いやしのこわし
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
こーちゃんは、本を読むことが大切だと感じるときは、どんなとき?
僕はやさしさがほしい、と思ったときかなあ。
あ、なんかすごく漠然としていてごめんね。やさしい物語が読みたい、てばかりじゃないんだ。
ここのところ、みんなパフォーマンス重視っていって、なんでもかんでも急ぎたがるでしょ。誰かのために施すことだって、自分のやりたいことを優先して構ってくれないことだってしばしばだ。
いや……それさえも、デジタルに頼って効率化したい時分かな。みんな、きっついからこそ確実な癒しを手っ取り早くほしい。いまひとつ、読みきることができない人心よりも、研究しつくしてしまえば裏切られることない、プログラムのほうが向いているのかな?
理屈で分かっても、さびしい気はするけれど……ある意味で本もそうかもね。書かれた以上、結末は決まっているけれどその内容に心を動かされることを期待している。
ヘタに誰かの手を煩わせず、自分でなんとかしたいとき。こーちゃんだった本でも、それ以外でも何をするだろう?
ちょっと前に父から聞いた話があるんだけど、聞いてみない?
父の学生時代の友達のひとりになる。
彼のストレス解消の方法は、いじったり壊したりすることだったという。できあがっているものをバラバラにしたり、完璧な状態のものに傷をつけたりすることで、心が落ち着いたのだという。
いや、これだけでもけっこう難儀な性質だと思うっしょ? 子供の時代に多くの人が経験しているだろう破壊衝動ってやつ? それが大きくなってからもなくなることなく、続いているという感じだとか。
正直、生き物をばらしたい気持ちでいっぱいだったと友達は語り、人間もその中にいると聞いたときには、さすがの父もドン引きだったらしい。でも、現代の日本社会でそのようなことが許されるわけがなく。
その代わりに彼がやり始めたのは、土いじりなのだそうだ。
聞いて想像しちゃうような、野良作業を思い浮かべちゃいけない。彼の場合は道具をいっさい使わず、自らの手で土を掘り返していくんだ。
破壊の衝動。それはどうやら見た目に整っている土を削ったり、穴を掘ったりすることでも埋められるらしい。それだけ聞くとたいしたことないと思えそうだけど、面積がすごく広かったとか。
山とか高架下とかのみならず、人様の田畑であろうとお構いなしだ。ひと気のない場所や時間をある程度は考慮しているのだろうが、父が歩いているときにふとかなたで土をかいている彼の姿を見ることが、ちらほらあったとか。
それでも誰かを傷つけたい衝動が出るよりはマシか……と思っていた父だけど。
やがて彼は学校を休みがちになってしまう。
ときどきクラスへ顔を見せるものの、彼は手袋をはめるようになっていたんだ。
その理由は、ほどなく分かる。食事時などで手を洗うとき、手袋を外したその手は泥だらけになっているんだ。
爪の奥深くまで、たっぷりと土が詰まっている。いや、それどころか自分の血と思われる赤黒いものや、植物の根を思わせる細いひも状のものなどが、そこからのぞいているんだ。
いったんは洗い流してマシになり、手袋をはめ直すものの、ほんの数十分後にまた手を洗う用ができたときには、もう似たような状態になっている。
――学校にいるときに、あいつが掘り返しているような気配はない。まさか、手袋の中に細工して、手を入れさえすればあんな状態になるようにしているのか?
いよいよ、自分で自分を壊すという解決方法に目覚めてしまったのか、と父もなかば諦観していたけれど誰かを傷つけるよりはいいのか……とも思い、何もいわない。
彼もめっきり口数が少なくなって、以前とはまるで別人のように眼ばかりぎょろぎょろ動かす不可解な仕草を見せるようになったとか。
極めつけが、とある日曜日の早朝。
たまたま尿意を催してトイレに行こうとした父は、廊下を歩いているときに、かすかだが庭の方で物音がしたのを耳にした。
そっと窓の近くまで行き、カーテンをめくってみると、家の畑の真ん中に彼の姿があったのさ。
彼は真っ裸だった。すでに畑の中央には彼がこさえたと思しき、穴は人ひとりが入り込めるほどの大きさになっている。彼はその格好のまま、なおも穴の壁面を素手で大ぶりに、大胆にかきだしたかと思うと、その穴の中へ飛び込んだ。
さらに穴の中から器用に腕だけ出して周囲の土をかき寄せて、自らの入った穴を埋めていく。よどみない動きは、ほんの数十秒ほどで畑を元の状態へ戻してしまったのだとか。
トイレが近くて助かった、とは父の談。
用を足したあと、おそるおそる庭へ出て土を軽く掘り返したものの、あの友達の姿はどこにもなかったらしい。
そして休み明けに彼は学校へ来たものの、手袋にくわえていつも以上の厚着で、頭以外は満足にさらしている肌はないほどだった。
けれども、そのすき間からはしばしば、ぽろぽろと土の塊が落ち続けていたらしい。
父はそれとなく探りを入れたものの、もはや満足に口をきかなくなっていた友達は黙ったままで、答えを得ることはできないまま卒業しちゃったとか。




