11 渡月橋(とげつきょう)
会談から四か月ほど経ったころ、有情利太と蓮水莉子は嵐山にいた。京都は利太が大学時代に過ごした街で親しみの深い場所であった。尤も利太は大学卒業後にF軍の外国人部隊に入隊したので、滞在期間は大学在学中の4年間であったが、京都ではさまざまな経験をし、京都を愛していた。花見客の混雑を避けるため二人は嵐電嵯峨駅から一筋進み、渡月橋を右手に見る交差点に向かって腕を絡ませて歩いた。
俵本誠一も京都に新しくできるフランチャイズ店の視察に来た折に、気分転換に花見をしようと考え同じ道で車中にいた。俵本は花見客の中で一際背の高い男を見つけた。冬に行われた会談に兄弟で列席していたうちの一人、司法書士の利太だった。俵本はなるべく見つからないように車を進めた。秘密保持契約に関してとやかく言っていたので、向こうから声をかけてくることはないだろう。しかし、正直なところ二度と関わりを持ちたくない人物であった。早く立ち去りたくは思ったが、花見客が多いのとそれに伴う車が多いのとでなかなか距離が取れなかった。渋滞した車列は人々が歩く速さとほぼ変わらず、渡月橋を右に見る交差点で横に並んでしまった。前の信号機が緑に変わり、歩行者は横断歩道を渡り始めた。俵本も仕方なく車を横断歩道の手前まで進めた。そのとき、利太が連れている女が以前に旧友のカメラマンと酒を飲んだときに同席していた女だと気づいた。
「この女が奴らに情報提供をして、自分が酷い目にあった」
という黒い怒りが心の中で生まれた。
利太とて俵本が自分たちの近くにいることは気づいてはいた。激戦のA大陸で海千山千の経験を積んだ利太には周囲に気を巡らすことは習慣として根付いていた。しかし、車内の俵本を見る限りでは、どちらかといえば自分を避けたいと考えているようにしか映らなかった。また、会談に列席していたのは単に司法書士としての業務を遂行するためで、主税からある程度は蓮水と俵本の関連性を聞かされてはいたものの、今まで観察した俵本の態度からも、あまりその重要性を認識していなかった。
俵本は
「ブレーキとアクセルを踏み間違えた」
と言い訳すれば、この二人にある程度のダメージを与えられると暴挙に出た。
衝突安全装置のスイッチを切り、ゆっくり歩いていたせいで横断歩道に取り残された二人に向かって一気に車を発信させた。
雑踏の中に突っ込んでこられたのでは解らなかったであろうが、急に大きくなったモーターの回転音に気づいた利太の対応は迅速だった。蓮水を腹側に抱き抱え二人でボンネットの上に飛び乗った。
蓮水が待機する車の側を歩いていたのと助手席側から衝突しようとしたため、蓮水を突き飛ばすという選択肢は取れなかった。万が一、蓮水の足を踏まれても困る。蓮水を後ろに払いのける余裕はなかった。ボンネットの上を滑りフロントガラスに到達する直前に利太は肘でそれを割った。三枚構造の安全ガラスは一気には割れず放射状のヒビが入った。そのガラスを緩衝材として利用しようとした。
しかし、安全ガラスは重い利太の体重を支えきれず、二人は俵本の車の助手席に肩から突っ込む形となった。利太はガラスで多少肩や背中に怪我を負ったものの、たいしたものではなかったが、蓮水は運悪くシフトレバーで右腰部を強く打った。
利太はサイドブレーキを引き、車を止めようともしたが、サイドブレーキは運転者が足で操作するタイプだったので、それはできなかった。
車は左側の電柱に当たり停止した。利太は車のエアバッグが開いた瞬間に、なるべく傷が目立たないように手のひらで俵本の左腰部を突いた。俵本の移植腎はその瞬間に機能の九割以上が破壊された。
俵本も一瞬気を失った。
車が停止すると利太は落ち着いた様子で蓮水を抱き抱えたまま降りてきた。蓮水は気を失っていた。利太は蓮水に声をかけて起こそうとしたがなかなか起きる様子がなかった。不審に思った利太は被服をめくり何か異変がないか確認した。
蓮見の右腰上部に皮下出血があることに気づいた。すぐに有情に電話をかけ現状を伝えた。有情は脾臓か腎に損傷を負った可能性があるので、すぐにドクターヘリを飛ばすから場所を教えるように言った。
利太は正確に自身のいる場所を伝えた。
「左岸にはヘリを着陸させる場所がない。右岸まで連れて行けるか?」
「連れて行けん事はないけど、人が多いから俺が抱えて行ってもちょっと時間がかかる」
「ほな救急車が来たら、それに乗せて対岸まで連れて行け。ヘリはすぐに飛ばす」
「わかった。ありがとう、お父さん」
「緊急事態や、かまん。山科先生には待機しといてくれるようお願いしとく」
「了解」
誰が連絡したか比較的すぐに警察車両と救急車がやってきた。
利太は救急隊員に右腰の少し上に皮下出血がある旨と対岸にドクターヘリが到着する旨を伝えた。渋滞した渡月橋を渡るのに多少時間を要したが、ヘリの着陸できそうな河原の広場に停車した。五分ほどでヘリは到着した。ヘリの中で行われた簡易エコー検査で蓮見の右腎近傍が損傷を受けていることがわかった。脾臓は特に問題なかった。




