彼は魔法使い
和やかな食事の後、私はお風呂に入り部屋でくつろいでいた。
この世界、居心地が良すぎて危険だ。
食事は美味しいし、お風呂は広くて豪華だし、ベッドは日本の自分の部屋の3倍はあってふかふかだし、貸してくれる服は肌触りのいい可愛い服だし。
お風呂や着替えは、メイドさんが手伝おうとしてくれたけど、恥ずかしいので丁重にお断りした。
衣食住が最高峰のレベルで確約されているなんて、元の世界に帰りたくなくなりそうだ。
まだ寝るまでに時間があるので、部屋に備え付けの本棚から、適当に一冊の本を取り出した。
ぱらぱらとページをめくると、見たことない文字のはずなのに何故か内容が理解できる。この本は、この国の歴史について書かれているようだ。
どうして知らないはずのこの国の言葉が理解できたり話せるかについては、陸とも話したがよく分かっていない。
まあ異世界に呼び出された時点で充分ファンタジーだし、言語についてもなにかうまい具合にファンタジーしてるのだろう。
特にすることもないのでそのまま本を読んでいると、扉のドアが叩かれた。
「はーい?」
返事をしても扉の向こうから名乗る声はない。
不思議に思いながらも扉を開けると、誰だか確認する前に額に冷たいものが当たった。
「ばーーーーん」
拳銃で頭を撃ち抜かれたような。
そんな効果音を出しながら私の額に指を当てているのがケイさんだと少し経ってから認識する。
「びっっっっくりしたああ!」
瞬時に距離をとる私にクスクスとケイさんが笑う。
「だめだよ?ちゃんと相手を確かめてから扉を開けないと。神出鬼没の殺人鬼がいるんだから用心しないとこんな風に一瞬でやられちゃうよ?」
「ご、ごめん…つい開けちゃいました」
「まあ、この国に来たばかりだし防犯意識が低いのはしょうがないかあ。これから気を付けるんだよ」
「はい」
陸にも、城の中だからと言って安全なわけじゃないと言われたばかりなのに。
きちんと用心しないと、と意気込む私を気にせず、ケイさんがキョロキョロと部屋を覗き込む。
「ねえ、ちょっと入ってもいい?暇だからしゃべり相手になってくれない?」
「えっ、今の時間護衛してくれるのってケイさんですよね?大丈夫なんですか?」
「へーきへーき。陸はトウヤに連れられて風呂だし、陸が戻ってきたらちゃんと持ち場に戻るから」
そういうことなら、とケイさんを部屋に招き入れる。
ケイさんはテーブルの近くまで行くと、放置していた歴史の本を手に取った。
「こんなまじめな本読んでたの?」
「暇だったので……。歴史は得意じゃないからあんまり頭に入ってこなかったですが」
「ふーん?あ、こっちのが面白いと思うよ?」
そう言って差し出されたのは絵本のようだった。
「絵本?どんな話ですか?」
「えー、咲季ってミステリー読む前に犯人知りたいタイプ?いいから読んでみなよー」
ケイさんに促されるまま可愛らしいイラストが描かれた表紙を捲ると、それは少女と猫の冒険の物語だった。
いつでも前向きな少女とマイペースな猫が、時に道に迷ったりしながらも協力し合い、騎士団で働く父親に忘れ物を届けに行くといった物語。
日本にもこういった絵本はあった。世界は違えど、絵本ってどこも同じ感じなんだな。
「読み終わった?」
「はい。とてもいい話でした。特にこの猫、すごく可愛かっー……」
本を閉じてケイさんの方を向くと、彼の手には一匹の猫がいた。
白いふわふわした毛並みの長い猫が、あくびをしながら大人しくケイさんの腕に収まっている。
絵本から飛び出してきたのかと思うほど、挿絵で書かれていた猫とそっくりだ。
「えっ?えっ?猫??どこから??」
ケイさんが部屋に来た時にはいなかったはずだ。たぶん。
いったいいつからいたのだろう。窓はないから扉から入ってきたはずだけど、扉が開いた気配はしなかった。
やっぱり魔法、あるんじゃ?本人たちは魔法だと思ってないことが、私と陸にとっては魔法だと思うのでは??
「あはは!その顔さいこう!驚いた?絵本から出てきたと思った?」
全力で戸惑う私を見て、ケイさんはいたずらが成功した子供のような顔で笑う。
「この子ねー、陛下が飼ってる猫なんだよ。可愛いでしょ」
「陛下が飼ってる猫!?……でもいつからいたんですか?ケイさん来たときはいなかったですよね?」
「内緒。種明かししちゃったらつまんないでしょ?」
ケイさんはニヤリと笑うと私に猫を手渡した。
猫は嫌がることなくわたしの腕にすっぽり収まる。
「わ……おとなしい、この猫ちゃん」
「ね、王族に飼われると猫も高貴な性格になるのかなあ?」
「ふふ、そうなのかも」
猫を撫でていると、ふとケイさんの視線に気づいた。
ケイさんは猫ではなく私を見ていたようだ。
視線を返すと、ケイさんの赤い瞳が優しく細められた。
「この国は物騒だけどいいところも沢山あるからさ。なにか欲しいものとかあったら何でも言ってね?俺とトウヤができるだけ叶えるからさ」
にっこりとケイさんが笑う。
もしかしたら、暇だからと言って猫を連れてきたのは、急に異世界に連れてこられた私に楽しんでもらうための気遣いだったのかな。
彼の優しさがじんわりと心に広がる。
「はい。ありがとうございます!」
少しでもこの嬉しさが伝わるように、と笑顔でお礼を言う。
「どういたしまして。……ねえ、咲季。僕のことは呼び捨てで呼んでほしいなあ」
「呼び捨てで?」
「うん。ケイ、って。敬語もいらないよ」
おねだりするように言われてしまったら断れない。
年上の男性を呼び捨てにするのは正直躊躇われるが、本人の希望だ。恐る恐る彼の名を口にする。
「ケイ」
「うんうん、いい感じ!」
「……慣れるまではしばらく、さん付けになっちゃうかもです」
「だから敬語もいらないって。僕、咲季ともっと仲良くしたいからさー」
「分かった……、頑張る」
それから少しの間二人でお喋りしながら猫を愛でていると、ケイがぴくりと扉に目を向けた。
「あー、残念。陸とトウヤ帰ってきたみたい」
そう言われて耳を澄ましてみるも、二人の話し声や足音なんかは聞こえない。
これだけ豪華なお城だから、きっと防音性に優れているのだろう。
「なんで分かったの?」
「んー?俺、耳いいから」
「そうなんだ?じゃあ持ち場に戻る?」
部屋に入ってきたときに、陸が帰ってきたら持ち場に戻ると言っていたのでそう問いかけると、ケイはゆるゆると首を横に振った。
「んーん。咲季の部屋にいたってバレたらめんどそーだし、陸が部屋に入ってからにする」
外の音を意識してみても、相変わらず何の音も聞こえない。
ケイって本当に耳がいいんだなあ、なんて考えていると、ケイがおもむろに猫を抱えて立ち上がった。
「よーし、じゃあ行こうかな。君もご主人様のところに戻りまちょうねー」
ケイが猫に目線を合わせて話しかけるも、猫はツンと顔を背ける。
それがなんだか面白くて、わたしは口角が上がるのを感じながら両手が塞がったケイのためにドアを開けるために立ち上がった。
「困ったなー。ケイのやつどこにいったんだ?」
扉を開けると、トウヤさんが部屋の前をうろうろと歩いていた。
部屋から出てくるケイと私を見て目を丸くする。
「は?なんで咲季ちゃんの部屋にいるんだ?」
「陸が帰ってくるまで咲季とお話してたんだよ~。ってことで、はい」
ケイが猫を手渡すと、トウヤさんは盛大に眉をしかめた。
「おい……この子、エリザベスじゃないか…?今城中大捜索が行われてるんだが……?」
「よかったじゃん、トウヤ大手柄だね☆」
「お前な……」
トウヤさんはケイをジトリと睨んだ後、私に就寝の挨拶を言って去っていった。
ちなみに私もケイをジト目で見ていた。
私を喜ばせようとしてくれたのは嬉しいけど、無断で猫を連れてきて大騒ぎになっているのはよくない。
「ケイ、あとでちゃんと謝ったほうがいいよ」
「しょうがない、後で陛下に謝りに行くよ」
「トウヤさんにもね?」
「えー、トウヤは猫を見つけた英雄にしてあげたんだからむしろ感謝されるべきじゃないかな?」
反論しようと口を開きかけたところでケイに部屋に押し戻される。
「もう夜も遅いから部屋に入りな?おやすみ、咲季」
くしゃり、と優しく頭を撫でられる。優しい笑みのケイにこれ以上何も言うことができず、私は大人しくベッドに潜り込んだ。




