第65話:モロクズ来日、頂上会談
冷たい雨が降る東京・大手町。
ウェイソル本社ビルの前に、黒塗りのハイヤーの車列が止まった。
降り立ったのは、純白のスーツに身を包んだジェームズ・K・モロクズ。
Applexの極東戦略担当にして、今回の買収劇の首謀者。
「……ここが、五丈原か」
彼は濡れることも厭わず、ビルを見上げて薄く笑った。その手には、あのタブレット(羽扇)が握られている。
* * *
大会議室。
空気は張り詰めていた。
長テーブルを挟んで、勇(司馬懿)とモロクズが対峙する。
ソウ専務は「サイン貰っちゃおうかな~」などと浮ついているが、勇の殺気がそれを黙らせた。
「お初にお目にかかる、司馬勇さん」
モロクズが口を開いた。
完璧な日本語。イントネーションの乱れ一つない、アナウンサーのような美声だ。
「単刀直入に言おう。……無駄な抵抗はやめて、Applexに来ないか?」
モロクズは、優雅にタブレットを操作し、ホログラム映像を空中に投影した。
「君の知能は高く評価している。ウェイソルという泥舟にいるには惜しい。……君が望むなら、Applex本社の『アジア統括CEO』のポストを用意しよう。年俸は50億円だ」
ソウが「ご、50億!?」と泡を吹いて気絶しかける。
だが、勇は無表情のまま、じっとモロクズの顔を見つめていた。
(……違和感がある)
勇の観察眼(狼顧の相)が、目の前の男の異常性を捉えていた。
美しすぎる笑顔。瞬きの回数が規則的すぎる。
そして何より、瞳の奥に「生気」がない。
「……素晴らしい提案だ」
勇は静かに立ち上がり、モロクズに近づいた。
「だが、一つ聞きたい。……今、喋っているのは『誰』だ?」
「……何のことかな?」
「隠しても無駄だ」
勇は、モロクズの右耳に装着された、超小型のワイヤレスイヤホンを指差した。
「貴様の言葉には、感情の『ゆらぎ』がない。……貴様は自分の言葉で喋っていない。そのイヤホンから聞こえる指示――クラウド上のAI『KOMEI』が生成した最適解を、ただ読み上げているだけのスピーカー(傀儡)だろう」
モロクズの表情が、一瞬だけフリーズした。
まるで、処理落ちした動画のように。
「……」
「図星か。……ジェームズ・K・モロクズ。貴様は孔明の生まれ変わりなどではない。奴の思考プログラムをインストールされた、ただの『器』だ」
かつて、魏の重臣・王朗は、戦場で諸葛亮と舌戦を繰り広げ、論破された恥辱と怒りで吐血し、落馬して死んだ。
言葉が人を殺せたのは、相手に「心」があったからだ。
だが、目の前の男にはそれがない。
恥も外聞もなく、ただプログラムされた利益のみを追求する、虚無の存在。
「……交渉決裂だ」
勇は冷たく言い放った。
「私は人間だ。……機械の操り人形と議論する舌は持ち合わせていない」
「……It is illogical(非論理的だ).」
モロクズの口から、無機質な英語が漏れた。
彼はスッと表情を消し、人間味のない能面のような顔に戻った。
「残念だ、Mr.シマ。……ならば、物理的に消滅してもらうしかない」
モロクズが立ち去ると同時に、彼の背後にいた法務スタッフたちが、大量の訴状と督促状をテーブルに叩きつけた。
対話の時間は終わった。
これより始まるのは、感情なきシステムによる、徹底的な殲滅戦だ。
勇は、去りゆく白い背中を睨みつけた。
「来るなら来い。……人形使いの正体、必ず引きずり出してやる」
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【史実から学ぶビジネス兵法】
No.065:舌戦と傀儡
『三国志演義』において、諸葛亮は魏の王朗を舌戦で論破し、憤死させた。
これは「大義」と「羞恥心」が戦いの根底にあった時代の話である。
現代のビジネス、特に巨大テック企業との交渉において、相手の担当者は往々にして「裁量権を持たないエリート(操り人形)」に過ぎない場合がある。彼らの背後には、AIやマニュアル、あるいは冷酷な株主という「システム」が存在する。
心を持たないシステム相手に、情熱や道徳を説く舌戦は通じない。相手の電源を断つしか、勝つ術はない。




