはもう十六歳や。私かて期待するやないか。私には夢が二つあったんや。細かいことは別にしてやで」
「細かい夢て、たとえば?」
「今乗ってるミニももう五十年も前の車や。いくらきれいにしてるからいうて、今の道路事情には会うてない。せやから、莉子ちゃんがもろたような可愛らしいけど、最新型の車買うとか、ブランドもののバッグを買うとかな。ミニを手放すつもりはないんやけどな」
「二つ目の夢って?」
「それはわかるやろ。先生と結ばれて、子をなすことや。その夢は潰えてしもたけどな」
三木の頬を一筋の涙が伝ったが、取り直して涙を拭いて言った。
「あかんあかん、先生は湿っぽいの嫌いや」
「奈央ちゃん、その涙は夢が壊れた分の涙やから。有情先生も許してくれるよ」
蓮水がそう言って慰めようとした。
「表面的にはそうかもしれんけど、その起因するところが同一事象やからやはり忌避すべき事に変わりはない」
「何その言い回し」
「先生の表現を真似してみた」
「なぁ、奈央ちゃん。『さわだ』さんていう人知ってる?」
「さわだ、いや、直接的な知り合いにはいてへん。その人がどないしたん?」
「ちょっと待ってや」
そう言って蓮水はスマートホンを取り出し、先日、利太と主税に見せられた有情が書き残したと思われる文章を見せた。
「野辺に散る 名もなき花も 是また趣なり、か。あの人は目立つんが好きやなかったからな」
三木はそう言って少しの間黙っていたが、
「名もなき、て書いてあるけど、万が一、私が、名もなき花、なんていうてみ、絶対に名もなき花なんかあるかいな、そこらで普通に見る花に名前がついてないわけない、もしついてない言うんやったら奈央が無知なだけか、あるいは新種を発見したことになる、とか言うんやで」
とまた涙ぐんだ。
「それは辞世の句やて言うてた」
「そらまぁ、そうやろな。先生は、さっきも言うたけど、目立つことをしたがらん人でな、前に国体選手に選ばれたんや。せやのに目立つから言うて辞退してん」
「そうなんや、人は見かけによらんね。ぱっと見は派手に見えるけど。句の方は理解できるねんけど、わからんのがこの下の一行やねん。初めの「なお」は奈央ちゃんのことやと思うねん。次の『さわだ』が誰のことかさっぱり分かれへん。奈央ちゃんも知らんのやろ?」
「え、これ?調子の悪い人はこういう書き方することがあるんや。「奈央、騒いだらn」やと思う。騒げへんし、失礼やな」
口ではそう言ったものの、三木は涙を堪えることができなくなってきていた。
「莉子ちゃん、日本酒の三合瓶頼んどいてくれる。ちょっとトイレ行ってくるわ」
そう言って席を離れた。足早にトイレに行くと個室に入りひとしきり泣いた。泣きながら十四年間待ち続けて、やっと叶いかけた夢が目前で消え去ってしまった自らの不運を呪った。仕事柄、人の生死には慣れているつもりであったが、愛する人の突然の死がここまで辛いのかと身に沁みた。しかし、いつまでも蓮水を待たせておくわけにもいかず、また、少しお酒を飲めば取り繕う自信はあった。
「ごめん、莉子ちゃん。お待たせ。もう泣いたりせぇへんから」
「全然大丈夫やで。それより奈央ちゃんこそ大丈夫?お家でゆっくりしたほうがええんちゃうの?」
「いや、大丈夫。家に帰ったほうが気ぃ滅入りそう。もうちょっと酔うてから帰る。私もプロやから」
「プロって?」
「患者が亡くなって医者や看護師が泣いてたら様にならんやろ。そういうことや」
「うん、私も付き合うわ。腎臓のこと奈央ちゃんが教えてくれたから安心やし。親バレせんかちょっと気にはなるけど」
「うん、ありがとうな」
「ところでさっきの話に戻るけど、最後に書いてあるnてなんかわかる?」
「単純に考えたらN国のような気がするけど、私、N国には行ったことないんよ。せやから違うと思う。N国(南アジアの)は行ったことあるけど、特に変わったことがあった記憶ないし。そもそも私が騒いだらっていう話やから、私に対するメッセージではないはずやで」
「それもそやな。このnに関しては利太さんも主税さんもなんもいうてなかったんや。あの二人もわかってへんかも」
「わざわざ書いてるぐらいやから少なくとも誰かは知ってるはずやけど、皆に聞いて回るんもあれやしな」
日本酒の三合瓶が二本目になる頃には三木はまた有情との思い出を話しだした。ただ、今度は宣言通り湿っぽくなることはなかった。しかし、三木がクレー射撃をしており、頻繁に有情と射撃や狩猟に行っていたり、有情が寝ている間に何回もキスをしたことがあったり、とたまに目新しい話が混じりはしたが、結局はC国から帰ってきたら自分の夢の一つが叶ったはずで自分は不運だったという結論に帰結して嘆くという無限ループが続くだけで、蓮水はいささか辟易した。また、有情が書き残した「n」に関しては全くわからず最終的には「追悼会」で聞くしかない、ということになった。
蓮水は三木を竹見台までタクシーで送って行き、追悼会が行われる翌土曜日には早めに迎えに行くと伝えたが、本当に三木がわかっているかは些か不安であった。




